漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

50歳の初産

2010年08月27日 | Weblog
女性の社会進出が進み、
才能ある女性が遣り甲斐のある仕事につき、バリバリ活躍できる時代になりました。

今では当たり前のことですが、
つい五十年ほど前まで、こんな時代が来るとは思いもしなかったのですよ。

それはいい事なのですが、
ただ、社会に出て仕事を覚えるには、五年から十年はかかるし、

会社や組織の中で能力を高め、地位を得ると、

本人も面白いから、
夢中になって仕事をしているうちに、更に十年ぐらいはすぐ過ぎる。

はっと気が付いたら四十歳も間近、
周囲の友人たちは結婚し子供が二・三人もいるのに、自分はまだ独身、

以前は「早く結婚しろ」とうるさかった両親も、
このごろでは諦めたのか、あまり云わなくなっている。
  
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「野田聖子代議士」の『それでも私は産みたい』

 ・来春2月、50歳の初産
 ・体外受精卵を移植 現在妊娠「15週」
 ・米国病院でドナーより「卵子提供」

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この刺激的な標題は、週刊新潮の最新号の見出し。

私はこの記事や、野田女史の著書を読んだ分けではないから、
女史の行動について言う気はないが、

ただ、四十歳を越えてから、
「それでも私は生みたい」と思う女性の気持ちは分かるような気がする。

今はまだ元気な両親もそろそろ衰えが見えてくる年齢、

兄弟姉妹もそれぞれに忙しい。

我が子のように可愛がったはずの甥や姪も、
友達の方が良くなって、
お年玉を渡すとき以外、叔母さんにあまり近寄らなくなった。

ある日、
「仕事をいくら頑張っても家族は増えないのだ」と気付いたときの驚き、

このまま歳を重ね、
両親が逝ってしまえば、私は孤独、

「これはいけない、子供が欲しい!」と切実に思っても、

今から歳相応の相手を探し、
結婚して妊娠するには、むずかしい年齢になってしまっている。

男なら、五十になっても子供を作れるのに・・・・、

何たる男女差別。

「男なんかに負けないぞ」と、
一心不乱に頑張ってきた私の人生はナンだったのか、と云う無力感。

体外受精や戸籍を入れずの妊娠など、
野田聖子女史の行動に対する批判はあろうが、

「それでも私は産みたい」と云うタイトルだけなら、

心の奥深い処で、
「共感する女性も多いのではあるまいか」と、私は思うのですよ。





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