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祖谷渓挽歌(いやだに・ばんか)~藍 友紀(あい・みゆき)著

「2007年自費出版文化賞」大賞受賞作品の紹介およびその周辺事情など。

2-13

2012-02-13 23:21:56 | Weblog
2号機原子炉温度計「確実に故障」…回路に異常
読売新聞 2月13日(月)20時42分配信

 東京電力は13日、温度上昇を示していた福島第一原子力発電所2号機の原子炉圧力容器底部の温度計が同日午後の点検後、記録上限の400度を超えて振り切れるなど、異常な数値を示したと発表した。

 東電は「ほぼ確実に故障している」とみている。温度計は炉心溶融で高温にさらされた後、湿度の高い環境に置かれていた。

 東電は同日午後2時頃から、中央制御室内で温度計の電気回路の点検を実施。回路の電気抵抗が通常より大きく、温度計の指示値が高く出やすいことが判明した。検査直後、回路を元に戻した際には342度を示し、一時振り切れるまで数値が上昇した。

 温度計は、2種類の金属を接合したセンサー(熱電対)で温度を検知する。センサーが熱を受けると電流が流れる仕組みで、回路に異常が生じたために電圧が変化し、極端な値が表示された可能性がある。 最終更新:2月13日(月)20時42分


2-8 原発の傷は深く、長く、かつ広範囲に~よもや日本を滅ぼすことには・・・

2012-02-08 16:07:21 | Weblog
今年の福島米、「作付け制限」めぐり論争
読売新聞 2月8日(水)14時42分配信


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読売新聞
 福島県のコメ(玄米)から国の暫定規制値(1キロ・グラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された問題で、国が月内にも決める今年のコメの作付け制限を巡り、農業関係者の間で意見が対立している。

 制限される可能性がある地域では「作付けしないと田が荒れる」と全域の作付けを要望。一方で「福島産のイメージが傷つく」と厳しい制限を求める声もある。

 「おいしいコメを作ろうと誇りを持って30年以上、やってきた。一方的に作付けを制限されたら納得出来ない」。7日、伊達市の旧上保原村地区の農家男性は、今は雪に覆われている先祖代々耕してきた田んぼを見つめた。

 県の2011年産のコメの緊急調査で、男性が作ったコメから検出されたのは24ベクレルで、問題ない数値だった。だが、3日に農林水産省が同市に打診した作付け制限区域には、旧上保原村地区も含まれていた。

 同省では、新規制値(同100ベクレル)を超えた地区の作付けは、放射性セシウムの濃度を低減できる場合などを除き制限する方針で、旧上保原村地区の別の農家が生産したコメから新規制値を超えたコメが見つかっていた。

 伊達市の仁志田昇司市長は全域の作付けを主張しており、「規制値を超えた場合には、補償を受けた方が農家も納得できる」としている。県の緊急調査で、新規制値超のコメが見つかった稲作農家は12市町村65地区の583戸。そのうち、暫定規制値を超えたのは福島、伊達、二本松市の3市9地区の38戸。

 暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された福島市大波地区の農家男性は今年の作付けはあきらめた。だが、「雑草が生い茂って田が荒れてしまう。いつ作れるか分からないとやる気もうせるのではないか」と懸念する。 最終更新:2月8日(水)14時42分

 * それでも原発をやめられないのが資本主義なのか? それでは資本主義自体が危うくなるではないか。原発の将来について国民みんなが考えて日本を支えて行こう。


大丈夫かいな? 「付・伊藤酒造雄さんの思い出など」

2012-02-06 22:14:36 | Weblog
福島第1原発2号機原子炉温度上昇 東京電力、再臨界の可能性はないと発表
フジテレビ系(FNN) 2月6日(月)21時47分配信

福島第1原発2号機の原子炉温度が上昇している問題で、東京電力は6日、格納容器内のガスを分析した結果、核分裂が連続して起こる再臨界の可能性はないと発表した。
会見で、東京電力は「下部温度の上昇に関しましては、再臨界ではなく、注水量の変更にともなう除熱の在り方、水の流れ等が少し以前と変わったせいではないかと考えております」と話した。
2号機の圧力容器底部の温度が4日間でおよそ20度上昇し、5日午後には70度を超えたことから、東京電力は格納容器内のガスを採取し、分析を行った。
その結果、核分裂で発生する「キセノン」などが検出されなかったことから、再臨界の可能性はないと説明した。
2号機圧力容器底部の温度は、6日午後5時の時点で69.2度と、依然70度近い状態が続いており、東京電力は準備が整い次第、原子炉への注水量を1時間あたり3トンほど増やすことにしている。最終更新:2月6日(月)21時47分

伊藤酒造雄さんのことを書きかけにしたまま入院してしまい、申し訳ありません。以下のような投稿が藍氏から届いたので、それをお伝えしようと思ったのです。「たしか昭和35年だと思いますが、私(藍 友紀)はNHK釧路放送局に勤務していた時、取材で標茶駅に降り、そこの売店で文芸春秋(?)だったか中央公論だったかを買いました。それは深沢七郎の「風流夢譚」が載っていたためですが、それに偶然、東大教養学部での級友、伊藤酒造雄さんが本名で小説「敦煌」を発表していたので驚きました。昭和三五年頃の伊藤さんは日本航空に努めていたのですが、学生時代から詩文をよくし、後に荻原朔太郎賞を受ける安藤元雄氏らと同人雑誌「Purte]を作って作品を載せていたように思います。風流夢譚と一緒に載った「敦煌」は、たしか芥川賞の最終審査まで残っていたと思いますが、最終審査で惜しくも賞を逸したのだと記憶します。教養学部のクラスというのはフランス語を既に履修していた人たちのクラスで、クラス員はわずか十五人ほどしかいませんでしたが、他に「駅」「鉄道員」「ホタル」などの監督をつとめた降旗康男氏やロシア史の外川継男氏、福岡放送(?)社長の松村順平氏などが一緒でした。伊藤さんは、たしか旧制府立高等のご出身だったと思いますが、あるいは新制都立大学付属高校かもしれません。自由が丘のモンブランと元映画館「南風座」の間あたりのお宅にお母さんと一緒に住んでおられ、私は碁を打ちに何度か伺いました。大学卒業まじかに
山脇学園などと一緒に共立講堂で戯曲「マーシェンカ」を上演し、伊藤さんは第一脇役で出演しました。その時、女性の第一脇役で出演した方と恋愛結婚をされたので私達級友は皆、拍手喝采して応援していたのですが、勤務先の日本航空で労働組合の委員長に押され、余りに真面目に活躍したために職場を追われてしまいました。その時の労務担当理事が後に御巣鷹山詣で有名になった高木養根さんです。高木さんは学生時代京都大学で共産党青年部員として学生運動を指導し、折から鳩山一郎氏が起こした瀧川事件で大活躍をしました。そのため思想警察に目を付けられて京都にいられなくなり、ひそかに東大を再受験して合格、東大を卒業して日本航空に入った方です。それだけに労働運動には理解があり、その後、伊藤氏がはくほうどうへ移るに際しても陰に陽に尽力したという。しかし伊藤氏自身はそれを機会に定職に就かず、作家活動に専念することを望んでいたとのことで、友人たちも伊藤氏の筆力をヒョウカしていたの、彼が作家に転向していれば間違いなく大作家になっていたのではないかと、なまじな転職を惜しむ声が殆どだった。
 ついでながら上記「マーシェンカ」で主役を演じた男性は東大美学科の小高昌夫氏で相手役(マーシェンカ)を務めた山脇学園大学出身の女性と恋愛結婚している。小高氏がNHKアナウンサーとして婦人向けワイド番組などで華麗な活躍をされたことは、記憶されている向きも多かろう。尚、その後はNHK沖縄総局長などの要職を務めたあと、ラジオ深夜便などでも活躍して廣い人気を集めた。