goo blog サービス終了のお知らせ 

祖谷渓挽歌(いやだに・ばんか)~藍 友紀(あい・みゆき)著

「2007年自費出版文化賞」大賞受賞作品の紹介およびその周辺事情など。

12-28/原発の怖さ~かつて大手マスコミを芸者つきの宴席で説得して発進させた福島原発なりしが

2016-12-28 02:07:10 | Weblog
<東芝>金融支援要請へ 米原発事業数千億円損失 3月期

毎日新聞 12/27(火) 21:34配信

経営再建中の東芝は27日、2017年3月期に米国の原発事業を巡って数千億円規模の新たな損失が発生する可能性があると発表した。損失額は現時点では未確定だが、規模によっては財務基盤が大きく損なわれる恐れもある。米原発事業では、16年3月期にも約2500億円の損失を計上しており、2年連続で巨額損失を計上する事態となった。東芝は金融機関の支援を仰ぎ、抜本的な経営立て直しを図る。

 東芝の平田政善最高財務責任者(CFO)は同日の記者会見で「資金繰りの見込みを確定し、金融機関の支援を仰ぐ」との考えを表明。綱川智社長は、資本増強について「それも含めて検討している」と述べた。

 損失が発生するのは、東芝子会社の米原子炉メーカー、ウェスチングハウス(WH)が15年12月に買収した米原発建設会社「CB&Iストーン・アンド・ウェブスター」。買収で年間2000億円程度の売り上げ増を見込んでいたが、買収後に資産価値を算定し直したところ、コスト増加で想定より大幅に価値が下回った。東芝は来年2月までに損失額を確定させ、17年3月期に損失を計上する考えだ。

 財務の健全性を示す株主資本比率は、一般的に30%程度が安全水準とされているが、東芝では今年9月末時点で7・5%まで低下しており、連結株主資本は3632億円まで減少している。債務超過に陥る可能性について、平田CFOは「精査中で答えられない」と言葉を濁した。

 東芝は昨年発覚した不正会計問題に伴い、WHの資産価値見直しを実施、16年3月期に約2500億円の損失を計上し過去最大となる4600億円の最終(当期)赤字に陥った。17年3月期は1450億円の最終黒字に回復すると見込んでいたが、巨額損失計上で最終赤字になる可能性も出てきた。【宮島寛、浜中慎哉】

…………………………

 ◇株主資本比率

 企業の財務の健全性を示す指標。企業が持っている総資産のうち、株主からの払込金や過去の利益の蓄積など、返済を必要としない資金(株主資本)が占める割合を示す。数値が高いほど財務が健全とみなされる。
.

【関連記事】
<東芝、損失数千億円…3月期検討 米原発事業の資産価値減>
<米原子力大手買収を失敗と認めない東芝の詭弁>
<ウェスチングハウス買収が東芝不正の最大要因だ>
<東芝不正の背景にあった原子力事業買収の重荷>
<「原発46基受注」東芝バラ色予測の疑問だらけ>

12-28/渡辺貞之助(滝川事件の際の学生団議長)の名を忘れないようにしよう

2016-12-28 01:45:22 | Weblog
(渡邉貞之助の履歴書)

  京大瀧川事件で学生団の議長をつとめた渡邉貞之助は、晩年、鎌倉の尼寺(仏眼宗)に篭もって修行につとめながら、高齢にもかかわらず各地の公害反対運動の先頭に立って活躍しました。88歳、米寿の祝いを迎えた時、「私は90まで生きるつもりだが・・・」と言いながら、自分の一生を振り返って、履歴書を書き、それを作者に手渡して「長尾孫夫について書くときには、これも参考にして欲しい」といいました。以下が、その履歴書です.尚お、このとき渡邉は、「私はキリスト教に学ぶところが多く、人道主義的社会主義については、当時の京大農学部評議員で後に同志社大学学長に推された 湯浅八郎先生の指導を受けるという幸運を得たことを今にうれしく想っていると話していました。(藍記)

 追記:渡邉氏は90歳でなくなられました。

  

   渡邉貞之助自筆の履歴書

 明治39年   9月9日生。

 大正8年9年 青山学院中学部1年2年に在学

 大正10年11年 栃木県立大田原中学校3年4年在学。3年の時、禁煙を主張して爾来喫煙せず。4年の時、校長の教育方針を批判する演説を行い、諭旨転学を命ぜられる。転学せず退学する。

 昭和2年  旧制高知高等学校文科に入学する。在学中漕艇部選手、応援団長、黒潮会設立。応援団を解消し,学友会と合同、学級代表者会議を組織し新聞部を作る.新聞部の論説と代表者会議の決議が発端となり,同盟休校が起こる。その首謀者の一人と見なされ、3週間の停学処分を受ける。

 昭和5年  京都帝国大学法学部に入学する。

 昭和8年  京大瀧川事件が起る。教授の主張の通らぬことを予測しながらも学生運動の組織作りをし、中央部委員となり、学生大会議長、高等学校代表者会議〔高代会議〕の議長を常任する。

 教授会が退官、残留二派に分裂したため敗退する。唯一人、残留法学部長に三回退学届を提出する。受理せられぬままに三年留年する。

 昭和11年 節を屈して法学部を卒業する。

  11年より15年まで大学院に在学するも1回も研究室に入らず、独学して航空事情を調査研究する。

 昭和12年 京都大学内に航空研究会を作る。同年京都市に航空協会を設立する。

  京都府、市の国会議員、商工会議所会頭、大学総長、学長等を顧問に、議員を会員、役員に迎え、京都市長を会長に推し、自分は常務理事となる。

  京都飛行場の建設を提唱し、敷地の調査、候補地を巨掠ケ池干拓地跡に決定し、逓信省航空技術員養成所用の飛行場誘致に焦点をあて、2年間このことに専念、実現する。敗戦により閉鎖す。用地30万坪。

  隣接地に、鐘淵紡績㈱津田信吾社長創設の国際工業㈱用飛行場が設置され、合同地鎮祭を行う。合せて60万坪となる。当時羽田飛行場は24万坪なり。

       〔履歴書の続きは次頁に)

ー立ち聞きー

(国士) いよいよ日本の自衛隊もイラクへ進撃だね。航空自衛隊の先遣隊を先頭に。これで世界に顔向けが出来る。

(国賊)しかし一人でもイラク人を殺せば、日本は国際社会で“平和”を口にする資格はなくなるんだぜ。

(国士)馬鹿、言っちゃいけないよ。(歌う)《天に代りて不義を撃つ、忠勇無双の我が兵は》戦争で人を殺すのは立派な正義だ。アメリカ様を見給え。胸を張って低放射能の銃弾を使ったじゃないか。

(国賊)おい、おい。戦争に行くのかい!人道支援に行くはずじゃなかったのかい? 人道支援なら迷彩服の自衛隊に鉄砲持たせて行かせるより、先ず大型輸送機や輸送船に救援の食料や医薬品を積んで届けてやったら、どうなんだい?

イージス艦1隻だす経費を充てただけでも、相当な救援になると思うがナ。

(国士)その物資でイラク人が元気を出して、アメリカ様に刃向かって来たら、どうするんだ? 君は国益のことを全然、考えていない。石油が欲しいのは、アメリカ様だけじゃないんだよ。君は、やっぱり国賊だナ。たとえテロで死んでも、靖国神社には祭ってやれないよ。小泉様にお参りしてもらえないぞ。それでもいいのか!

(国賊)クワバラ、クワバラ。







①(愛国心)・・・・・P.今、日本で、日本の人々を最も愛していない人は誰かナ?

 Q.K,A,etc,etc,・・・

 P. そんな連中だからこそ、「愛国心教育」なんて発想が出てくるのかナ?

 Q.国家は国民が作ったものだと言うことを知らない大臣がいるんじゃないの?

 P.大臣教育、代議士教育が大切だということか。

 Q,国家主義は戦争への高速道路だということを教えてやるのが大事だね。

 P.戦争を知らない大臣が殆どだから

ナ。何も解ってないんだろう。

 Q.国民あっての国家なんだ。国家とは国民に奉仕すべき機関なのだ、と、もう一度、敗戦時の原点に返って、個人の国家に対する優越を認識して貰わんと困るナ。



②9月21日、東京地裁は都立高校や養護学校の教職員の訴えに答えて、「2003年以来、東京都教育委員会が国旗に向って起立し、国歌を斉唱する義務があるとして、それに従わなかった教職員延べ345人を処分してきたのは、思想、良心の自由を保障した憲法に違反する」として、被害者に1200万円を支払うよう命じる判決を下した。

 近年、国民の個人的自由や権利が、支配層によって奪われるという由々しい事態が生じている。しかも国民の多くがこれに抵抗しない。マスコミまでが、これに同調して権力に与する場合が少なくない。これは満州事変前夜の状況に似ている。こうして多くの国民がマスコミ共々半ば放棄している個人の自由と尊厳、各人の思想、良心の自由を、司法が護ってくれたということは、まことに有難いことであるが、これを機に国民も自由の尊さに目覚め、自由を護るレジスタンス精神を取り戻すべきである。

 一方、東京都である。ここは芥川賞作家の率いる文化都市だ。ここまで教育委員会の横暴を許してきたとは何ということか。しかし、これからでも遅くはない。過ちて改むるに憚ることなかれ、である。速やかに非は悔い改め、処分は撤回して1200万円を支払って、今後の日本の民主主義発展の先頭に立つべきである。間違っても、面子にこだわって反省と謝罪を躊躇するようなことがあれば、それは芥川賞の権威を損なうものだ。かつて佐藤栄作がノーベル平和賞を受けて、世界の識者の顰蹙をかい、ノーベル賞の権威そのものをさえ疑わせるという事件があった。ここで「芥川賞よ、お前もか」と識者をして言わしめるような醜態だけは演じないよう、気をつけて欲しい。(






①(愛国心)・・・・・P.今、日本で、日本の人々を最も愛していない人は誰かナ?

 Q.K,A,etc,etc,・・・

 P. そんな連中だからこそ、「愛国心教育」なんて発想が出てくるのかナ?

 Q.国家は国民が作ったものだと言うことを知らない大臣がいるんじゃないの?

 P.大臣教育、代議士教育が大切だということか。

 Q,国家主義は戦争への高速道路だということを教えてやるのが大事だね。

 P.戦争を知らない大臣が殆どだから

ナ。何も解ってないんだろう。

 Q.国民あっての国家なんだ。国家とは国民に奉仕すべき機関なのだ、と、もう一度、敗戦時の原点に返って、個人の国家に対する優越を認識して貰わんと困るナ。



②9月21日、東京地裁は都立高校や養護学校の教職員の訴えに答えて、「2003年以来、東京都教育委員会が国旗に向って起立し、国歌を斉唱する義務があるとして、それに従わなかった教職員延べ345人を処分してきたのは、思想、良心の自由を保障した憲法に違反する」として、被害者に1200万円を支払うよう命じる判決を下した。

 近年、国民の個人的自由や権利が、支配層によって奪われるという由々しい事態が生じている。しかも国民の多くがこれに抵抗しない。マスコミまでが、これに同調して権力に与する場合が少なくない。これは満州事変前夜の状況に似ている。こうして多くの国民がマスコミ共々半ば放棄している個人の自由と尊厳、各人の思想、良心の自由を、司法が護ってくれたということは、まことに有難いことであるが、これを機に国民も自由の尊さに目覚め、自由を護るレジスタンス精神を取り戻すべきである。

 一方、東京都である。ここは芥川賞作家の率いる文化都市だ。ここまで教育委員会の横暴を許してきたとは何ということか。しかし、これからでも遅くはない。過ちて改むるに憚ることなかれ、である。速やかに非は悔い改め、処分は撤回して1200万円を支払って、今後の日本の民主主義発展の先頭に立つべきである。間違っても、面子にこだわって反省と謝罪を躊躇するようなことがあれば、それは芥川賞の権威を損なうものだ。かつて佐藤栄作がノーベル平和賞を受けて、世界の識者の顰蹙をかい、ノーベル賞の権威そのものをさえ疑わせるという事件があった。ここで「芥川賞よ、お前もか」と識者をして言わしめるような醜態だけは演じないよう、気をつけて欲しい。(右欄へ続く)



 また、この無気力な自由放棄の世相の中にあって、思想の自由、良心の自由を果敢に主張して、弾圧や処分を恐れず、職を賭して闘った345人の正義に忠実な教職員の方々に対しては、すべての良心的国民が双手を挙げて賞賛し、感謝と尊敬の心を持って接して行くと同時に、一人一人が今後は彼等に見習って声を挙げ、行動し、自由のための闘いを広めて行くことによって、日本の将来を明るいものにしてゆくことを誓うべき時であろう。(常陸太田市・中田)

12-26/連合は企業と政府のお抱えではなかったのか? との揶揄は誤解?

2016-12-26 13:57:40 | Weblog


「連合」は誰の味方なのか 神津里季生会長に聞く

12/26(月) 9:22 配信

日本最大の労働組合「連合」が揺れている。「同一労働同一賃金」「長時間労働の是正」は進まず、非正規雇用はこの四半世紀で全労働者の2割から4割へと激増。労働問題は山積みだ。同時に、政治との関わりでも大きな問題を抱える。支持してきた民進党が、連合が嫌う共産党と選挙協力を続けてきたからだ。いったい連合は何を考えているのか。就任から1年、会長の神津里季生氏に尋ねた。(ジャーナリスト・岩崎大輔、森健/Yahoo!ニュース編集部)

労働組合の存在感は低下していないか


──1990年に808万人だった「連合」の組合員数は、2015年に682万人まで減少していますね。


組合員が減ったのは、いくつか理由があります。1つは産業構造の変化。労働組合は昔からサービス業よりも製造業のほうが多いのですが、その製造業が産業構造の変化で減ってきた。次に、労働者全体ではこの20年で正規労働者が減ったのも要因です。その分、非正規労働者が増えた。ただ、連合も特にこの10年ほど、非正規労働者の組合員の加盟に重点を置いて取り組んでおり、その結果、連合の中で非正規労働者の組合員は約15%まで占めるようになりました。2007年には「非正規労働センター」を設置し、パートタイムなど非正規労働者の抱える課題を解決する取り組みを今まで以上に推進しています。


以前は連合本部自体が組合員を増やす活動を直接的にあまりしてこなかったのですが、今はかなり力を入れてきています。




組合員数の推移を示す神津会長(撮影: 塩田亮吾)


──120万人も減ったところに、労働組合の存在感の低下を感じます。


最近は増加傾向に反転しています。今年4月から9月までの半年間で13万5000人。この短期間でこれだけ増えたのは、連合が始まって以来のことでね。すごく大きな変化だと思っています。


連合=日本労働組合総連合会は、労働者側の権利を主張する日本最大の労働組合の組織である。おもに大企業の労組が加盟しており、賃上げや労働環境の改善などで労働者を代表して経営者(使用者)側と交渉するのが大きな役割だ。毎年1~2月、連合は労働者の意思を代表して、経営者団体の日本経済団体連合会(経団連)と賃上げについて話し合い、加盟労組が各企業と賃上げ交渉をする。春季労使交渉(春闘)という毎年恒例の行事だ。


連合が発足したのは1989(平成元)年。総評(日本労働組合総評議会)、同盟(全日本労働総同盟)、中立労連(中立労働組合連絡会議)、新産別(全国産業別労働組合連合)の4労働組合が、「労働戦線統一」として集結するなど1980年代初めからの動きを経て結成した。組織基盤には、繊維、鉄鋼、自動車、電機電子などの単位産業別労働組合(産別)、地方自治体職員の労組「全日本自治団体労働組合(自治労)」などがある。


──組合員が半年で13万5000人増えたのはなぜですか。


それぞれの組織の努力の賜物です。連合本部や地方連合会(都道府県単位の連合の地方支部)の取り組みとして有効だったのは、“労働相談ダイヤル”です。この電話にパワハラ、セクハラ、マタハラといった相談がいっぱい来るわけです。昨年は年間1万6000件。たとえば不当解雇と思われるケースなら、地方連合会が「これは不当解雇だから、ちゃんと権利を主張すべきです」と助言をし、一緒に問題解決を図りましょうと働きかけた。そうしたサポートをする中で組合員が増えています。


──ということは、それだけ労働問題も増えている。


そういうことです。




神津里季生(こうづ・りきお)1956年、東京都生まれ。東京大学在学中は野球部マネジャー。卒業後、新日本製鐵株式会社入社。専従役員になって以降、在タイ日本大使館一等書記官、新日鐵労連会長、基幹労連中央執行委員長などを経て、2015年10月より現職(撮影: 塩田亮吾)


神津里季生氏は、鉄鋼業の出身だ。東京大学卒業後、1979年新日本製鐵(現・新日鐵住金)入社。1984年から組合の専従(組合の業務だけを行う)となった。2013年に連合事務局長(専従)、そして2015年10月から同会長を務める。


神津会長の方針はきわめて現実的だ。就任後、安倍政権が掲げたGDP(国内総生産)600兆円の目標について、「絵に描いた餅」と批判するとともに、安倍政権が期待した春闘での3~5%という高めの賃上げ要求も「非現実的」とし、2%のベースアップ(通称ベア。基本給の賃上げ)要求という方針を決定した。政府が高い賃上げを推奨しているのに、労組の代表が低く要求するというねじれた事態。この神津会長の決定に対し、麻生太郎財務相は「3~4%の賃上げを要求するのが当然なのに」と神津体制を批判した。


だが、神津体制の方針は賃上げというときに、ボーナスなどの一時金で対応することは反対だった。通常、ベースアップというときに取りざたされるのは、ある産業の中心企業である。自動車であればトヨタやホンダ、日産に目が向けられる。だが、アベノミクスでそうした中心企業が賃上げをしても、子会社や中小企業、そして非正規雇用の労働者の賃金はあまり増えていなかった。そこで神津執行部は、それぞれの産業のピラミッドにおける下位組織までを対象とした「底上げ(賃上げ)」を図っていった。

「働き方改革」に実現性はあるか


──神津会長は官邸の「働き方改革実現会議」のメンバーで、同会議では「長時間労働の是正」「同一労働同一賃金の実現」を訴えています。この「実現会議」、実際、どれほど実現性があるのでしょうか。


僕らとしては、「同一労働同一賃金」や「長時間労働の是正」なんて、ずっと前から言っている。政権には「風呂敷を広げたからには、お題目で終わらせることはないでしょうね」と念を押しています。


──長時間労働の問題は、電通の若い女子社員の過労自死の件もあり、社会の関心も高い。連合はどう考えていますか。


連合が主張しているのは「量的上限規制」と「勤務間インターバル規制」の2つの法制化です。「量的上限規制」については、EU(欧州連合)では1週間で48時間を上限としていますが、日本でもその時間以上労働させない上限の労働時間をつくるということ。


「勤務間インターバル規制」もEUで導入されているもので、必要な睡眠時間や自分の時間が取れるよう、仕事が終わって、翌日の仕事が始まるまで「11時間は空けなさい」という規制です。一部の労組では春闘で取り上げ、数年前からKDDI、三菱重工などで導入しています。


ただ、現状ではまったく十分ではない。たとえば、僕の出身の鉄鋼業の場合、つねに三交代勤務で回している。製鉄の高炉は熱した鉄を扱うから、一度稼働させたら止めることができない。誰かが「連休を取ります」となれば、別の誰かが連続で仕事をしないと現場が回っていかない。そうした関係から、勤務間インターバル規制には抵抗感がある。けれど、そうした産業や業種の事情だけを認めていたら、いつまで経っても法制化できない。EUにも鉄鋼業はあるわけで、「なんで日本でできないの?」と。




関係閣僚と有識者からなる「働き方改革実現会議」の初会合は2016年9月26日に開かれた(写真: 読売新聞/アフロ)

中小は「大手追随、大手準拠」を脱却できるか


──賃上げも連合の大きな役割です。ところが、安倍政権になってから、政権のほうが賃上げを訴えかけています。官製春闘と呼ばれていますが、これは本来連合がすべきことではないですか。


それは40年前の裏返しなんですよ。1973~1974年、オイルショックの際、超インフレが起きた。当時、福田赳夫大蔵大臣は労働界のリーダーに頼んだんです。このままインフレで春闘に持ち込んで前年比33%増などというレベルがさらにヒートアップしていったら、経済がパンクしてしまう、だからベア要求を抑制するよう求めた。そこで相場形成を担っていた金属労組がそれを受け入れて、超インフレが収まったんです。


現在は、安倍政権がデフレ脱却を経営側に頼んでいる。その球を返すのは経営側の話。それをもって官製春闘と呼ばれる。しかし、この呼称は本来あるべき労使間の交渉という観点からすれば適切ではない。実際、経団連は2016年春闘を前に一時金(ボーナス)を含めた年収ベースで考えようと言い出した。それで僕らは「それはおかしい。上げるなら月例賃金でしょう」と押し返したんです。一時金で上げるような扱いでは、収益次第で賃金が上下させられてしまう。それは労働者のためにならないからです。


──神津体制では、中小企業や非正規雇用の処遇改善を重視すると報じられていました。具体的にはどういうことですか。


今年の春闘で強く言ってきたのは“適正配分”です。上流から下流までのサプライチェーン(製造業での原料調達から、製造、物流、卸、小売までの流れ)の中で、付加価値や利益をちゃんと配分しましょうということです。


──結果、どうなったんですか。


親会社と同額か上回る額の回答(労使間協議で賃上げに妥結した額)を引き出した関連会社や子会社が出てきました。


日本の悪しき風習で、子会社には“大手追随、大手準拠”みたいなものがある。だから、あえてそこからの脱却を方針に入れた。要は「中小(グループ会社)もちゃんと要求しよう」と。ここ最近の中で賃金が上がるようになって2017年で4年目ですが、大手と中小の賃金格差を圧縮したのは今年が初めてです。物価上昇がゼロに近いのにベアが実現したのも初めてです。


──そもそも、中小の賃上げを意識しているのはなぜですか。


デフレがずっと続いて20年。消費をあげようにも、中小や子会社の賃上げは大手と乖離するばかりだからです。そもそも中小には組合自体がないところがほとんどで、賃上げ運動ができない。全雇用労働者で労組に所属しているのは17.3%ですが、従業員100人未満の企業となると、わずか0.9%しか労組に所属できていない。


──労組がないも同然ですね。


そういう中小の社員だと「デフレで物価も上がってないんだから、今20万円だけど、来年も20万円で頑張って」と言われてしまう。でも、本来、ある程度の定期昇給というのがあるべきです。定期昇給がないのは賃下げと同じこと。こうした格差は放っておくと、どんどん拡大する。


──そういう場合、個人加盟できる労組もありますよね。


たしかにありますが、加盟しても労使関係の協議まですぐには持ち込める力がないところがほとんどです。だから、僕ら「連合」がもっとやらなくちゃいけない。そこで今年になって意識的に、各地の中小企業の経営者と直接、話しています。みなさん「正直、私たちも賃金を上げたい」と言うが、同時に「だが、それを妨げる問題もある」とも言う。その問題の一つは大手とグループ会社の関係です。だから連合も政策を考え、ともに課題を解決していきましょうと。実際に、そうした中小の会社では、連合の助言のもと、組合を新たにつくるに至ったところもあります。


──中小の経営者の立場として見ると、連合に労組までつくってもらうというのは、やや不思議に感じます。


でも、中小に組合がないとすれば、僕らが中小の社員に代わって賃金のあるべき姿を見せていかないといけないのかなと思います。




中小企業の経営者には、中小企業家同友会全国協議会、全国中小企業団体中央会などを通じた働きかけもしているという(撮影: 塩田亮吾)

どの政党をどう支援するか


課題山積みの労働問題とは別に、連合には頭の痛い問題がある。政治との関わりだ。


連合の前身団体は社会党(当時)や民社党(当時)を支持していた。その政治的な源流から連合も、発足以来、政権与党・自民党と対抗する勢力を支持する活動を行ってきた。とりわけ、1996年に民主党(当時)が発足してからは、同党を支援。2009年の政権交代では、支援団体として大きな役目を果たした。


だが、2016年春から連合は難しい立場に置かれている。夏の参議院選挙を前に、民進党が共産党と統一候補を立てる“選挙協力”に動いたためだ。連合はその前身団体時代も含め、共産党に強い抵抗感を示し、相容れない立場をとってきた。


──去る10月末、神津会長は自民党の二階俊博幹事長と会食の機会をもちました。それが報道されると、「連合は自民党に軸足を移しているのか」と一部から批判も出ています。


いや、そんな大げさな話じゃありません。僕らは働く者の政策を、各政党、与党でも野党でも説明してきています。共産党は除きますが。ところが自民党とは、民主党が政権を取った2009年から、ボタンの掛け違いもあって疎遠になってしまった。僕としては、自民党との関係を元に戻したかった。それで1カ月半ほど前に、旧知の森英介さん(自民・元法相)に頼んで、二階さんと話をさせてもらう場をつくってもらったんです。


──連合は長く、民主党の支持基盤として機能してきました。しかし、共産党との“野党共闘”、選挙協力以降は違ってきている、という見方があります。


いや、今も足並みは揃っていますよ。少なくとも、民進党と連合がもっている政策の距離感は圧倒的に近いです。




共産党の志位和夫委員長は2016年の参議院選挙で、野党共闘に積極的な姿勢を見せた(写真: アフロ)


──今年7月の参議院選挙では民進党と共産党が一人区の32選挙区で協力しました。共産党がほぼすべての一人区で候補を立てず、そこでの野党票が民進党へ流れた結果、一人区は3年前の参院選での2勝29敗から11勝21敗と民進・共産は大幅に当選数を増やしました。しかし、連合は、こうした民進党と共産党との選挙協力、野党共闘に「(共産党は)理念が異なる」と否定的なコメントを寄せました。なぜですか?


小選挙区でそれぞれ候補者が出れば票が割れる。それが野党の候補に不利なことは間違いない。だから、候補を一本化して政治の世界で成り立つのなら、それはどうぞやってくださいと言うしかない。問題は、僕ら連合がその候補と政策協定が結べるかです。政策が合えば推薦もするし、応援もする。ただ、選挙協力の現場に出てくる市民団体のみなさんは、僕らとやっていける人なのかどうか。実は中身は純粋な市民団体ではなく、地域の共産党員の方なのか……。地域によって、全然違いますからね。


──やはり共産党とは手を結べない。


そこは一線を画します。共産党は連合に対して、歴史的に攻撃してきたとか、あるいは強い影響を与えようとしてきた存在ですから。


連合結成の時も「共産党を支持したい」と離れていった人たちがいる。そうした人たちが「統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)」という(共産党系の)組織に合流してできたのが「全国労働組合総連合(全労連)」。僕ら連合の路線とまったく違うのです。


だから、選挙の現場で一生懸命やっている人からすると、志位(和夫共産党委員長)さんと僕ら応援する候補者が握手するなんて耐えられない。選挙事務所で共産党の人と一緒にやることも耐えられない。




2016年の参議院選挙で民進党の街頭演説に加わった神津会長(写真: 田村翔/アフロ)


──次の衆議院選挙も民進党が「野党共闘でいきます」としたらどうしますか。


僕はね、“共闘”という言葉に違和感をもっている。“共闘”というのは文字通り政策も合わせていくことでしょう。しかし、共産党と同じ政策なんてできるのか。


消費税とか社会保障、さらに言えば、天皇制や自衛隊への考え方。国の在り方に関わる根本がまったく違うでしょう。なのに、形だけ協定を結んで、お互いに推薦し合うのは欺瞞だと思っている。それが“共闘”なんですか、と。


──しかし、野党が協力しなければ“自民一強”を崩せない現実もあります。


実を言えば、政権交代となった2009年夏の総選挙、当時民主党代表代行だった小沢一郎さんは共産党の志位さんと水面下で話をし、100人以上の共産党の候補が立候補をとりやめたのです。


後になってそのことを聞き、小沢さんが水面下でとりまとめたその技術はすごいと思いました。つまり、放っておいたら与党の強い力に負けてしまう。何の話し合いもしないで候補が乱立するのはよくない。ですから、今4野党で話し合いをしている“選挙協力”を否定はしません。しかし、全面的な“共闘”は違う。

「原発再稼働もありうべし」の意味は


──連合は政治のどこまで関与するのですか。


僕らは労働組合ですから、政治に対しては、あくまでも応援団です。民進党がもっと大きく強くなり、世間にアピールし、ファンを増やしてくれ、という立場でしかない。政治の世界の“共闘”“協力”に対してどうこう言うことではなく、応援団としてどう考えるかということです。




日本最大の労働組合である「連合」は、前身団体時代から連なる労働運動の歴史を背負ってもいる(撮影: 塩田亮吾)


──では、たとえば連合は原発に対してどういう姿勢ですか。連合は各地に電力労組を抱え、その雇用のために原発支持ではないか、と見られています。実際、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働が大きな争点となった10月の新潟県知事選では、もともと民進党は米山隆一氏(現知事)を立てようとしていましたが、米山氏が原発再稼働反対を掲げたことで電力労組をもつ連合新潟が反発、民進党は自主投票に踏み切ったと報道されました。つまり、新潟県知事選では民進党と意見が一致しなかった。連合としては、やはり原発再稼働ありきなんですか。


その新潟県知事選について言うと、当時の報道が事実に反しているんです。米山さんは次期衆院選の候補で、連合新潟は米山さんと政策協定もあって応援することになっていた。また、新潟県知事選では、当初は泉田裕彦前知事と自民が推す森民夫という構図だと思っていた。


ところが、泉田氏が選挙戦から降りた。そこで連合新潟は、米山さんを含めた独自候補の擁立を民進党新潟県連に働きかけていましたが、県連は独自候補の擁立断念を連合新潟に伝えてきました。その県連側の理由はわかりません。県連の中で意思統一ができていなかったのでしょう。そこで連合新潟は長岡市長時代に推薦していた森民夫さんを、“推薦”よりも低い“支持”と表明した。その数日後、米山さんは他の野党3党の支援を受けて出馬を表明され、当選されたという経緯です。つまり、エネルギー政策=原発支持だから森支持を決めた、というわけではないんです。


原発については、福島の原発事故のあと、2012年9月に連合として考え方を一本にまとめました。


まず将来的、最終的には原子力エネルギーに依存しない社会を目指していく。エネルギー政策では、生活者の視点を第一とする。その考え方の下に、すべての産別が連合としてまとまり、原発への依存度を下げていく。


一方で、現実に即して「安全性が国の責任の下、確認され、地元の同意が得られたものは再稼働もありうべし」ということ。


──現実路線と映りますが、要するに、原発支持ではある。


往々にして、メディアはそこだけ切り取るけど、原発ありきではないんです。実際、休止中の原発だって、中には燃料棒を抱えているわけで、リスクは変わりません。そして、今すぐ廃炉にはできない現実がある。そういう現実に立脚してさまざまな意味でのリスク管理をするのが、一番すべきことでしょう。


将来的には原子力エネルギーに依存しない社会を目指しつつ、国家財政や経済面でもちゃんと国民生活を成り立たせる。単純な二項対立ではなく、現実的に考えるしかない。




民進党の蓮舫代表、野田佳彦幹事長(写真: 読売新聞/アフロ)


──今の蓮舫代表、野田佳彦幹事長体制はどういう評価ですか。


いいんじゃないですか。素晴らしいと思っていますよ。


──ほんとうですか?


ほんとうに。蓮舫さんはやっぱりアピール力はあるから。台湾の二重国籍問題で出足からつまずいたけど、政治の世界では華がなきゃダメだから。


政治の世界は依然として男性が幅を利かせている。女性が本当に活躍しないと。政治の世界、経済の世界で女性が埋もれたままでいると、この国は沈没すると思います。蓮舫さんはその象徴だから本当に頑張ってほしい。そんな中で幹事長を引き受けた野田さんは火中の栗を拾うようなもの。2012年の「社会保障・税一体改革」で民主・自民・公明の「三党合意」を成した首相としての実績があり、いまさら幹事長という役職を引き受けてもプラスになることはないのに、よく引き受けられたなと。身を捨てて頑張っている。


──連合に加盟している組合員は大企業の正社員が中心ですが、全労働者5385万人のうちの37.6%にあたる2025万人が非正規労働者になった現在、労働者の分断が起きていませんか。


連合はすべての労働者の思いを代弁しなきゃいけない。冒頭にもお話ししたように、非正規の組合員の増加がジワっと進んでいます。非正規の連合組合員は100万人近くになった。ただ、満足しているわけではない。もっと理解を広めていかねばいけないと思っています。

12-26/奇襲は日本の伝統。何を今更…「暴くのは無神経すぎる」との声も。

2016-12-26 13:48:51 | Weblog

「真珠湾」通告遅れは意図的か 対米開戦に新説 九大教授が米記録発見

西日本新聞 12/26(月) 10:29配信



「真珠湾」通告遅れは意図的か 対米開戦に新説 九大教授が米記録発見


三輪教授が米国公文書館で入手した米軍資料。訂正電報を傍受した記録が暗号で記されている


 太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、日本外務省が意図的に電報発信を遅らせたことが原因とする説が浮上している。九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が、通告の訂正電報を外務省が13~14時間遅らせて発信していた記録を、米国公文書館(メリーランド州)で発見した。開戦から75年。安倍晋三首相がハワイ・真珠湾を訪問するが、通告の遅れに関する真相究明が進んでいる。

【画像】入手した米軍資料。訂正電報を傍受した記録が暗号で記されている

 日本が日米交渉の打ち切りを米国に伝えた「対米覚書」が、開戦通告と位置付けられている。

 三輪教授が発見したのは、覚書の一部である二つの電報の発信記録。外務省が大使館に発信し、米海軍が傍受したもので、1941年12月7日の「午前0時20分」と「午前1時32分」(いずれも米東部時間)とある。この電報の存在と時刻が何を意味するのか。
.

電報は14部に分けて発信

 旧日本軍が真珠湾攻撃を開始したのは、同7日午後1時19分。覚書が当時のハル米国務長官に手渡されたのは1時間後の午後2時20分だった。この遅れが、米国から「だまし討ち」と批判される原因となった。

 覚書は、外務省が発信した暗号電報を大使館が解読し、英文に直してタイプライターで作成した。長文のため、電報は14部に分けて発信された。

 1~13部は同6日午前8時~11時25分に発信されており、内容はこれまでの日米交渉を確認するにとどまる。交渉を打ち切るという「結論」は14部で初めて分かるが、ぎりぎりまで機密を保持するため、13部から約15時間後の7日午前2時38分に発信された。
.

二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」

 現在の通説はこうだ。大使館は6日中に13部までをタイプライターで清書し、7日朝に14部を追加すれば開戦前に通告できたはず。しかし、大使館は7日朝から1~14部の清書を始めたため、間に合わなかった。6日夜に大使館内で送別会があっていたことなどから、大使館の「怠慢」が通告遅れを招いた-。

 だが、三輪教授は、元外務省ニュージーランド大使の井口武夫氏が2008年の著書で触れた訂正電報の存在に注目した。当時、大使館の1等書記官だった奥村勝蔵氏が、1945年に「夜半までに13通が出そろったが、後の訂正電信を待ちあぐんでいた」と陳述していた。

 三輪教授は、大使館が1~13部の「訂正電報」を待っていたため、清書ができなかったとする仮説を立てた。訂正が175字に上っていたことも外交資料で分かった。当時のタイプライターは途中で挿入や訂正ができない。大使館は「訂正電報」が届くまで清書ができなかったのではないか。

 発見した二つの電報は、他の電報の詳細と突き合わせた結果、「訂正電報の可能性が極めて高く、奥村証言を裏付ける証拠」と三輪教授は読む。13部が発信された6日午前11時半から、二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」がある。この間、大使館は清書ができない。

 これが事実とすれば、では何のために、外務省は訂正電報を遅らせたのか。

=2016/12/26付 西日本新聞朝刊=
.
西日本新聞社


【関連記事】
何のために、外務省は訂正電報を遅らせたのか 陸軍が指示? 真珠湾攻撃に新説
「価値ある物的な証拠」「内容不明で判断困難」真珠湾攻撃に新説 専門家に聞く
土下座写真、“やらせ”だった? 終戦した8月15日の朝刊掲載
「落ちたのが公園で良かったですね」原爆資料館で感想を話す修学旅行生たち
「私の仕事は遺体を焼くこと」原爆投下直後の長崎市に入った…


最終更新:12/26(月) 12:10

12-25/残したい東祖谷(奥祖谷)の地名と史跡≁安徳天皇御陵なども

2016-12-25 01:32:09 | Weblog

 (活彩祖谷村村長の手作りの新聞)・・・・・徳島県剣山の麓の村、祖谷は言うまでもなく本書の主人公、長尾浩美の故郷として「時の流れに」(祖谷渓挽歌)の筆者(藍友紀=あい・みゆき)が、主人公長尾浩美の出身地としている地。ここは平成の大合併の名の下に、骨太の方針に則り、政府の地方切り捨て、福祉切捨て、費用の住民への負担転嫁などを目的に合併を迫られ、三好市となった。この厳しい条件の中で、「旧東祖谷山村の活性化を住民の手で進めよう」と、同村今井の市岡日出夫氏の発案で、今年(06年)3月に発足したのが仮想村の「活彩祖谷村」である。このまま放置すれば「村の良さである住民同士のきずなも失われないか。そんな危機感から」祖谷を愛する人々が有志村民は勿論,村外、県外、海外からも参加して結成した。村長に選挙で選ばれた市岡さんが中心となって極彩色の新聞「てんご新聞」を発行して村民に配布している。(サイトの「活彩祖谷村」の項、参照)

 筆者藍は、「祖谷渓挽歌」著述のため、東祖谷に延べ2ヶ月以上、滞在したので祖谷を愛すること限りなく、一時は祖谷移住を希望したこともある程なので、早速志願して村民に加えて頂いたが、この度「てんご新聞」の7月号(06年)が送られてきた。B4版2面の新聞だが、「村民が100人を越えた」などの記事に加えて、この地に咲く高山植物系の季節季節の花々を直接、撮影した写真の色彩の美しさには心奪われる。今月号にはオオヤマレンゲ・イヤギボウシなどの花が紙面を飾っている。とくにイヤギボウシの花一つ一つが山霧の露に濡れている風情など、筆舌に尽くせぬ美しさ。

 なお、この程、村長の市岡氏と手紙を交換するなかで、長尾孫夫氏の御母堂が、村長の近縁の方だったことも判り、この奇遇に一際感激。恥ずかしながら筆者、度重なる取材にも拘らず、御母堂が旧姓市岡さんだったことを忘れていたという迂闊さに、改めて失礼をお詫びせねばならなかった。

 筆者としては事情が許せば、近々東祖谷を訪れて村長のお話を伺い、久しぶりに長尾孫夫氏の墓前に参じ、できれば有志と一緒に墓前寮歌祭を行いたいなどと考えている。

 なお昔の東祖谷の描写は元落合小学校体育訓導だった菅生甫氏や元村長喜田徳太郎氏の次男、徳氏などのご教示によるものだが、観光で知られる現今の祖谷とは程遠いので、拙作は今は全くの昔話である。

 ご参考までに「てんご新聞」には、{誰でも村民、何処に住んでいても村民!申込みは住所氏名を連絡するだけ!」とある。祖谷を愛する人なら誰でも、徳島県三好市東祖谷村今井(番地不要)」の市岡さん宛に申し込めば、村民になれるようである。村民になって剣山登山や、祖谷川の瓦でのアメゴのヒララ焼き。かづら橋わたり、温泉宿泊や平家の里の探訪を行えば、興趣は尽きないのではないだろうか。「06年7月13日追記/文責・藍)




(前頁に続く)京大は何ゆえ敗れたのか? これが時代の趨勢だったと言ってしまえば、それまでである。既に昭和6年9月の満州事変開始によって30年戦争の火蓋は切って落とされている。日本の大陸侵略は、石原完爾の世界最終戦争をも視野に入れて、その歩みを踏み出した。これによって日本は世界から孤立し、もはや引き返すことは出来ない。それを考えれば、自由主義は早晩抹殺される運命にあった。「学の自由」も亦、許さるべくもなかったのである。

 だが、それにしても、この完敗ぶりは、どうだろう。自由の最後の砦としては、余りにも呆気なく落城してしまったのではないか。それについて著者は、京大内部で既に自由の伝統が崩壊していたと指摘する。かつて一高から転じてきた学生自治の始祖、木下廣次が種を蒔き、若き日の佐々木惣一教授が指揮をとって沢柳総長を文部省に追い返して教授の任免権を教授会の管理下においた輝かしい自治・自由の伝統は、平沼騏一郎の主宰する国本社の学者理事,荒木寅三郎を4期14年にわたって総長に選出し続けたという愚挙を演じることによって、完膚なきまでに打ち砕かれていたのである。荒木がいなければ、かの近衛文麿をして東大を去って京大に赴かしめた河上肇の追放も易々とは行われなかっただろうし、瀧川事件の原因となった蓑田胸喜の講演会も、催されなかっただろう。事件勃発時の総長だった小西重直にも、少なくとも学者としての信念の欠如は指摘されねばならないし、辞任後には超右翼的論文を数多く発表して識者の首を傾げさせた。最終局面で教授たちの辞表を一括して鳩山文相に手渡して、玉砕か瓦全かの選択を鳩山の恣意的な判断に一任した松井総長の飽くなき出世欲と見事な裏切りに至っては、何をか言わんやである。

 他学部の教授たち特に長老教授らの腐敗ぶりも正視するに耐えない。評議員会でも法学部教授会を支持する者がいない。若年ゆえに発言を遠慮していた農学部の評議員湯浅八郎が見かねて法学部擁護の発言をしたので、ようやく評議員会も法学部教授会の主張を認める形で決着したという。湯浅は,この後まもなく「京大がいやになった」と言って職を辞するが、後に同志社大学の総長に推されたのも宜なることと言えよう。(第2号に続く)



















12-24/藍みゆきの著作について

2016-12-24 04:10:36 | Weblog

京大瀧川事件~つづき

[藍 友紀(あい・みゆき)著作の本]


 ① 城ヶ島の雨ほか二篇

      ISBN4-902834-56-1 C0093

     内容 1、城ヶ島の雨(梁田貞氏と英語教諭安藤氏との

          友情物語。梗概は次頁に)

         2、鬼の長兵衛(釧路港に於ける中部鮭鱒創業記

           ~香川県の船頭、樺山長平氏の思い出・・・・・       

          釧路新聞に連載した「船頭一代」の改稿版)

         3、自営船物語(近藤康男編「漁業経済研究」に掲

          載した論文「漁民層分解を促進した漁協自営優

          先制度」を小説化したもの。上の論文はNHKで

          昭和36年に放送した原稿に補筆したもの)

     制作 岩波出版サービスセンター

     発行 はまなす文庫

     発行日 2006年6月21日

     頒価 1500円(送料当方負担)

     申込先 

       「北海道釧路市桜ヶ岡7-33-6(郵便番号085-               

     0805)はまなす文庫あてに葉書でお申込みください。

     手数料無料の郵便振替用紙をお送りします。

     なお振替口座は

    (02770-4- 75535 京大瀧川事件研究会)です。

     * 上の三篇は、いづれも北海道関連の短編小説です。

     * 納入図書館

        国立国会図書館

        札幌市立中央図書館(改稿前の旧版「笛の音うる   

       む」も)

        釧路市立図書館

        香川県立図書館

 ② 祖谷渓挽歌(いやだに・ばんか)

     ~「学の自由」に殉じた若き京大生を悼みて~ 

           第1巻~第5巻

   ISBN4-902834-51-0,52-9,53-7,54-5,

      55-3。  C0093

     制作  岩波ブックセンター

     発行  はまなす文庫

     発行日 2006年5月26日

  * 本品は非売品のため、恐れ入りますが下記図書館で

    お読み下さい。

      国立国会図書館

      徳島県立図書館

      釧路市立図書館   

 ③ 祖谷渓挽歌(旧版)上中下巻 

   06年12月に増刷予定ですが、お急ぎの方は恐縮ですが、

   下記図書館でお読み下さい。

   *納入図書館

     国立国会図書館(「滝川事件に死す」上中下)

     徳島県立図書館(「時の流れに」9巻本)

     京都府立図書館(「時の流れに」上中下、「同」9巻本)

     高知県立図書館(「時の流れに」上中下)

     札幌市立中央図書館(時の流れに」上中下)

     釧路市立図書館(「時の流れに」原版、上中下)

今後の刊行予定

  * 2017年6月「散りにし花」~北九州文学賞最終予選で大賞候補となるも、史実に誤りがあることが判り、落選。その書き直し並びに補筆。梁田貞氏と山田耕筰氏など。柳兼子や荻野綾子氏の活躍にも触れる、特に白銀のソプラノと歌われた荻野さんの終戦を直前にしての死を惜しむ叙述に注目されたい。日本の歌曲とフランスの歌曲を結んだ功績を称賛。深尾須磨子との関わりにも交換する所あり。

  *「ふみ子抄」~2017年秋に発表

  *「父を恋ウ」~北九州文学賞で「佳作」に入選した作品の増補版

  *「明け初める海」~伊豆の伊東市富戸で活躍した村山漁協長の一生

  *「知られざる無名戦士栗田好美、苦難の生涯」~温厚の共産主義者(茨城県茨城町)

  *「自伝」
(時の流れに~租谷渓挽歌の梗概~前承)

 長尾浩美が県立徳島中学に入学したのは大正14年、鳩山・松田らの執拗な抵抗を打ち砕いて男子普通選挙法が制定された年である。けれども枢密院に拠る伊東巳代治らは、それと引き換えに国民大衆の監視、束縛を図るため、世界に冠たる悪法「治安維持法」を公布施行した。これは日本が暗黒時代の泥沼にのめり込んで行く道を開く端緒となった法律である。

 けれども長尾の担任が、小学唱歌『鳴門』の作詞で有名な国語教師、宮本村雄だったことは、彼にとって幸いだった。宮本は生徒たちに自由や平和の尊さを教え、特に長尾については詩作の才能を認めて、個人的な指導までしてくれた。長尾も師の教えをよく守り、中学2年になると徳島教会に通ってアメリカ南部長老派の牧師ローガンから、キリスト教の説くヒューマニズムを学んだ。この教会は、賀川豊彦が洗礼を受けた教会でもあり、長尾はここで『死線を越えて』を読んで深い感銘を受けた。この本が結局、長尾の思想を決めることになる。彼はその後、高知高等学校を経て昭和8年、京大法学部に進むが、その時、瀧川事件が起きる。この事件が、人気絶頂の自由主義刑法学者、瀧川幸辰の失脚を狙った右翼の策謀だったことは、その後の松尾教授らの歴史研究で完全に解き明かされているが、策謀に踊らされた鳩山文部省は理非を弁えぬ攻撃を瀧川教授に加えて罷免を図る。しかし、この罷免に肯んじない法学部教授会は、連袂辞職を以て文部省に対抗する。学生たちも長尾の高知高校以来の先輩,渡邉貞之助を団長に選び、結束して教授らの擁護と責任者鳩山一郎の辞職を要求して戦うが、右翼、文部省、軍による攻撃は熾烈を極める。長尾は身を賭してでも正義を貫こうと、渡邉を助けて学生の先頭に立ち、東大や東北大の応援をも得て抵抗運動を続けるが、侵略戦争の開始を目前に控えて自由主義勢力の抹殺を図ろうとする権力側は,瀧川闘争を左翼運動と決め付け特高による拷問を武器として弾圧を強行する.美濃部達吉、大内兵衛、長谷川如是閑,新居格,岩波茂雄らの学者、文化人、知識人らも挙って京大側を応援し文部省を批判するが、鳩山は遮二無二瀧川処分を強行して、日本に残された「学の自由」の最後の砦を破壊する。(③に続く)





(政治の動き)~06年6月追記

  医師によるリハビリ治療が06年4月から半年限りで打ち切られることになった。是に対して、患者や医師からも反対の署名運動が起きているとか。

 こんな弱者斬り捨てに、いそしむ国を、貴方は愛せますか?    (甲府市・磯野)

 この5年間は、ニホンの国民にとって失う事ばかりの年月だった。雇用条件の悪化、医療を始め、あらゆる福祉の切り下げ、大衆課税の強化などなど挙げれば際限が無い。何か改善されたことがあったかと血眼で探し回っても、発見するのは容易でない。是に引き換え、企業減税など大資本にたいする優遇は抜け目なく行われて政治献金の源を確保し、道路公団の廃止や高速道路建設の見直し、天下りの阻止など、国民の利益に直結する施策は悉く掛け声倒れ、防衛庁の防衛省への昇格など、アメリカ従属一辺倒の軍備増強は着々と進められて、アジアに於ける日本の孤立化は決定的となった。

 この”失われた5年間”を、次の内閣は取り戻さねばならぬ。恐らくは史上最悪の内閣と後世の史家から評価されるであろう現内閣の速やかな消滅を期待する。(世田谷・山岡) 




12-23・戦争放棄の頃~藍 友紀

2016-12-23 01:50:26 | Weblog
 (昔) 憲法第9条・戦争放棄

  (今) ?昔の誓は今いづこ?

 21世紀は世界唯一の核被曝国日本が先頭に立って、今世紀を戦争の無い平和な世界にしようと動き始めなければならない年だった。だが現実はどうか。今や世界全体を巻き込んだ戦争が地球上を覆い始めている。今や武器の主役は大砲や戦車ではなく核になった。その終着駅は人類の滅亡であり、ハルマゲドンである。既に1963年、世界はキューバ危機で、一触即発の事態を経験し、その怖ろしさに慄いた。その時、我々は超大国の独占的な核保有による戦争の抑止には、もはや限界がきていることを学んだはずである。戦争を廃絶するためには軍備の縮小から軍備の廃止へと進む以外の道はあり得ない。それなくして戦争を回避し得るほどの叡智も理性も勇気も、現代の人類は持ち合わせていない。金銭欲と権力欲のためには、人類とくに先進国の富める人類は、容易に良心と正義感を悪魔の手に売り渡して、世界制覇への道を突っ走ろうとしているのである。大量破壊兵器によるハルマゲドンへの道である。その大量破壊兵器を世界で最も多く保有している国は何処か。世界規模での軍縮、世界規模での戦争放棄を呼びかけるのでなく、世界の警察官の名の下に、世界制覇を目指している国は何処か。また、その野望を支持している国は、何処か?

 顧みて昭和8年5月26日、右翼に操られた東大出の文相鳩山一郎は自由主義の刑法学者瀧川幸辰を罷免して文化を破壊し、軍国主義に道を開いて、以後の日本を暗黒の底に突き落とした。無知な鳩山を唆して、この暴挙を行わせたのは、かねて瀧川に私怨をもつ右翼の学匪蓑田のアジ文書だった。この年、ヨーロッパではヒットラー内閣が成立し、4月23日には議会による独裁が承認され、5月10日には焚書が行われている。東西呼応したような自由主義への弾圧は、12年後広島と長崎の街を原爆で焼き尽くし、市民の大部分を焼き殺すという悲惨な犠牲を払ってようやく終った。

 当時の連合軍を率いるアメリカは、民主主義・自由主義の国であった。彼らは敗戦国の日本に自由を許し、民主主義を教え、平和憲法を与えて、日本を世界一幸福な国にした。

 しかし今、50年余を経て始まった世界平和の破壊は、何であろう。テロの非を否定する者はいない。恐らくはテロリスト自身、テロを良いこととは考えていないだろう。然らば戦争は如何? 広島・長崎で何万の非戦闘員を殺した戦争、南京大虐殺、アウシュビツの虐殺をも含めて戦争ならば人の命は失われてもよいのか。

 我々はテロも戦争も許せない。弱者に対する戦争も、強者に対するテロも、共に人類に対する犯罪である。戦争の罪は特に重い。「原爆許すまじ」である。

 20世紀は戦争の世紀だった。平和憲法の恩恵に浴した日本は別として、世界中の人類の多くが戦争の惨禍に苦しんだ。我々は21世紀を戦争もテロもない平和で幸福な世紀にしたい。私達は歴史に学びながら、その行方に監視を怠ってはなるまい。この新しい世紀に戦争やテロを持ち込む輩を許すまい。

 今,あえて瀧川事件を取り上げる所以である。

 今年の5月26日は、昭和8年に起きた瀧川事件の70周年にあたる。これは時の文相鳩山一郎が、京大の花形自由主義教授瀧川幸辰とその同僚教授らの事実上の罷免を強行して,学の自由を奪い、結果的に日本を軍国主義の支配する暗黒時代に導いた弾圧事件である。京大を始め,東大や東北大などで熾烈な学生運動が起こり、長谷川如是閑、美濃部達吉、岩波茂雄など当時の日本を代表する自由主義的文化人,知識人も一斉に抗議に立ち上がったが、無知な鳩山は頑として処分を強行した。これは<瀧川教授は共産主義者だ>との讒訴が右翼からあり、これを鳩山が真に受けたからである。この時、若い京大生長尾,浩美は、恩師らを護ろうと命がけで活躍するが,当時の特高警察は、瀧川事件を左翼運動と誤認して、容赦の無い検挙と拷問によって学生達の運動を弾圧した。

 

 長尾浩美は、徳島県東祖谷山村の出身で、徳島中学から旧制高知高等学校を経て京大法学部に進んだ。長尾は高知高校一年のとき、寮歌『時の流れに』を作詞した自由主義的なロマンチストである。

 (記念祭歌)『時の流れに』は、全国の旧制高校など40余校の寮歌およそ三千の中で、人気投票(寮歌研究会「若蛙の会」による)第一位にもなった名歌である。筆者が初めて長尾を知ったのも,この寮歌を通じてであった。

 そこで先ず、その歌詞を紹介することにしよう。

   記念祭歌 時の流れに(昭和5年)

 ①、時の流れに舟浮かべ  情けの調べ奏でつつ

   果てなき旅に出でしより  ここに はたちの齢へぬ

 ② はからず今宵 南瞑の  古城の畔 舟をつけ  

   三年の夢を結ばんと 友と岸辺に降り立ちぬ

 ③ ああ海原に陽は沈み  この白浜を夕月の  

   淡き光の照らす時  桂の香り身に迫る

 ④ 沖に自由の白き帆や  岸辺に赤き自治の花

   ああ若き日の憧れを  青空高くあげんかな

 長尾は明治四十五年六月十五日に生まれている。石川啄木が死んで一月ほど経った時である。偶然ではあろうが、長尾は容貌が啄木に似ていた。友人たちは彼を啄木の生まれ変りだと言った。そのせいか、彼は啄木を尊敬するようになり、その生き様を真似るようになった。特に晩年の啄木が大逆事件(明治43年)に強い関心を持ち、半ば命を懸けて真相を明らかにしようとした態度には感銘を受けた。

 大逆事件では幸徳秋水ら12人が処刑されたが、実際に法律違反のあったのは5人で、幸徳は冤罪だった。彼が処刑されたのは、社会主義者の抹殺を図った桂首相と平沼騏一郎検事総長が傍聴禁止,一審制の謀略裁判を強行して、幸徳を謀殺したのである。このことは外国では直ちに露見して、多くの抗議が政府に寄せられた。      

 日本の良心と言われた徳富蘆花も逸早く真相を知った。それを聞いた一高の自治寮委員長河上丈太郎は蘆花jに講演を依頼した。蘆花は一高の講堂を埋め尽くした生徒たちを前にして、多磨霊園にある井伊直弼の墓と吉田松陰の墓について、言った。松蔭の墓には慰霊の花が絶えたことがない、しかし直弼の墓を訪れる者は稀である。将来,幸徳は無実が晴れて国民の尊崇を集め、逆に事件をフレームアップして幸徳らを処刑した桂や平沼は、陰謀が露見して国民から糾弾される事になろう、と説いた。蘆花が講演を終わると、満場の生徒たちが涙を拭いながら、会場も割れんばかりの拍手を送った。しかし、この事は直ちに当局の耳に入り、一高の校長だった新渡戸稲造は、小松原文相から譴責処分を受けた。しかし新渡戸は河上を賞賛し、激励したという。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~

    [著者・藍 友紀氏紹介]

 藍 友紀(あい・みゆき)氏が筆名を藍原友紀から変更したのは、女性姓名判断師の忠告に従ったものだそうです。なお継続発表中の作品については、引き続き藍原姓をも併用するとか・・・・・

  1930年生まれ。

  1946年東京府立第一中学校4年修了

       旧制第一高等学校理甲入学

  1947年 旧制第一高等学校理甲中退

       旧制第一高等学校文丙入学 

   1950年 旧制第一高等学校文丙卒業

       東京大学文科2類入学

  1958年東京大学文学部史学科(西洋史)卒業

       NHK釧路放送局放送部勤務(プロデューサーディレクター)~代表作品「飢え迫る開拓地」「返らざる島をみつめて」他。

   1962年 NHK東京本部教育局教養部勤務。「教養特集~出稼ぎ」「村の記録~新しい浜辺に」などを担当。その間、国際番組コンクール「日本賞」に入賞するなど、顕著な活躍をする。しかし第4班のプロデューサー・デスクの時、ベルリンで開催される「テレビ番組国際コンクール」出品作「日本の漁法」の制作姿勢について上司と意見合わず。家庭の事情もあって辞任を決意。

   1965年 NHK退職

    以後、代々木ゼミナール臨時講師を経て、共学センターで私大医学部志望高校生の専任講師となり、数学・物理・化学・英語を教授して、教え子全員の現役合格と医師国家試験の卒業時一発合格を達成する。また医大生の個人教授を勤め、医学界腐敗の酷さを知り、その改革を訴える。

1965年以来、雑誌『漁村』に評論・ルポなどを発表.。以後、同誌の定期出稿者となる。近藤康男元東大教授に師事し、漁業経済学会会員。 1978年には 『釧路新聞』に『船頭一代』を連載。現在、北海道釧路市桜ヶ丘7-33-6在住(郵便番号085-0805、本籍地も同じ)。

(註)寮歌「時の流れに」と「瀧川事件」関係の資料については、上記釧路の”京大瀧川事件研究会”あてに葉書でお問い合わせ下さい。

    ~~~~~~~~~~     

 [藍 友紀の主な作品]

   羽織漁師

   庄内浜日記

   八木家の人々

   流氷の来る浜

   白髪の踊り子たち

   明けそめる海 

   時の流れに

   父を恋う

   散りにし花

   笛の音うるむ(松江高等学校寮歌・作曲 梁田 貞(城ケ島の雨、どんぐりコロコロ、昼の夢などの作曲者)

   ふみ子 など

(提携団体)「京大瀧川事件研究会(代表幹事・中村博志=歴史研究家。会長・谷津精衛=やづせいえい=旧制一高文丙昭和25年卒・旧制高校など3000曲の寮歌を歌う集い『若蛙の会』の発起人にして主宰者・大門寮歌祭委員長)と緊密に連携して評論活動を行う。

 なお「同研究会」は、テキストとして、次の書を使用する。

① 松尾たかよし著「非常時下の知識人~京大瀧川事件の場合」(藤原彰/今井清一編/十五年戦争史第一巻・青木書店刊)

② 谷津精衛選・「若蛙の会」愛唱寮歌集第一巻ー222曲所収~入手方法は同前。

 選者谷津精衛氏は1930年生まれ。昭和25年旧制高知高校中退・旧制一高文丙卒業。旧制八高出身で同じくNHK出身の鈴木啓一氏らを誘って「若蛙の会」を創設し、主宰者として、全国旧制高校ならびに準旧制高校の寮歌3000を歌い尽くし、佳曲は定期歌唱会で斉唱。後世に歌い継ぐことを悲願としている。他に「大門寮歌祭〔目下休止中)委員長、元一高常泉玉杯会幹事。「寮歌迷人会」主宰。        (以上中村記)

12-26/禁煙による客の減少? 困るのはJTだけとも・・・・・

2016-12-16 10:54:07 | Weblog


たばこのない五輪 実現可能か
12/16(金) 9:06 掲載 .


[イメージ写真]「たばこのない五輪」は実現可能? 不可能? (写真:アフロ)(THE PAGE)


小規模店舗は及び腰「たばこのない五輪」は実現可能? 不可能?

 東京オリンピックに向けて、厚生労働省が検討している本格的な受動喫煙対策について、反対意見が相次いでいます。特に小規模店舗からは、喫煙室の設置は現実的に難しいという声が上がっているようです。日本では、オリンピックというタイミングを逃してしまうと受動喫煙対策の導入は困難になるとも言われていますが、果たして諸外国と同レベルの対策は実現できるのでしょうか。(THE PAGE)
[続きを読む]

12-26/禁煙による客の減少? 困るのはJTだけとも・・・・・

2016-12-16 10:51:47 | Weblog


たばこのない五輪 実現可能か
12/16(金) 9:06 掲載 .


[イメージ写真]「たばこのない五輪」は実現可能? 不可能? (写真:アフロ)(THE PAGE)


小規模店舗は及び腰「たばこのない五輪」は実現可能? 不可能?

 東京オリンピックに向けて、厚生労働省が検討している本格的な受動喫煙対策について、反対意見が相次いでいます。特に小規模店舗からは、喫煙室の設置は現実的に難しいという声が上がっているようです。日本では、オリンピックというタイミングを逃してしまうと受動喫煙対策の導入は困難になるとも言われていますが、果たして諸外国と同レベルの対策は実現できるのでしょうか。(THE PAGE)
[続きを読む]