祖谷渓挽歌(いやだに・ばんか)~藍 友紀(あい・みゆき)著

「2007年自費出版文化賞」大賞受賞作品の紹介およびその周辺事情など。

あい・みゆき『祖谷渓挽歌』臨時掲示板~派遣切り、雇い止め難民の越年

2008-12-31 23:56:31 | Weblog
ネットのJNN(TBS系)ニュースは、次のような記事を載せている。(抄録)

「ハローワークの業務が休みとなっている年末年始の間、仕事を失った派遣労働者らを支援する「年越し派遣村」が、東京日比谷に設置されました。・・・およそ100人が新年を迎えることになります。

 「派遣切りを許さんぞー!」

 31日から、東京の日比谷公園に臨時開設された「年越し派遣村」。派遣労働者の支援団体などが企画したもので、ボランティアら300人以上が開村式に参加しました。

 「来年以降、こんな世の中おかしいと、世の中の大きなうねりにしていきたい」(『派遣村』村長・湯浅誠 NPO法人もやい事務局長)

 この派遣村では1日3回の炊き出しで200人分の食事も提供され、早速長蛇の列が出来ました。

 また、別のテントでは、弁護士が派遣切りにあった人たちへの相談に応じています。

 31日午後、訪れた男性(41)は、派遣社員として群馬県内の自動車部品工場で働いていました。しかし今年10月、突然解雇を言い渡されたと言います。

 先月中旬、寮を追い出されて以来ネットカフェに宿泊したり、野宿をしたりしながら生活をしてきたと男性は語ります。

 「(Q.所持金は今いくら?)5000円切りました。捨てる神あれば、拾う神あり。本当にきょうほど、人の情けが身にしみた日はなかった」(派遣切りにあった男性)

 派遣村では、この男性のような住まいを失った労働者のために、寝泊りできる場所も提供しています。1日カップラーメン1個で生活してきたというこの男性は、派遣村で年を越すことになりました。

 「麻生総理大臣に言いたい。あなたも1週間、着の身着のままで冬の夜をさまよってみればいい。人並みな生活を・・・、とにかくそれだけです。それ以上は多く望まない」(派遣切りにあった男性)

以上が、ネット・ニュースからの引用である。

 「今日ほど人の情けが身にしみたことはなかった」と言う職を失った派遣労働者。彼をして「今日ほど政府の情けが身にしみたことはなかった」と言わせるような政府に変える責任は国民全部にある。遠からず行われる選挙に当たって、そのような政策を実行する政党を選ぶことが大切だと思う。企業や国家が幸せでも一人一人の国民が幸せでない政治は、誠意ある政治、人間の行う政治とは言えない。「庶民の庶民による庶民のための政治」が、今ほど求められている時代はあるまい。
  
  寒空に人の情けの身にしむも
     政府の情け何処にありや

 このような難民が出ないように企業を管理し、仁徳天皇の故事にあるような政治を行うことこそ、政府の「自己責任」である。彼らの生活支援は一刻の猶予も許さぬ状態だ。彼らには、政府与党自慢の「定額給付金」を、取り合えず支給するのも一つの方法だろう。住民票? 冗談じゃない。彼らから住民票を奪った責任の所在は、どこにあると考えているのか。
 少なくとも労働者派遣法は即刻廃止して、労働者本位の(企業本位でない)新しい派遣法に切り替えてはどうか。
    企業は たらふく食っている
         汝人民 飢えて死ね 
式の社会は、もう懲り懲りだ。マスコミは、このように首を切られる非正規労働者が来年3月までに8万5千人に達すると報じている。そうなった時、日本の社会は、果たして今のような安寧秩序を維持して行けるのだろうか。        (宮崎・西原)

あい・みゆき著『祖谷渓挽歌』~高知高校生の友愛物語(第112回)・・・定額給付金は両刃の剣

2008-12-29 02:24:26 | Weblog
   [あい・みゆき]の[いやだに・ばんか]~第112回

「えっ! 礼拝に二度きただけで、洗礼を受けたんですか!」と、さすがの山野も驚きの声を挙げると、
「そうなんですよ。私も驚きました」とローガンさんは話を続けた。「静かで内気な少年なので、洗礼などは、まだ先のことと思っていたんです。ですが、実際の彼の心の中には、神を求める情熱が燃えたぎっていたんですね。それで洗礼を受けたんですが、それにしても、その正義感と勇気、決断力と実行力。ほんとに素晴らしい方だと思いましたね」
「なかなか普通の人には、真似できませんね」と山野も驚くばかりである。
 豊彦が妾の子であることは、地元では誰でも知っている。そのために彼は子供の頃から、よくいじめられた。キリスト教に入信する時も、「自分の血は汚れているのではないか、入信する資格はないのではないか」と悩んだのである。
 その話を聞くと、浩美は恥ずかしくなった。(つづく)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 『定額給付金』問題は両刃の剣である。いったい一人一人の国民は、この金を貰いたがっているのか、貰いたがらなく思っているのか。
 世論調査の質問の建てかたは、面白いものである。「定額給付金は、景気の浮揚に役立つと思いますか、役立たないと思いますか」と訊くと、八割以上の人が「役立たないと思う」と答える。「では、どうすれば良いのですか?」と質問すると、「その財源を福祉や医療にあてた方がよい」と答える。されば「貴方は定額支給金の給付が決まったら、受け取りを辞退しますか。辞退すれば国庫に戻るから他の用途に使えますよね」と質問すると、「辞退はしない。貰います」という答えが返ってくる。いったい一人一人の国民は、定額給付金を貰いたいのか、貰いたくないのか? 人は利巧ぶりたがるものである。格好よく振舞いたいものである。そこから建前と本音の違いが出てくる。定額給付金が選挙の票目当てのバラマキであることは、与党も認めざるを得ないだろう。ばら撒きは良くない。まして、それは税金から支出される。大臣や高級官僚の懐から支出されるものではない。それなら、蛸が自分の足を食うようなものではないか、と野党の多くは言うのである。国民も「景気浮揚には役立たない」と見抜いている。「貰ったら、それを貯金しないで、使うようにしなさい。そうすれば内需拡大になる」と”のん気な父さん”みたいな間の抜けたことを言うお方もいる。しかし今の国民の困窮度は、その程度のものなのか。中には貯金に回せる人もいるだろうが、それよりは寧ろ借金の返済に充てる人の方が多いのではないか。国民はそこまで貧窮化を強いられている。小泉改革で痛めつけられている。
「企業の税金を減らして国際競争力を付けさせれば、そこから生まれる利潤が労働者の手許にも還元される」などと甘言を弄し、一方の国民の負担は医療費の段階的削減とか、住民税の課税最低限度額の切り下げとかを、三位一体の改革だとか、三方一両損だとか、特意の詭弁で誤魔化され、身を削り骨を削って耐えてきた。その結果、企業はたんまりと利潤を貯えたところで、金融危機だ。これからは派遣切り、契約解除をしない限り、せっかくためてきたお宝が減ってしまう。そこで歩調を揃えて、契約切り、雇用止めを一斉に打ち出してきたのだ。
 そもそも彼らが溜め込んだ膨大な余剰金は、派遣や契約が安い賃金に耐え歯を食いしばりながら我慢してきたお蔭でたまった金ではないか。ならば金融危機に襲われれば、その搾取した金を彼らに戻してやって、功労者達の生活援助をしてやるのが人の道ではないか。それを逆に非正規社員を首にすることによって蓄財防衛をしようというのは、「恩を仇で返す行為」と言われても仕方あるまい。マスコミも悪い。赤字転落、赤字決算と騒ぎ立てるが、これまでの膨大な利益を吐き出しながらやってゆけば、経営は成り立つものを、黒字を全部吐き出した上で赤字になるとでもいうような詭弁を報道する。業界では、このような表現が普通なのだとしても、一般社会では、このような詭弁は用いない。この詐術的言葉を使って、生きるのがやっとだった最低賃金の労働者たちの首を一斉に切り始めた。企業のモラルも企業の矜持も投げ捨てて、ただただ己が利益の追及のみに走る。盗人たけだけしい企業家たちである。こんな世の中は恐ろしい。以前、日本の企業には終身雇用の美風があり、病気などしても、給料の8~9割は病院で寝ていても支給された。そこに日本に顕著な愛社精神も生まれて、病後は一生懸命、会社のために働いた。それが今は情け容赦なしだ。当面の金だけで、企業は行動する。小泉改革が、そういう時代を生み出したのである。しかもタチが悪いのは、多くの大企業が一斉に首切りを実施したことである。赤信号、一緒に渡れば怖くない、の精神である。日本の淳風美俗は、すべて破壊された。ことの起こりがアメリカ風の利潤追求至上主義に同調した小泉政府にあるのだから、日本の国益はアメリカに売り渡されたに等しい。この状況を、かつての週刊金曜日が、『盗等れる日本、肥るアメリカ』との大見出しを掲げて発売されたことがある。昨今の事態を読みきっていたのだ。
 話が脱線したので、定額給付金に戻る。民主党などの攻撃で、政府が給付を取りやめれば、多くの国民が自公の政府を恨むだろう。1万数千円の金が入ったら、子供の壊れたランドセルを買い直してやろうと考えていた親もいるだろう。それが入れば、この日頃、ゴロゴロする胃袋が癌に侵されていないかどうか、安い透視で見てもらおうと考えていた老人もいよう。老人層が多額の金を持っていると指摘したテレビ記者がいたが、それは老人層全体の話である。中曽根氏や宮沢氏を含めての話である。一般老人の中には、介護の分担金が払えなくて、要介護でありながら介護を断わっている老人が少なくない。体調が悪い程度では診療を見合わせて倹約している老人が、ゴロゴロしている。彼らの何を吐き出せというのか。病気で消化不良になった便くらいしか吐き出すものはあるまい。一方、富裕な老人たちは景気のために金を使おうなどとしたりするものか。若い記者君の不勉強ぶり、見るに忍びぬ。
 定額給付金の約束が野党の攻撃で反故になれば、野党の票も又、減るだろう。ということは、野党のために言うなら、これを攻撃材料に使うのはよい。しかし本当に撃墜してしまえば、野党も又返す刀で傷を負うことになる。どこまで攻めるか、それを程ほどにしないと票を失う。せめて早期解散を進められれば良いが、そう都合よく天は味方してはくれまい。
 つまり、定額給付金の扱いには、火中の栗を拾うにも似た難しさがある。
  ・・・・・・(次回は1月10日に書き込む予定です)・・・・・・

あい・みゆき著『祖谷渓挽歌』高知高校生の友愛物語(第111回)・・・この国の行方~小泉改革の結果

2008-12-26 21:42:28 | Weblog
  あい・みゆきの(いやだに)挽歌~高知高校生の友愛物語(第111回)

『そうですね。不思議なくらいですね。でも本は読んでましたよ。私はマヤスに、いつも本を貸してくれ、って言いましてね、『基督教教義要綱』なんていう難しい本を、熱心に読んでいました。その間に、いろいろ考えていたらしいんですよ。・・・とにかく誠実な生き方をする人なもんですからね。自分が基督教に入信する資格があるかどうか、神の前に出る資格があるかどうか、じっと考えていたんだそうです。その上で、やっと自分で納得がいったので、初めて礼拝に来たんだそうです。何しろ心が決まって要るから、あとは速かったですね。二度、礼拝に来ただけで、もうマヤスから洗礼を受けたんですよ」(つづく)
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 「飢え迫る労働者、搾取し貯め込んだ利益を手放さぬ大企業!~ただ、これ以上は利益が見込めぬ、という時点で、情け容赦なく派遣や契約の首切りに出る企業。絞れるだけ油を絞って、もうこれ以上は絞るコストの方が高くつく、となると、労働者の命や暮らしは一顧だにせずに派遣切り、雇い止めを言い渡す。多様な働き方とか、労働機会の創出とかいうのは真っ赤な嘘で、企業は彼らを不況に備えての安全弁として、虫けら同然に考えていたことが、はっきり判る。競争原理一点張りの資本主義の下では、企業のモラルなど、露ほどもない・・・・・<これが当然>、<派遣、契約を承諾した個々の労働者の自己責任だ>と言わんばかりの扱いである。    

 厚生労働省が26日、明らかにしたところによると、すでに職を失うか、2009年春までに職を失うことになる非正規労働があわせて8万5,000人にのぼることが分かった。また、そ
のうちの3万5,000人に確認した結果、2,157人が住居を失っている。この割合で行けば、5238人が職も家も奪われるということになる。
 このような状況にたまりかねた派遣解除の労働者たちの動きについてANNのニュースは「経団連に直訴に行くも門前払い」という見出しを掲げて次のように報じている。「・・・日産ディーゼルから派遣契約を途中で解除された労働者と派遣労働者らがつくる労働組合は26日昼前、経団連の御手洗会長に要請書を直接手渡そうと経団連ビルを訪れました。要請書では、派遣労働者らの雇用と住まいを確保すること、労働分配率を引き上げて格差の是正にあてることなどを求めています。結局、手渡しはできず、ファックスで要請書を提出することにしました。経団連では、『個々の企業の案件については回答していない』としています。」
 こんな人間性を欠く企業に圧力をかけられない政府だから、国民の支持は、どんどん落ちてゆく。最近の内閣支持率を報じた時事通信の当ネットへの配信をコピーしてみよう。
「働き盛りの7割、内閣支持せず=雇用悪化が影響か-時事世論調査
 景気後退を受けて雇用情勢が急速に悪化する中、経済動向に敏感な働き盛りの40、50歳代の7割前後が麻生内閣を支持していないことが、時事通信社の12月世論調査で明らかになった。
 麻生内閣の支持率は、全体では発足以来最低の16.7%で、不支持は64.7%。年代別に見ると、すべての世代で不支持が5割を超え、最も高い50歳代は73.7%で前月比34.7ポイント増。次いで40歳代が69.4%で同29.1ポイント増となった。以下、60歳代67.5%(同29.7ポイント増)、30歳代65.9%(同34.6ポイント増)などと続く。40歳代は支持率でも12.5%で最低を記録。50歳代の12.7%がこれに次いだ。(2008/12/20-14:53)」
 この数字をみると、やはり今の内閣は「勤労者が抱いている生活不安が分かってくれていない」と思われているような感じがする。いったい事実は、どうなのだろうか。
 度々の発言は、見方によっては、ある種の御愛嬌ともとれないこともないのだが、例えば昨日のソマリア海域での海賊対策にしても、熟慮の末なのかどうか、首を捻らざるを得ない。民主党の小沢代表は理解を示したという報道もあるが、某大新聞の社説などは、自衛隊の海外派遣をなし崩し的に常套化する懸念を述べ、国会での審議を求めている。T航空幕僚長の問題論文騒ぎなどもあって、憲法9条への関心が、これ程、高まっている時期が時期だけに、平和を愛好する人々が懸念を示すのは寧ろ当然と思われる。海賊対策そのものが必要なことは誰しもが認めるところだと思われるだけに、拙速な提案は損ではないのか?小沢氏の対応も、野党共闘の必要な時期であることを考えれば如何なものかとの懸念を禁じえない。では、どうすれば良いのか。それをこそ国会で議論すれば良い。この種の問題には、国連も又、無関心というわけには行くまい。<日米、手を取り合って世界の警察官たらんとしている>というような言いがかりを付けられるのは得策ではない、思われるのだが、諸氏は如何、考えられるであろう?





あい・みゆき著『祖谷渓(いやだに)挽歌』高知高校生の友愛物語・・・私の思い出

2008-12-24 02:20:55 | Weblog
      あい・みゆきの祖谷渓挽歌(いやだに・ばんか)第110回

「ローガン先生。お話ちゅう済みません。私、そろそろ失礼したいんですけど・・・この本、お借りできないでしょうか?」
 さっきから掛け時計の針を見ていた由美子が言った。彼女は、本棚の赤い背表紙の本を指差している。牧師は、瞼をこすりながら本棚の中をみやっていたが、
「あ、その賀川くんの本ね。いいですよ。見開きに彼の署名があります。この教会には大事な本だから、なくさないでね」と言う。
 由美子は本棚から本を取り出して表紙を返してみた。すると、そこに<謹んでローガン先生とマヤス先生に捧げます。賀川豊彦>と筆で書かれている。
「あ、寄贈された本なんですか。大事にします」と由美子は風呂敷で丁寧に本を包んだ。
 それを見ていた浩美が、その表紙に『死線を越えて』とあるのを目敏く見つけて、
「これが『死線を越えて』ですか! 名前だけは聞いてましたけど・・・」
と思わず言うと、ローガンさんは笑顔で、
「名前だけなんて言わずに、読んでくださいよ。徳島中学の先輩でしょ」
「えっ! 先輩・・・なんですか?」
と浩美が山野の方を振り返ると、山野は顔をしかめて浩美に目配せをしながら、
「賀川さんは徳島中学の先輩ですけど、ローガン先生の所へも伺っていたんですか?」
 するとローガンさんの顔が綻んだ。
「伺うも何も・・・。彼に英会話を教えたのは私だし、洗礼を授けたのは弟のマヤスですよ。初めは彼が徳島中学の二年の終わり頃だったと思います。私の開いていた英会話教室に、ひょっこり入ってきたんですよ」
「あら、そうだったんですか。それは私も知らなかったわ。恥ずかしい」と由美子が掌で顔を隠した。 
 その仕草を見ていて、浩美は心臓が止まるような思いがした。どうして、そうなったのかは判らない。ローガン先生が話を続ける。
「賀川君は当時もう結核に罹っていたんですけど、それに負けずに良く勉強しましてね、たいへん記憶力がよい聡明な少年でした。ですから私も弟のマヤスも、彼が信者になってくれるのを期待していたんです。けれども英会話には来ても礼拝にはなかなか来ませんでした。自分の生い立ちのことを考えて悩んでいたらしいんです。私達も無理に入信を勧めるのは良くないだろうと話し合いましてね。黙って英会話だけを教えていたんです。それが、たしか一年以上たってからじゃないですかねえ。日曜礼拝に、ひょっこり顔を見せたんです」
「あら、信じられませんわ。だって賀川先生って言えば、生まれついてのクリスチャンみたいな方でしょう?」と由美子。(つづく)
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        私の思い出
 夜7時から4時間半、テレビ嫌いの私が珍しくテレビを見た。TBSの「あの戦争は何だったのか?」自分の記憶と比較しあいながら、じっくり見せて頂いた。
 感想は、いろいろある。思いつくままに、少しづつ書こう。私の世代は戦争を次の世代の皆さんに語り継ぐ責任があると言われていることでもあるし・・・。
 陸軍も海軍も、1年半程度の短期ならともかく、長期戦になれば勝ち目はないという中での開戦の決断を下した首相として東条氏が描かれる。”悩める首相”である。確かに彼
は陸軍の中では統制派に属する人だし、皇道派のような凶暴性はなかったろうと思われる。しかし発足後わずか3ヶ月の第3次近衛内閣を総辞職に追い込んだのは、東条陸相の速やかな開戦決断の要求だった。このあとの首相の人選が従前どおり西園寺だったなら、事態は余程かわっていただろう。しかし、その西園寺は前年の11月末に死んでいる。次期首相の選考は,重臣会議に委ねられた。その重臣会議が東条を次期総理に選んだのは何故か。近衛内閣を総辞職に追い込んだ東条を敢えて選んだという事実を軽視してはなるまい。東条を選ぶことが、天皇の御意に背くことを、重臣たちが考慮に入れなかったのは何故なのか。(以下、次回)

あい・みゆき著「祖谷渓挽歌」~時の流れに(第109回)・・・無責任車内問答聞き書き帳

2008-12-22 03:40:25 | Weblog
   無責任車内問答聞き書き帳
「トヨタの赤字転落で月曜の株価の開始値は、いくら、付けるかね」
「株価はともかく、期間工や派遣に不況のつけを回してくるのは御免だね。大トヨタが経団連傘下の大企業の模範となって、損失は弱い労働者に押し付けず、経営側が負うくらいの勇気を見せて欲しいナ」
「小泉改革以来、政府は経営側ばかりを庇ってきたんだから、今度は労働者保護を優先してもいい筈だ。それを実行したら、麻生内閣の支持率も飛躍的に上がるかもね」
「それが出来ないんなら、24日に解散という奇策が一番、いいかも知れんナ。遅くなればなるほど支持率は落ちるばかりだろう。今年は正月も長いしね」
「24日に解散すれば、みんな大慌てだろう。そのショックで景気が良くなるかもよ。選挙となれば、途端に金が動き出すしね」
「とにかく困ったことだよ。麻生君も3年後に景気が良くなっていれば消費税を御願いしたい、なんてのん気なこと言ってるけど、今夜のTBSでは、誰かが、この不況はアメリカの金融資本主義の崩壊が根っ子にあるから、3年や4年では回復できない、ってなことを言ってたね。何やら難しい経済解説をしながら・・・。となれば、公明党も大人しく妥協するわけに行かない、ということかナ」 
「話は違うけど、佐藤栄作の原爆戦争をアメリカに期待したかの如き発言が、すっぱ抜かれたのは、身から出た錆とはいえ、ひどかったね」
「でも、佐藤首相のノーベル平和賞には、日本人の大多数が愕然としてたんじゃなかったか? ま、少なくとも自民党ファンの人を除いた日本人の殆どは、ありぇ、何かの間違いじゃないの? てな感じで腰を抜かしてたよナ」
「自民党も、お祭り騒ぎをしなかったんじゃないか?」
「恥ずかしいからね。うちに顧みて疚しかったのかもね」
「他の人がノーベル賞を貰った時は、例外なく国民みんなが喜んで拍手を送ってたけど、
佐藤さんの時は、冷ややかな目で見てたね」
「呆れてたんじゃないか。何だ。とにかく、あの時はノーベル賞の価値を疑う人が多かったね。造船疑獄の問題もあるしね」
「逮捕寸前に吉田茂首相が犬養法相に命じて、我武者羅に逮捕を中止させたんだね。いわゆる指揮権発動だ。犬養は首相の命令には従ったが、無法な逮捕中止命令を出した責任を
とって翌日、法相を辞任したね」
「ノーベル賞の選考委員会は、そんなことも知らなかったのかね」
「まさか総理になった人が、そんな過去を持っているとは思わなかったんじゃないか。こんなことは、外国では例がないのかもね」
「日本の政治には、そんな茶番劇が多いからナ」
「ま、とりあえず24日の株価をみようや」
「それを見て、麻生君が、こりゃーいかん、と解散に踏み切る。二次補正を遅れて出した責任を、民主党になすりつけて・・・」
「それは無いだろう」
「そうかなあ。最近の政治は何でもあり、だぜ」
「ショック療法か」
「何しろ指揮権発動を命じたお方の後裔だからね」
「しかし彼は紳士だよ。べらんめえ口調は庶民に親しみを持たせる演技の一つだ。俺は信頼してるね。取り巻きに悪いのがいるんだよ」
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     あい・みゆきのいやだに挽歌~時の流れに(第109回)

 けれどもローガン牧師が、
「外出だったら大丈夫ですよ。教会へ英会話の勉強に行く、と言えば、舎監の先生が許可をくれるはずです。私は、もう20年も徳中の方々に英会話を教えてきました。だけど、いつも大丈夫でした。ですから話してみて下さい。もしダメだと言われたら、私から頼んであげます。国語の寺末先生なんかには特に親しくして頂いてますから・・・」と言う。
「えっ! 寺末先生? 寺末村雄先生ですか!?」と二人、ほとんど同時に叫んだ。
「そうです。御存知ですか?」と念を押す牧師に、
「僕の担任をしてくれてます」
と浩美が答えると、ローガン牧師は、
「おお。いい先生に受け持っていますねえ。運がいい」と目を丸くした。
「寺末先生は教会に来るんですか?」と今度は山野が訊く。
「いえ。先生はクリスチャンじゃありません。でも家が近いので家族ぐるみで仲良しなんです」
「え? すると寺末先生は・・・」と山野は、そこで言いにくそうに、「ローガン小路(しょうじ)に住んでるんですか?」
 ローガン牧師の私宅は、教会通りの一本南の小路に面している。この小路をローガン夫妻が手を取り合って散歩する風景は、徳島名物になっている。それほど日本人に親しまれているので、ローガン家の前の通りには、何時の間にか、”ローガン小路”という名前がついてしまったのだ。
「寺末先生の家は、この南の通りに面しているんですよね。・・・つまり私の家とは互いに斜め後ろになってるんです。朝、二階の裏側の窓を開けると、よく顔が合って互いに手を振るんです。そして週に一度は、家族ぐるみでご馳走になりに行ったり、来てもらったりしているんですよ。家内同志は一緒に買い物にも行っています」
 ローガン牧師の話には、山野も浩美も、ただ驚くばかりである。(続く)
 

あい・みゆき著「祖谷渓(いやだに)挽歌~時の流れに」第108回ほか

2008-12-20 03:07:41 | Weblog
あい・みゆきの『祖谷渓挽歌』(第108回)~  





派遣難民・契約難民・非正規難民に対策は緊急を要するのである。明日、あさって食う米がないのである。眠る場所がないのである。それを与党は年明け後に審議しようとしている。何ゆえなのか。救済案が野党から出されたので、面子が立たないからなのか。救済案は与党が出したのだと強弁したいのか。そもそも二次補正を出し渋って、やっと最近になって出してきたから、対策が後手後手に廻っているのであろう。日和見的とさえ取られかねないスローな行政の対応に業を煮やしたのか、内閣支持率が2割を切るの切らないのという話まで出ている。真っ先に打ち出した一律給付金も、野党の追及を恐れてか、効果の確かな代案もないままに年を越しそうだ。これも取りやめとなれば、支持率は更に下がるのではないか。日本が愚図愚図している間に、アメリカでは一挙にゼロ金利を実施した。政府は日銀にも後を追わせたが、今となっては円高を止める力はない。輸出は落ち込み、企業の受ける打撃は益々大きくなるだろう。自国の危機に対処するに追われて、アメリカが日本に援助の手をさしのべるとは考えられない。日本は自力で危機から抜け出す他あるまい。となれば脱出の方途は何か。それは内需の回復と拡大以外にあるまい。今こそ企業は身を削って、労働者を搾取して貯えてきた余剰金を庶民に還元し、庶民の力を借りて再起すべきときではないのか。全世紀末から、数々の調子の良い詭弁を使って民衆を欺き彼らを窮乏化させ続けてきた政治を改め、民を潤すのが仁徳天皇、(後奈良天皇)以来の日本の伝統である。而して民の竈から盛んに飯炊ぐ煙が立ち昇るのを見て、初めて少しづつ税を復活し、荒れ果てた御所の修理をされたという。その故事を考えれば、今、日本の帝王たる財界の取るべき態度は明らかであろう。先ず身を削って民草を潤すのである。而して派遣難民も非正規難民も契約難民も安んじて衣食住の生活ができるようにして、初めて自らの利潤追求に励み、国力の涵養に資するべきである。これぞ唯一,御宸襟のお悩みを和らげ奉り、御病の回復にもお力添えできる道であると思うが、如何なものであろう。財界トップの若手諸君は如何、考えられるか?(水戸市、藤田北湖)
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  あい・みゆきの『祖谷渓挽歌』(第108回)~

あい・みゆき著『いやだに挽歌~時の流れに』高知高生の友愛物語・・・評論金曜日 

2008-12-19 01:41:34 | Weblog
 <評論『金曜日』への投書紹介>
 「過ちは誰にでもある。過ちて改めざる。これを真の過ちというのである。そこで今、日本が当面している最も緊急の課題は、派遣難民、契約難民、非正規難民などの労働問題である。これを解決するには、早急に①派遣労働法を一旦廃止した上で、真に労働者に有利になる業種に限定して派遣労働を許可すこと。②居住権の強化。③消費税を撤廃して、欧米先進国に準じた合理的課税方式に税制全体を改め、いやしくも最下層の人々でも必要とする食料品に消費税を課するが如き、上流本位の思考を断固、排除すること、などである。経営者あっての労働者というが如き、経団連的思考は速やかに反省して、労働者が経営者を支えているのだという発想に切り替えることが大切である。国家あっての国民ではなくて、国民みんなで国家を作り、それを支えているのだ、という子供にも理解できる基礎的思考に立ち返って、社会のひずみを改めるべきである。昨日であったか、国会の委員会で、「あなたは、まるで、社会主義の方が資本主義よりもよい、と考えているように見える」とほざいて相手を非難して己の無知をさらけ出している男がいた。こんな無知蒙昧な議員は町内会議員の資格もない。古典的科学的社会主義が現実の世界で成立し得ないことは、ソ連や中国をみれば自明の理である。けれども人間は、あくまでも平等なのである。それを認め合った上で、経済的効率の高い資本主義を手段として導入し、人々の繁栄を築いて行くのが鉄則である。その道理をさえ弁えないような御仁は、少なくとも中学校過程から勉強をしなおして人前に出た方が良い。そう私は考えるのだが、皆さんは、どう思われるだろうか」(秋田県・高山)
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 [あい・みゆき]の[いやだに・ばんか]~第107回
このブログの元になっている本「祖谷渓挽歌」全5巻は、しばらく品切れになっていましたが、その増刷ができた旨、12月12日号の「週間金曜日」61頁に載っています。頒布元は「はまなす文庫」(神奈川県厚木市鳶尾3-3-2-204)。それによると、受賞本は5巻組で15750円(送料別)。しかし新訂版は価格を安くするため、トナー印刷を用いたので、6500円(送料470円)、かつ新訂版の方は分売するとのことですので、とりあえずは、第一巻だけ(送料とも1460円、メール便)を買って読んでみると、この作品の凡その流れが掴めるようになっているとのことです。それを先ず読んだ上で、気に入れば2~5巻を購入するというのも一つの方法でしょう。(但し、その場合、送料は160円損になるそうです)。なお、このブログへの引用は、全巻の1割を少し過ぎたところです。全4章の目次は明日、ご紹介します)
  ・・・・・・・・(以下、本文)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 もちろん浩美は大胆なわけではない。しかし内気な人間というものは、いざという時に意外な勇気を発揮する。あの人が! というような気弱な人が、思いもよらぬ大胆なことをしでかす。浩美の場合もそうだ。由美子に対する情熱が、彼を別人に変えたのである。
 それにしても、由美子の何処に惹かれたのか? 浩美は自問自答してみた。それは由美子の顔でもない。姿でもない。言葉でもない。立居振舞でもない。それでは彼女の心なのだろうか? あるいは彼女のすべてなのだろうか? だが結局、それは判らなかった。とにかく、彼女の何もかもが、彼にとっては眩いのである。光り輝いて見える。まるで彼女が、神であるかのように、彼には思える。だから英会話にしても、浩美の方は唯もう夢中だった。(つづく)

あい・みゆき著・祖谷渓(いやだに)挽歌~時の流れに~高知高生の友愛物語(第106回)・随想「金曜日」

2008-12-18 02:11:04 | Weblog
  [あい・みゆき]の[いやだに・ばんか](第106回)
「僕、英会話を教えて頂きたいと思います」自分でも気付かぬうちに口が動いた。
 これには山野も驚いた。だが浩美自身はもっと驚いた。<僕はいつの間に、こんなに大胆になったのだろう!>そう思うと、浩美は羞ずかしくなった。けれどもローガン牧師は喜んでくれた。
「君、来てくれるの?」
「はい、御願いします」急き込んで言ってはみたものの、さすがに浩美は不安になった。「でも牧師さん。僕は中学の3年になったばかりなので、英語はまだまだダメなんです。昨日の授業で、分詞構文とか言うのを習ったけど、全然わからなくて・・・」やっぱり無理ですね」と急に萎れた。それに<本当は英会話を習いたいわけじゃない。彼女に逢いたい一心で、そんな素振りをしているだけなんだ!>という良心の呵責が胸の中で渦を巻いている。浩美は羞ずかしさに負けそうになった。ここは諦めなければいけないのではないか。とは言っても、やはり来たい。
 するとローガン牧師が、笑みを満面に湛えながら助け舟を出してくれた。
「やあ、分詞構文なんていう難しいものは、会話では使いませんよ。その前までで十分です。・・・じゃあ今度の木曜から早速いらっしゃいよ。山野さんも御一緒に・・・」
 再度、誘われて山野は困った。暫くは呆然としていた。彼は、こういうことには意外と臆病なのだ。牧師と浩美との会話も困惑しながら聞いていた。そして内心では、<浩美って気の弱い”はにかみ屋”とばかり思い込んでいたのに、意外と大胆な奴だったんだ!」と、小憎らしく思った。(つづく)
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     評論『金曜日』
 派遣ぎり、大量の失業者。彼等は職を奪われ、住まいを奪われ、食うものさえもなく、病に怯えている。その苦しみをXX党の諸君はわかっているのだろうか。筆者は貧乏に明け暮れてきたから、正月のおせち料理などは50年以上もくちにしたことはない。最近では新聞も取れない。それでも、やせたソクラテスでありたいから、人並み以上に本は買う。すると、XX党の団結の強さがよく理解できる。同一の目的意識を持った集団は強い。庶民の苦しみなど、どうでもよい。彼等は単なる票田でしかない。大臣病患者、あわよくば総理大臣をめざして、己が人生の全てをそこに賭けている集団、権力と自らの富のみをめざすという一致した目的。これは強い。
 今日も野党の法案提出に、理屈にもならない理屈をつけて国民を騙そうとしている。今日は委員会での採決が妨害を押し切って採決され、明日は参議院本会議で採決されるだろう。そうなれば法案は早速、衆議院に送られ、そこで審議されねばならない。審議未了かできれば否決したい。けれども職を追われた人たちの困窮は待ったなしである。飢えは目前に迫っている。この非常時に野党案を否決することが、xx党の本性を暴露し、庶民の彼等を見る目が、改めてXX党の反国民的本質を見破ること必定である。それ故に、今日の委員会採決に反対する彼等の表情は真剣であった。庶民諸君よ、我々は騙され続け過ぎた。もう、そろそろ騙され続けるのはやめたいと考える人が増えてきたと、某夕刊の
記者は話していた。
 而して欲しいのは、言論の自由である。我々は、いつ頃から、それを失いはじめたのかを真剣に考えたい。伏字など、もっての他であるべきではないか。






<企業を救えば労働者を救うことになる>同じ言葉のペテンに二度と乗せられてはならない。

小泉内閣における労働者派遣法改正の目的を見誤るな

2008-12-16 02:04:23 | Weblog
「労働者派遣という搾取方式は古くから存在した。※労働者派遣法が出来る以前は、このような雇用形態を「間接雇用」として職業安定法により禁止していた。(労働者の労働契約に関して業として仲介をして利益を得る事の禁止。)
派遣可能な業種や職種は、拡大している。当初はコンピュータ(IT=情報技術)関係職種のように、専門性が強く、かつ一時的に人材が必要となる13の業種に限られていたが、次第に対象範囲が拡大し、1999年の改正により禁止業種以外は派遣が可能になる。」以上はこのサイトに記載されている労働者派遣に関する記述の一部を引用したものである。
 そもそも、この1999年の改正の狙いは何ったのか。小泉氏が「詭弁や演技を弄しながら、巧みに国民を欺いて、米国や日本の大資本の利益に追随することによって、自らの権勢や地位を高め、莫大な利益を得てきた。その端的な表れが、先だっての政界引退声明と世襲表明だ」という批判が当たっているかどうかは、国民一人一人が熟慮して判断すべきことである。ここでは彼の政策の最も重要な柱であった労働者派遣業に対する規制緩和すなわち大量の非正規・派遣労働者を創出して正規労働者と置き換える法改正を行ったことだということに異論を述べる人士は良心的人権派には稀である。
 この改正の狙いは何だったのか。
 派遣社員の多くは、希望して派遣社員になったのではない。他に選択肢がないためやむにやまれず派遣社員となったケースが多い。正社員の雇用が少ない中で、派遣社員の雇用が増えていることなどから、格差社会の元凶といわれる。とくに悲惨なのは、日雇い派遣である。これについては、派遣元企業あるいは派遣先企業での違法行為が相次いで発覚したため、2009年を目途に日雇い派遣事業を原則禁止する方向で、厚生労働省も検討を始めざるを得なくなったことは、新聞で報じられた通りである。
 このような改正労働者派遣法の弊害の大きさについては、すでに目下の世界的金融恐慌の嵐が襲ってくる前から、良識ある文化人や共産党よって問題視され、国会での改正を求める動きも、自民党を除く各党の間で広がっていた。派遣労働を原則自由化し、究極の不安定雇用である日雇い派遣をはびこらせた一九九九年の労働者派遣法改悪。この時点で既に共産党は強く反対していたが、それから九年。今は他の野党も矛先を揃えて、この格差拡大、上流優遇保護の悪政に反対する声を挙げて
 民主党は早々に、党内に作業チームを立ち上げて改正素案をまとめた。そして党内の検討を経て、「〇八年四月中には法案を提出するところにもっていきたい」としていた。日雇い派遣の禁止、登録型派遣の規制強化を軸に動き始めていた。
 社民党は〇八年二月十三日に、国民新党も〇八年二月十四日にそれぞれ暫定的な案を発表。真剣にこの問題に取組んだ。
 公明党は、〇八年二月九日に党本部で開かれた全国県代表協議会で太田昭宏代表が、「日雇い派遣の原則禁止の観点から今国会で法改正に取り組む」と言及した。
 民主党議員の一人は「非正規雇用が全体の三分の一にまでなった。社会の不安定要因になり、消費の落ち込み、景気の失速にもつながっている。党内にはさまざまな意見はあるが、規制緩和が行きすぎた、という反省は広がっている」といいます。法改正を求める集会に出席している公明党議員は「違法派遣が繰り返される現状は放っておけない、となった」と説明した。
 動こうとしなかったのは自民党だけである。財界をバックにする自民党が就業機会の拡大などと詭弁を弄して頬被りを続けたのは、もともと九九年改正が財界の意を汲んで発足させたことを考えれば、当然過ぎるほど当然である。
 九九年の改悪の折には、日本共産党以外の各党が、財界や小泉一流の詭弁に乗せられて賛成した。孤立した共産党は已む無く、派遣期間制限に違反した派遣先に直接雇用するよう勧告し、従わない場合は企業名公表、派遣元には罰金を科す―などの法案修正で妥協た。しかし、この大改悪が「大量の低賃金、無権利の派遣労働者をつくりだし、常用雇用の派遣への置きかえが加速する。雇用不安、社会不安にいっそう拍車をかける」と共産党は警告し続けた。
 その警告は当たっていた、というべきだろう。やがて派遣労働者は三百万人を越え、その七割以上が、細切れの雇用を繰り返す登録型派遣となった。労働者を人間扱いしない日雇い派遣がはびこることになり、まさしく財界の思い通りの雇用制度が整備されていった、と考えられた。
 派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は、「雇用がどんどん劣化し、最低限の権利も奪われた労働者が大量に生まれた。『もう、我慢できない』という意識が、ここ数年、目に見えて広がっている。派遣労働者自身が声をあげるようになってきたことが、変化をつくってきた」と語った。多くの場合、「社会の良心」とまで言われる労働組合すら作れない派遣の悲惨さは、この国全体が急速な右翼化を進める中で、ほとんど奴隷労働に等しい雇用形態の下、極度の搾取を日常化することによって資本や上流のみを肥え太らせ、彼等は蓄積の富の一部分たりとも労働者たちに還元しようとしなかった。その口実として彼等が決まり文句のように口にするのは、「国際競争力の強化が必要」との言い逃れだった。
 アメリカ発の巨大な金融恐慌が起きたのは、まさにこの時である。すると彼等は、派遣や非正規を理由として、巨大資本を先頭に非正規労働者の首を情け容赦もなく切り始めたのである。そればかりか、労働者らが住んでいた寮まで明渡せという、凡そ人間性のひとかけらも見えない残虐な要求をし始めたのである。
 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶにも、限度がある。労働者らが一斉に立ち上がっているのは当然のことだ。




消費税は速やかに廃止すべし。

2008-12-14 03:17:55 | Weblog
 2~3日前のTBSテレビに出演した瀬戸内寂聴さんが、近年、学生運動が見られなくなったことを嘆いておられた。誠に然りである。学生こそは、かつて最も純粋な社会運動の担い手であった。春闘の時期や不当解雇などに対してはスト権を確立して強い抵抗を示したが、何といって
も労働者は家族の生活を抱えている。首を掛けてまでの強い抵抗に身を投じることは、家族を路頭に迷わせる覚悟がなければできない。その点、学生には扶養せねばならない家族を持つ場合が少なかったから、資本や政府の理不尽な弾圧に対しては時に不屈の抵抗を実践することもでき、それが労働運動の弱さを補う役割を果たすこともできた。換言すれば労働運動を背後から支えたり、時には先頭に出て権力による弾圧の矢面に立つ場合もあった。その学生運動が昨今は皆無に等しい。
 学制運動衰退の原因はいろいろあろう。赤軍派などによる浅間山荘事件や意味もなく東大安田講堂を占拠するなど、良識派の人々からさえ顰蹙を買うような過激な行動に走って、結果的に官憲の弾圧を呼び込むような反動的行動が続発したことも大きな原因となった。それは理にかなった全学連の学制運動の補強には全くなり得なかったばかりか、むしろ邪魔になり妨害する役割を果たした。
 日本の社会全体が政府の巧妙な分断支配政策に乗せられて、人々の怒りが政府に向かず、逆に仲間同士の間で対立する社会に変わり、本来の敵である財界や政府に対しては各個が抜け駆けで功を競い、政府の格差拡大政策に自ら同調して行ったことも、労働者や学生に固有の正義志向心を麻痺させ、己のみ成功すればよしとする社会風潮を生み出して行ったことも見逃せまい。
 こうして、本来、団結して権力に立ち向かうべき弱者たちが、分断されて己のみの成功を図り、仲間の運命には無関心あるいは冷淡な風潮を作るよう、操作されてゆくことに気が付かず、唯々諾々と権力者の支配しやすい階級間格差の増大に協力してしまった責任も大きいと言わねばなるまい。
 今、独占資本ともいうべき産業界は、アメリカ発の金融恐慌から日本の労働者を守ろうと努力するどころか、むしろ、これを奇貨として労働者大量かく首の総攻撃をかけてきている。総選挙を前にして、労働者整理の先送り、あるいは緩和を懇願する政府の要請などには耳も貸さず、財界の攻勢は日に日に激しさ、残虐さを加速させている。
 団結を忘れた労働者、ストライキを忘れた労働者、それを支えるべき学生運動を忘れた学生たち。瀬戸内氏の嘆きの意味を深く考えるべきである。
 時に「親の脛をかじっている学生が政治運動など以ての外」とほざえた知ったかぶりの大人たちがいた。斯かる低脳的発想をもって、賢いと自惚れる大人たちがいた。多くは、「四十,五十の洟垂れ小僧」である。私は80路の老いぼれだが、昨今の政治家の信念なき指導力、対米追随しか知らぬ無能きわまるテイタラクには、ほとほと愛想がつきた。オバマ政権の誕生で、近々に米国金融界の危機救済のための金融支援要請が来るであろう。その時、己の国の労働者の危機を救い得ない昨今の為政者に一体、何ができるのか。今、期待できるのは若い労働者学生諸君の目覚めである。
「消費税の引き上げを御願いしたい」だって。とんでもない。格差拡大の先鞭を切った消費税などは、真っ先に廃止すべきである。悪税の最たるもの。過ちては改むるに憚ることなかれ、という金言がある。代りの財源? そんなものは身近にある。敗戦直後の数年間、当時はまだ民主主義国だったアメリカが、手を取って教えてくれたではないか。