漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

メシの節約

2011年07月04日 | Weblog
きのうNHKで「作兵衛さんの炭鉱(ヤマ)」と云うのをやってました。

山本作兵衛さんの絵は、以前からケッコウ知られていたと思うのですが、
最近、ユネスコかなんかで登録をうけたとかで、マスコミの報道量が増えたようです。

この番組も再放送だそうですから、その効果でしょう。

作兵衛さんは明治25年生まれ、
炭鉱夫である父親の手伝いとして、
7歳から兄とともに炭坑に入り、60過ぎまで炭鉱で働いた、とウィキぺディアにあります。

尋常小学校卒業ともありますから、
小学校には四年しか通ってないわけで、
それにしては達意の文章力、絵と共に天賦の才があったのでしょうネ。

番組の中で、大正の米騒動の時、
食えなくなった炭鉱夫たちが暴動を起こそうと、
盆踊りの輪の中で相談したエピソードが紹介されてましたが、

盆踊りとは、ナカナカいい処に目を付けたモンです。

今は違うでしょうけれど、
私の子供のころは、まだまだ開放的な空気が盆踊りには残っていた。

この夜だけは、若い男女が羽目を外してもかまわないような・・・。

この晩だけは、さすがの警察も取り締まりにくい。

この時代は急激な工業化で、
農村の次男・三男が仕事を求めて都市に集中し出した時代。

都市労働者と云えば聞えは良いが、
今と違い、蓄えも資産も持たないのだから「その日暮らしの貧民の群れ」。

元々、麦飯やくず米を食べてる労働者で、
漬物と味噌汁ぐらいしかなく、まともなオカズのない食事、

そうでなくても重労働の炭鉱労務者に、これ以上はメシの節約のしようがない。

ギリギリの収入で食べてる家族だから、
米が二倍に上がると、たちまち月のうち半分はメシを食わずに過ごさねばならぬ勘定。

炭鉱の経営者や地主たち、
「金持ちドモがステーキ食ってるのに、
 オレたちはナンダッ、 犬猫以下かッ!」と云うことになるのも当然のハナシ。

作兵衛さんの描いた「ヤマの米騒動、鎮圧に出た軍隊」の絵を見ながら、

チュニジアの暴動を切っ掛けにした国際的動乱は、
「世界的な食料値上がり」が原因の一つだったと云いますから、

あれも「米騒動」だったのだなと思うと、あの騒ぎが、ストンと腑に落ちたのです。



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【大正の米騒動】

1918年の米騒動は日本史上最大規模の民衆暴動であった。

1917年(大正6)から18年にかけて米価が高騰したが、
これは第一次世界大戦中のインフレの一環であるとともに、

資本主義の急速な発展により都市人口が急増し、
米の需要が増大したにもかかわらず、
寄生地主制下の米の生産が停滞して供給不足に陥ったことが根本的原因であり、

さらに地主、米商人が投機を計って売惜しみ、買占めをしたこと、

寺内正毅(まさたけ)内閣が、
地主、商人の利益のため外米輸入関税撤廃の措置をとらなかったこと、

シベリア出兵の決定により、
いっそう買占めが行われたこと、などの事情が加わった結果であった。

1918年7月以降米価は異常に暴騰し、
民衆の生活難と生活不安が深まり、ついに空前の大暴動が引き起こされた。




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