先日ゴルフ練習場へ行って1時間ほど練習をしてきました。だんなにとっては8月8日の肺がん手術後初めてゴルフクラブを握ったことになります。10月には軽井沢へゴルフへ行こう、と目標も決めその前に一度茨城県の平らなゴルフ場へ行く予定にしています。
はっきり言って1ヶ月半でゴルフクラブが握れるようになるとは私は思っていませんでした。
皆様にもいろいろとお見舞いの言葉など頂き、途中経過をお話ししなくてはと思いつつ、先にどのような事態が待っているか分からない時にはとても経過報告などする気にもなれずにいました。
ぽちぽちとコメント返しなどで退院したとか会社復帰とか言ってきましたが、まとめてご報告しなくてはと思った次第です。
それはいきなりやって来た。
だんなは去年 肺胞 に病気が見つかり半年に一度肺のレントゲンを撮っていました。その病気自体は薬とリハビリが効いて大分症状は軽くなっていたのです。今年5月の末にその関係で順天堂病院でレントゲンを撮った時、影が発見されたということで、精密検査となりました。その前の11月の会社の健康診断では見られなかった影です。普通、健康診断は1年1回ですから、言ってみれば病気のおかげで大きな病気を発見できた、ということです。
影の原因には3つ考えられ、ひとつはカビが入って広がった、もうひとつは腫瘍で、最後は悪い方の腫瘍である 癌 です。検査入院をするのに2週間以上待たされ、入院がわかったのが入院1日前の 赤紙来ちゃった の6月17日。
それから徹底的に検査をしてもらってようやく検査結果がわかったのが7月の初め頃でした。
私とだんなを前に3人の先生たちが説明してくれました。3つの中では最悪の結果でしたが、立ち会ってくれた先生達は口々に、初期(一期) の後半なので手術が出来てあなたは幸せだ、とおっしゃる。
今思えばその時の私は事の重大さを本当にはわかっていなかった。手術しなければ早晩死んでしまうんだし、やるっきゃないでしょう、先生たちも運がいいとおっしゃってくれているし…と思いました。そう思うしかないというのもあったかな。悪い方には考えたくないし、またその時そう考えてもしょうがないし…。
本人も、もちろんこうなったら手術するしかないと覚悟を決めたようで、冷静に対応していましたが、今考えると うちのだんなって偉い ! と思います。
肺がんって ?
ご存じの方も多いと思いますが、肺がんというのは肺に痛点がないために見つかりにくく、体の不調に気づく頃には既に 4期(最終期) に入っていて手遅れという人が多いのです。またこれは私も後で知ったのですが、手術ができて悪いところをすべて取ることができても、胃のように腸が発達して代わりになるということはなく、取ったら機能がその分低下して元通りに回復するということはないということです。ただし胸筋を発達させて酸素をより取り込めるようにリハビリすれば、その分呼吸が楽になります。
幸いその後の検査などで5つある肺の区分のうち (大きく右と左に別れてますが、その中で右3つ左2つに分かれている) 1つを取るにとどまりました。又他に転移もしていないということで、運は良い方だったんでしょう。
肺がんは首のリンパ節を伝わって脳に転移することが多いそうです。同室の70歳代の男性は5年前に肺がんになり、5年経ってから脳への転移が見つかったそうで、1年に何回か2週間入院してコバルト照射などの治療を行っていました。うちのだんなも今後全くその危険がないとは言い切れません。
手術と決まってから手術日までにまた1ヶ月ほど待たされました。病院の都合もいろいろとあったでしょうが、実はその1ヶ月の間にがんが進行しており、最終的に2期まで行ってしまいました。強い 癌 だったようです。1年1回のレントゲンでは見つかるのが遅かったかもですね。
8月8日に手術は6時間かかって終わり、深夜まで待っていた私は一応成功ということで先生より説明を受け、15分ほど手術室の中で朦朧としているだんなに逢ってからタクシーで帰りました。偶然そのタクシーの運転手さんのお兄さんも肺がんで亡くなっていた方で、見つかった時にはやはり4期だったそうです。
又、だんなの大学時代の友人でゴルフもよくご一緒する方も去年お兄様を肺がんで亡くされ、今回とても心配して頂きました。結構周りにいるんです。そういえば、ガンて男性・女性とも死因の第一位なんですよね。
死因の順位 → 死因の順位は ?
術後の入院中は2日目から歩かされて大丈夫かと思いましたが、今は寝たきりだとかえって日常生活に復帰が遅くなり、どこの病院でも手術後は思ったより早目に歩かされるようですね。日一日と繋がっていたもろもろの管が取れて行き、痛みも少しつづ減っていくようで毎日通っていてもほっとする日々でした。
8日後に退院し、自宅療養に切り替わりました。
これからの方が…
先ほども言いましたが、肺は取ってしまうと他の器官が肩代わりできないものなので、手術後は呼吸が以前より苦しくなります。1/5取ったのですから、必然的に1/5は苦しくなっているわけで、だんなの場合以前からの病気の影響もあるのでどのくらい苦しいものなのか私にはわからず心配です。
だんなは左わき腹の傷口は未だにくっきりしていますが、洋服を着た見た目は依然と変わらず、また本人も人前では元気そうにしているので廻りの人は完治しているのではないかと錯覚しそうです。
しかし、最近は本人もこれではまずいと思い始めたのか、兄弟や親しい友人の前では、
「思ったよりダメージが多かった。」
と正直に言うようになりました。強がっているよりその方が私も安心できます。又、以前から週に4日もスポーツクラブに行って体を鍛えていたので、医者がびっくりするほど肺の状態の割には呼吸機能があるということです。現状は、平らな所や下り坂は普通になったが、上り階段や上がりの坂道で呼吸が苦しくなるということです。足の筋肉などはあるので、つい今まで通りの早足で歩いてしまい、はぁはぁしてしまうと言ってました。
9月半ばより会社にも復帰し、少しづつですが傷の痛みも薄くなっているようなので真面目なだんなのこと、今後は呼吸機能のリハビリに励んで行くと思います。又、がんの転移はなかったものの、2年間は予防のために抗がん剤を服用する予定です。
今思うこと、我々はとても運が良かったのではないか。 ふたりして感謝を忘れずにいようということです。
皆様の温かいお見舞いありがとうございました。m(_ _)m
はっきり言って1ヶ月半でゴルフクラブが握れるようになるとは私は思っていませんでした。
皆様にもいろいろとお見舞いの言葉など頂き、途中経過をお話ししなくてはと思いつつ、先にどのような事態が待っているか分からない時にはとても経過報告などする気にもなれずにいました。
ぽちぽちとコメント返しなどで退院したとか会社復帰とか言ってきましたが、まとめてご報告しなくてはと思った次第です。
それはいきなりやって来た。
だんなは去年 肺胞 に病気が見つかり半年に一度肺のレントゲンを撮っていました。その病気自体は薬とリハビリが効いて大分症状は軽くなっていたのです。今年5月の末にその関係で順天堂病院でレントゲンを撮った時、影が発見されたということで、精密検査となりました。その前の11月の会社の健康診断では見られなかった影です。普通、健康診断は1年1回ですから、言ってみれば病気のおかげで大きな病気を発見できた、ということです。
影の原因には3つ考えられ、ひとつはカビが入って広がった、もうひとつは腫瘍で、最後は悪い方の腫瘍である 癌 です。検査入院をするのに2週間以上待たされ、入院がわかったのが入院1日前の 赤紙来ちゃった の6月17日。
それから徹底的に検査をしてもらってようやく検査結果がわかったのが7月の初め頃でした。
私とだんなを前に3人の先生たちが説明してくれました。3つの中では最悪の結果でしたが、立ち会ってくれた先生達は口々に、初期(一期) の後半なので手術が出来てあなたは幸せだ、とおっしゃる。
今思えばその時の私は事の重大さを本当にはわかっていなかった。手術しなければ早晩死んでしまうんだし、やるっきゃないでしょう、先生たちも運がいいとおっしゃってくれているし…と思いました。そう思うしかないというのもあったかな。悪い方には考えたくないし、またその時そう考えてもしょうがないし…。
本人も、もちろんこうなったら手術するしかないと覚悟を決めたようで、冷静に対応していましたが、今考えると うちのだんなって偉い ! と思います。
肺がんって ?
ご存じの方も多いと思いますが、肺がんというのは肺に痛点がないために見つかりにくく、体の不調に気づく頃には既に 4期(最終期) に入っていて手遅れという人が多いのです。またこれは私も後で知ったのですが、手術ができて悪いところをすべて取ることができても、胃のように腸が発達して代わりになるということはなく、取ったら機能がその分低下して元通りに回復するということはないということです。ただし胸筋を発達させて酸素をより取り込めるようにリハビリすれば、その分呼吸が楽になります。
幸いその後の検査などで5つある肺の区分のうち (大きく右と左に別れてますが、その中で右3つ左2つに分かれている) 1つを取るにとどまりました。又他に転移もしていないということで、運は良い方だったんでしょう。
肺がんは首のリンパ節を伝わって脳に転移することが多いそうです。同室の70歳代の男性は5年前に肺がんになり、5年経ってから脳への転移が見つかったそうで、1年に何回か2週間入院してコバルト照射などの治療を行っていました。うちのだんなも今後全くその危険がないとは言い切れません。
手術と決まってから手術日までにまた1ヶ月ほど待たされました。病院の都合もいろいろとあったでしょうが、実はその1ヶ月の間にがんが進行しており、最終的に2期まで行ってしまいました。強い 癌 だったようです。1年1回のレントゲンでは見つかるのが遅かったかもですね。
8月8日に手術は6時間かかって終わり、深夜まで待っていた私は一応成功ということで先生より説明を受け、15分ほど手術室の中で朦朧としているだんなに逢ってからタクシーで帰りました。偶然そのタクシーの運転手さんのお兄さんも肺がんで亡くなっていた方で、見つかった時にはやはり4期だったそうです。
又、だんなの大学時代の友人でゴルフもよくご一緒する方も去年お兄様を肺がんで亡くされ、今回とても心配して頂きました。結構周りにいるんです。そういえば、ガンて男性・女性とも死因の第一位なんですよね。
死因の順位 → 死因の順位は ?
術後の入院中は2日目から歩かされて大丈夫かと思いましたが、今は寝たきりだとかえって日常生活に復帰が遅くなり、どこの病院でも手術後は思ったより早目に歩かされるようですね。日一日と繋がっていたもろもろの管が取れて行き、痛みも少しつづ減っていくようで毎日通っていてもほっとする日々でした。
8日後に退院し、自宅療養に切り替わりました。
これからの方が…
先ほども言いましたが、肺は取ってしまうと他の器官が肩代わりできないものなので、手術後は呼吸が以前より苦しくなります。1/5取ったのですから、必然的に1/5は苦しくなっているわけで、だんなの場合以前からの病気の影響もあるのでどのくらい苦しいものなのか私にはわからず心配です。
だんなは左わき腹の傷口は未だにくっきりしていますが、洋服を着た見た目は依然と変わらず、また本人も人前では元気そうにしているので廻りの人は完治しているのではないかと錯覚しそうです。
しかし、最近は本人もこれではまずいと思い始めたのか、兄弟や親しい友人の前では、
「思ったよりダメージが多かった。」
と正直に言うようになりました。強がっているよりその方が私も安心できます。又、以前から週に4日もスポーツクラブに行って体を鍛えていたので、医者がびっくりするほど肺の状態の割には呼吸機能があるということです。現状は、平らな所や下り坂は普通になったが、上り階段や上がりの坂道で呼吸が苦しくなるということです。足の筋肉などはあるので、つい今まで通りの早足で歩いてしまい、はぁはぁしてしまうと言ってました。
9月半ばより会社にも復帰し、少しづつですが傷の痛みも薄くなっているようなので真面目なだんなのこと、今後は呼吸機能のリハビリに励んで行くと思います。又、がんの転移はなかったものの、2年間は予防のために抗がん剤を服用する予定です。
今思うこと、我々はとても運が良かったのではないか。 ふたりして感謝を忘れずにいようということです。
皆様の温かいお見舞いありがとうございました。m(_ _)m