漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「大坂城のドン」

2014年02月06日 | ものがたり

きのうの続き。

正月草々、鳥羽・伏見で始まった戦争は、
幕府方の負け戦となって、
大阪に居た徳川さまの侍は皆逃げてしまい、
跡へ薩摩、長州、土佐の兵隊が繰り込んで来ました。

そのうち、だれ云うともなく、
「将軍さまは紀州に落ちて、官軍は今大阪城を囲んでいる、
 今なら誰でもお城に入れる、
 こう云う時に入らないと拝見はできない。」と触れ散らしたのです。

さあ、見たこともないお城の中が見られると云うので、誰もが押しかける。

私なども一番に出かけました、
行って見ると、
なぜか薩長土の軍隊は入城しないで、離れて取り巻いているだけです。

その内に、見物の誰かが一人二人と入り、
軍隊のお咎(とが)めがないと分かると、
他の衆も付いてゾロゾロ御城内に入り出したのに、

それでも一向に咎(とが)められるようすがない。

御城内のお御長屋には、
幕府の方々が慌てて逃げ出したか、
夜具や衣装をつめた葛籠(つづら)がそそのままに投げ出してある。

どうせ持ち主が居ないんだからと、
中の一人が、欲も手伝って持ち出しに掛かると、
それなら我も、私も、と云うわけで、皆、我勝ちに分捕って引き揚げました。

これを見ても、軍隊の方ではなにも咎めません。

そうなると、この機逸すべからずで、
市中の評判となって、翌日には、見物や分捕り組で大勢の人です。

処が、突然、地雷火が大爆発。

見物の男女は真っ黒焦げになってお濠へ刎ね飛ばされました。

ウソかホントかは存じませんが、
その後の噂では、地雷火の瀬踏み(様子見)のため見物人を入れたのだそうです。

それから入城禁止になって、
その上、
「持ち帰った品々は届け出ろ、さもなくば厳罰に処する」と云う御命令が出まして、
皆、震え上がり、
とったものを御返しに参ったのです。

立派の家からも葛籠を御返しに来るので、
「マァ、マァあすこも泥棒のお仲間ですね、オヤあの家も」と云う分けです。

何の事は無い、
地雷火の人柱に上がって、褒美の金を召し上げられたような始末でした。








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