未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

狙える=外せる

2018-06-15 20:37:12 | 稽古
今週は基本稽古からテクニックまで「狙う」をテーマに取り組みました。

武道はじめ格闘技では顎や人中、水月、流派によっては金的まで危険な所を突いて蹴る練習を基本稽古から行います。しかし武を修める者がその通りに使用した場合どうなるかは想像に難くありません。

使いもしない技を何故何千何万と突くのかと問われればそれは使わない為、でしょうね。狙う事が出来るのであれば外すことも出来ます。有事の際でも意図せず大怪我を負わせたりする事がないように。

どこをどう打つか、それは使い手の心一つですがだからこそ心技体と言われるのです。技は心がないと暴力に成り下がり、体(力)がなくては使い物にならない。だから心技体の真ん中にあるのかもしれませんし、心と技が武の体を作るとも考えられます。

以前もどこかに記しましたが、試合で意図せぬ反則をするのは基本稽古で手を抜いている人が殆どです。基本が体に根付いていないから心の浮つきに技と体が負けるのです。
暴力的な組手をするのではなく、その日の技を的確に組手に現すのが組手の第一義。仮にパワーゲームに持ち込まれ押されていても気に止むことはありません。「この瞬間金的に打ち込めるな」とか「顔がガラ空きやな」とか隙を見つけながら組手が出来たのであれば本来倒れるのはルールに守られた相手なのかもしれないのです。

組手の強さ≠習熟度
です。多角的に強く上手くなればなるほど勝ち負けだけの組手は面白くなくなっていくような気がします。




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