中国は報道規制のある国ですから、
ニュースと云っても、お上の気に入りそうな内容のものばかりで、
云わば、
市の広報を読むようなものですが、
その広報のような御用新聞でさえ、
書かない分けにはいかぬほど、大気汚染は深刻らしい。
特に首都北京は
なにかと報道されることもあって、街の風景が出る。
その写真を見せられただけで、
こちらまで、咳が出そうな北京の空気の汚れぶり。
先日、中国国営テレビのニュースで、
「今年は汚染が数パーセント改善された」と、誇らしげに報じたあと、
「ただし、まだまだ改善しなければならない」と付け足してました。
広報でさえ、そう付け加えねばならぬほど、
と、云うことは、
つまりは、大気汚染が余程に深刻なのでしょう。
むかし、高度成長期だったころ、
日本でも同じようなことがありました。
東京オリンピックの開会式、
たまたま前日に雨風があったことで、
当日は青空が広がりましたが、
当時の東京、普段はスモッグだらけ、
スモッグと云う言葉も懐かしいね、(笑)
まぁ、
今の北京ほどではなかったかもしれないけど・・・ネ。
その後、そのことが公害として、
新聞などで騒がれるようになって、
国民からも批判が高まり、
紆余曲折ののち、
政府も重い腰を上げ、様々な対策が取られるようになった。
いまの北京の大気汚染も、
“かっての日本にもあったこと”ですから、
しかたない面もあるのですが、
ただ違うのは、コレを批判する新聞がないこと。
だから、これだけ大気汚染が進んでいるのに、
肺炎患者がどれほど増えたか、とか、
ぜんそくや結核はどうか、と云った、
“政府に都合の悪い情報”が出てこない。
なにかとケチをつける新聞は、
権力から見れば邪魔モノですが、国家全体としては有用なんですが、
独裁国家の権力者にとって、
それを理解するのはタイへンらしい、
よし、理解したとしても、
その対策をとるのはむつかしいようです。
いまの中国は、「鹿を追う漁師山を見ず」と云う状態ですが、
だけど、中国がこのままいけば、代価は高くつくような気がする。
それは「十三億の民」にとって、
非常に不幸なことだ、と・・・私には思えるんですがね。
ニュースと云っても、お上の気に入りそうな内容のものばかりで、
云わば、
市の広報を読むようなものですが、
その広報のような御用新聞でさえ、
書かない分けにはいかぬほど、大気汚染は深刻らしい。
特に首都北京は
なにかと報道されることもあって、街の風景が出る。
その写真を見せられただけで、
こちらまで、咳が出そうな北京の空気の汚れぶり。
先日、中国国営テレビのニュースで、
「今年は汚染が数パーセント改善された」と、誇らしげに報じたあと、
「ただし、まだまだ改善しなければならない」と付け足してました。
広報でさえ、そう付け加えねばならぬほど、
と、云うことは、
つまりは、大気汚染が余程に深刻なのでしょう。
むかし、高度成長期だったころ、
日本でも同じようなことがありました。
東京オリンピックの開会式、
たまたま前日に雨風があったことで、
当日は青空が広がりましたが、
当時の東京、普段はスモッグだらけ、
スモッグと云う言葉も懐かしいね、(笑)
まぁ、
今の北京ほどではなかったかもしれないけど・・・ネ。
その後、そのことが公害として、
新聞などで騒がれるようになって、
国民からも批判が高まり、
紆余曲折ののち、
政府も重い腰を上げ、様々な対策が取られるようになった。
いまの北京の大気汚染も、
“かっての日本にもあったこと”ですから、
しかたない面もあるのですが、
ただ違うのは、コレを批判する新聞がないこと。
だから、これだけ大気汚染が進んでいるのに、
肺炎患者がどれほど増えたか、とか、
ぜんそくや結核はどうか、と云った、
“政府に都合の悪い情報”が出てこない。
なにかとケチをつける新聞は、
権力から見れば邪魔モノですが、国家全体としては有用なんですが、
独裁国家の権力者にとって、
それを理解するのはタイへンらしい、
よし、理解したとしても、
その対策をとるのはむつかしいようです。
いまの中国は、「鹿を追う漁師山を見ず」と云う状態ですが、
だけど、中国がこのままいけば、代価は高くつくような気がする。
それは「十三億の民」にとって、
非常に不幸なことだ、と・・・私には思えるんですがね。