写真は私の持っているフラワーコミックス 1巻~3巻
この作品に関して、6月7日の記事 → た~だいま 読書中 のコメント欄につるさんより長文のコメントを頂き、とても共感できるものが有りました。私のコメント返しも含めて少し引用させていただこうと思いつるさんの了解も得てここに再録させて頂きます。
青字はつるさんコメント、黒字はトミーコメントの再録です。
有名なのでご存知の方多いと思いますが…「トーマ」は、萩尾さんが竹宮さんに連れて行かれた映画、、、タイトル忘れちゃったけど、先輩に恋してむくわれなかった少年が列車に身を投げて自殺するというようなラストの、外国の男子寮を舞台にした少年愛がテーマの映画、、、を観て、自分だったらこう考える、と発想したものを、趣味で描いていたもののようです。
当時短編作家として描いていた萩尾さんがある日編集部を訪ねると、「ベルばら」を読んだばかりで興奮していた編集者が「萩尾さん!長編やりましょう!」と言い出したんだそうで。長編となると強いキャラが必要だけど短編しかアイディアのストックがない、趣味で描いてるのが一本あるけどウケないと思いますよ、ということで、まとめて読めそうな分60p.ほどを見せると気に入られ、「これでいきましょう!」ということで連載スタートしたのだそうです。
ところが暗い内容とタイトルで連載第一回目のアンケート投票の結果が最下位と悪く、担当編集だった人も編集長になってしまい、「編集長になると無責任に人気のないものを続けさせるわけにはいかない」ということで、第三回目の原稿を持っていった時点で「終わらせてくれ」と言われたのだそうです。
萩尾さんも「でも一年以上続けるもの、という前提で受けたものですし」「この話はこれから面白くなるのです、絶対面白くします」と食い下がり「せめてあと二ヶ月」「せめてあと一ヶ月」と戦いながら、結局当初の予定の半分以下の半年で終わらせた作品だったのだそうです。
連載二ヶ月頃のとき「ポー」三巻の単行本が発売になったそうです。
編集では萩尾さんの実力は高く評価されていたようですが、どちらかというと低学年しか反応しないようなアンケートでは数字が悪かったようです。どの作品を単行本にするか、という会議の時、長く読まれる良作を、ということで「ポー」の発刊が決まったようです。
この「ポー」三巻は『発売後三日で売り切れ』という少女漫画界にかつてなかった『事件』を起こし…
「トーマ」は益々めんどくさい状況になったんだとか。「人気のないトーマをさっさと終わらせて週刊のほうでポーを連載させろ」とか。お偉方が。
いくらでもポーを描くからとにかくトーマをそれなりに終わらせてくれ…ということで当時まだ20代前半の萩尾さんは頑張った…涙なしでは語れません
…かような背景で「トーマ」は描かれたようです。それなのにあの作品としての質の高さは萩尾さんの果てしない実力の高さを物語っているように思いますが、作者としては仕方なくはしょったエピソードなどもたくさんあったのでしょうね。後に発表されたオスカーの幼い頃のエピソード「訪問者」を読んだときに思いました。
萩尾さんにとってはもともともっと追求したいテーマだったのだと思うのです。一旦は「トーマ」の形で終わらせたけど、40代の自分はどう考えるか。。
『愛のために列車に飛び込み自殺をした少年の心に何があったのか』というのが「トーマ」、それをさらに深めて『魂を引き裂かれた人間がどうやって回復していこうとするのか』が描かれたのが「残酷な神が支配する」なんじゃないかな~とつるちゃん思うのでちゅ
早速読み出したのですがーーやっぱりよく分からないところがあって、もっとよく読みこまなくては。趣味で描いてたというの読んで、さも有りなんと思いました。
しかしこの裏話面白いです。はしょったとは思えないほど完成度高いですが、なるほどそう言われればもっと描きたかっただろうと思われる所はちらほらと。
長編を依頼されて趣味で描いてたものを出したとかそれなのに打ち切られそうになったとかのあたりは萩尾さんご自身が書いてることです。
描きたかったのに描けなかった事があるんじゃないかとかいうあたりはソレに基づく私の推測なんですが。
萩尾さん作品をはじめて雑誌で読んだのが「ランプトンは語る」で、その後友達から借りたポー三巻は読みましたがまだあまりにも「びっくり」した状態から抜けてなかったので強烈な「萩尾体験」になったのが出合った年の冬に読んだ「トーマ」になりました(わかったようなわからんような書き方だなぁ)。…眠れなかった。。。なんでそんなにショックを受けてるのかわからなくて。
繰り返し読むうちトミー。さんと似たような疑問を持ちました。私はキリスト教をそんなに知らなかったんですが、トーマに描かれていることはキリスト教になじみのない日本人にはわかりづらいんじゃないかなあ、とやっぱり思いました…私はなんで掴めたのかな~と思ったときはじめて大好きだった「ナルニア国物語」がキリスト教をベースにしていることに気づきました…だから「キリスト教」としては知らなかったけど「キリスト教の精神」みたいなものは知らずに学んでいたと思うんですよね。。ともあれそういうベースのない人にはわかりづらそうに感じました、やっぱり。
自殺があかん、というのはトミー。さんが仰ってる通りだと思います。同性愛があかんというのもトミー。さんが仰ることのように思いますがそういえばどうしていけないのかハッキリわかりませんね…ただそゆことに励むと滅ぼしちゃうよ、っていうソドムの街の話がある、っていうふうにしか。(ゴモラはなんで滅ぼされたの??)
トーマは「自殺」という形をとっているけどたぶん正確には「自殺」じゃない…「ユリスモールを救うための手段」だということだと思います。「自」分を「殺」すために飛び降りたのじゃなく「ユリスモールの閉ざした心の扉を開くため」にほかに方法がなかった。『彼は今死んでいるも同然だ そして彼を生かすために 僕は僕の身体が打ち崩れることなんかなんとも思わない』のところです。
だからトーマは神に背いていないの。
そして同性愛といえば同性だからそうなんだけど、そどみーな快感をむさぼりたいための同性愛なんじゃなくて、『きみとならずっと遠くまで手をとって歩いていけそうな気がする』愛なんですよね(これはエーリクのセリフだけど。この場合トーマの気持ちと同じと解釈して良いと思います)。
いずれもそれでもカミサマがダメって言うならダメなのかもしれないけど。。。
ナルニアで、、、ナルニアを創った神様的、またキリスト的な存在は「アスラン」と言うのですが、アスランがアスランではなくほかの神を信仰していた男を支持するところがあるのです。その男が「なぜ」と訊くと「信仰が本物であれば、それが向けられる対象が何であってもあんたは私を信仰していたことになる」というところがあるのです。カタチを祀るのではなく真実に忠実であれ、というようなこと。
キリスト教にしろ何にしろそこが「信仰」というものの本質じゃないかと思う。それは私がナルニアから学んだことですが。。。
>「ユリスモールの閉ざした心の扉を開くため」にほかに方法がなかった。
としても、自殺は×
>きみとならずっと遠くまで手をとって歩いていけそうな気がする』愛
なら、一生プラトニックで高めあって生きなさい。
キリスト教は許さない気がする。西洋の宗教は厳格ですよ。
「トーマ~」 は私勝手に日本の女の子にゃ難しいだろと思ってましたが、名作として名が残っているところを見ると結構理解されていたと言うか、分からないなりにもショックを受けた人がいっぱいいたと言うのは事実なんですね。
西洋絵画の展覧会を見に行くと、旧約・新約聖書のお話を絵にしたものがいっぱいあって、マグダラのマリアなんてこれ見ている人の何人わかるの、イエスの母親の方じゃないのよ、とかモーゼは 「十戒」 (映画) が有名だから知ってるか、とか余計なこと考えちゃうけど、そんなことお構いなく、よい絵は誰が見てもよいと思えるの。それはバックボーンを知っていればよりよく分かるけれど。
同じことでマンガといえどショックを受けたことで興味を持っていろいろ調べ始めるきっかけになった人は多いと思う。「トーマ~」 でキリスト教にはまった人は何人いる ?
調べればもっと分からなくなって深みにはまる話とは思われますがね~~ハハハ(いやみな笑い)
>「信仰が本物であれば、それが向けられる対象が何であっても
昔、仏教系の偉い方に同じような話が有りましたね。凄く乱暴に言ってしまえば、信仰は同じだ、みたいな。東洋的な考えだなーと思っていたら、西洋にも同じ考えは有るのですね。信仰って面白いなー。
同じコメント欄で、夜さんのコメントに
>神を否定することを強制されたくらいで何故!?
と思ったとあるんですが、私も
普通の日本人ならそう思いますよね。とりあえずこの窮地を逃れるために、うそ付いたっていいじゃんと思います。キリスト教徒は殺されたって宗教を捨てないのか、生きていりゃこその宗教でしょ?本末転倒よ。
踏み絵を踏んでコロンだって生きてこっそり信仰を続けた方が良くないか?これは今の自分だから言えるセリフかしら。
>今でもトーマの自殺に関しては
頭では理解しても、共感できないのです!
これも同感です ! なんたって10いくつの子が自分で死ぬなんてどんな理由があったって・・・・だめですよ。この後輝かしい人生が何十年もあるのに・・・子供に先立たれた親の嘆きはどうなるの・・・いづれ誰でも死ぬにしろ、順番というものが有りますよ。
萩尾氏もこれを描くことによって考えさせているのかも知れない。いきなりこの場面なのでショックですけれどね~。
精神的な事プラス肉体的にも神を裏切ったと考えてユリスモールはあそこまで 死んだも同然 になっていたんですね。そう考えればなんとなく納得できます。辛いけど。
と返信しました。その後もつるさん、夜さん、ブックさん、カツゴンのママさんら熱っついコメントが目白押し。興味のある方、是非さかのぼって読んで見てください。管理人は・・・あっちっちっ、ちょっと熱を冷ましてこよう。
この作品に関して、6月7日の記事 → た~だいま 読書中 のコメント欄につるさんより長文のコメントを頂き、とても共感できるものが有りました。私のコメント返しも含めて少し引用させていただこうと思いつるさんの了解も得てここに再録させて頂きます。
青字はつるさんコメント、黒字はトミーコメントの再録です。
有名なのでご存知の方多いと思いますが…「トーマ」は、萩尾さんが竹宮さんに連れて行かれた映画、、、タイトル忘れちゃったけど、先輩に恋してむくわれなかった少年が列車に身を投げて自殺するというようなラストの、外国の男子寮を舞台にした少年愛がテーマの映画、、、を観て、自分だったらこう考える、と発想したものを、趣味で描いていたもののようです。
当時短編作家として描いていた萩尾さんがある日編集部を訪ねると、「ベルばら」を読んだばかりで興奮していた編集者が「萩尾さん!長編やりましょう!」と言い出したんだそうで。長編となると強いキャラが必要だけど短編しかアイディアのストックがない、趣味で描いてるのが一本あるけどウケないと思いますよ、ということで、まとめて読めそうな分60p.ほどを見せると気に入られ、「これでいきましょう!」ということで連載スタートしたのだそうです。
ところが暗い内容とタイトルで連載第一回目のアンケート投票の結果が最下位と悪く、担当編集だった人も編集長になってしまい、「編集長になると無責任に人気のないものを続けさせるわけにはいかない」ということで、第三回目の原稿を持っていった時点で「終わらせてくれ」と言われたのだそうです。
萩尾さんも「でも一年以上続けるもの、という前提で受けたものですし」「この話はこれから面白くなるのです、絶対面白くします」と食い下がり「せめてあと二ヶ月」「せめてあと一ヶ月」と戦いながら、結局当初の予定の半分以下の半年で終わらせた作品だったのだそうです。
連載二ヶ月頃のとき「ポー」三巻の単行本が発売になったそうです。
編集では萩尾さんの実力は高く評価されていたようですが、どちらかというと低学年しか反応しないようなアンケートでは数字が悪かったようです。どの作品を単行本にするか、という会議の時、長く読まれる良作を、ということで「ポー」の発刊が決まったようです。
この「ポー」三巻は『発売後三日で売り切れ』という少女漫画界にかつてなかった『事件』を起こし…
「トーマ」は益々めんどくさい状況になったんだとか。「人気のないトーマをさっさと終わらせて週刊のほうでポーを連載させろ」とか。お偉方が。
いくらでもポーを描くからとにかくトーマをそれなりに終わらせてくれ…ということで当時まだ20代前半の萩尾さんは頑張った…涙なしでは語れません
…かような背景で「トーマ」は描かれたようです。それなのにあの作品としての質の高さは萩尾さんの果てしない実力の高さを物語っているように思いますが、作者としては仕方なくはしょったエピソードなどもたくさんあったのでしょうね。後に発表されたオスカーの幼い頃のエピソード「訪問者」を読んだときに思いました。
萩尾さんにとってはもともともっと追求したいテーマだったのだと思うのです。一旦は「トーマ」の形で終わらせたけど、40代の自分はどう考えるか。。
『愛のために列車に飛び込み自殺をした少年の心に何があったのか』というのが「トーマ」、それをさらに深めて『魂を引き裂かれた人間がどうやって回復していこうとするのか』が描かれたのが「残酷な神が支配する」なんじゃないかな~とつるちゃん思うのでちゅ
早速読み出したのですがーーやっぱりよく分からないところがあって、もっとよく読みこまなくては。趣味で描いてたというの読んで、さも有りなんと思いました。
しかしこの裏話面白いです。はしょったとは思えないほど完成度高いですが、なるほどそう言われればもっと描きたかっただろうと思われる所はちらほらと。
長編を依頼されて趣味で描いてたものを出したとかそれなのに打ち切られそうになったとかのあたりは萩尾さんご自身が書いてることです。
描きたかったのに描けなかった事があるんじゃないかとかいうあたりはソレに基づく私の推測なんですが。
萩尾さん作品をはじめて雑誌で読んだのが「ランプトンは語る」で、その後友達から借りたポー三巻は読みましたがまだあまりにも「びっくり」した状態から抜けてなかったので強烈な「萩尾体験」になったのが出合った年の冬に読んだ「トーマ」になりました(わかったようなわからんような書き方だなぁ)。…眠れなかった。。。なんでそんなにショックを受けてるのかわからなくて。
繰り返し読むうちトミー。さんと似たような疑問を持ちました。私はキリスト教をそんなに知らなかったんですが、トーマに描かれていることはキリスト教になじみのない日本人にはわかりづらいんじゃないかなあ、とやっぱり思いました…私はなんで掴めたのかな~と思ったときはじめて大好きだった「ナルニア国物語」がキリスト教をベースにしていることに気づきました…だから「キリスト教」としては知らなかったけど「キリスト教の精神」みたいなものは知らずに学んでいたと思うんですよね。。ともあれそういうベースのない人にはわかりづらそうに感じました、やっぱり。
自殺があかん、というのはトミー。さんが仰ってる通りだと思います。同性愛があかんというのもトミー。さんが仰ることのように思いますがそういえばどうしていけないのかハッキリわかりませんね…ただそゆことに励むと滅ぼしちゃうよ、っていうソドムの街の話がある、っていうふうにしか。(ゴモラはなんで滅ぼされたの??)
トーマは「自殺」という形をとっているけどたぶん正確には「自殺」じゃない…「ユリスモールを救うための手段」だということだと思います。「自」分を「殺」すために飛び降りたのじゃなく「ユリスモールの閉ざした心の扉を開くため」にほかに方法がなかった。『彼は今死んでいるも同然だ そして彼を生かすために 僕は僕の身体が打ち崩れることなんかなんとも思わない』のところです。
だからトーマは神に背いていないの。
そして同性愛といえば同性だからそうなんだけど、そどみーな快感をむさぼりたいための同性愛なんじゃなくて、『きみとならずっと遠くまで手をとって歩いていけそうな気がする』愛なんですよね(これはエーリクのセリフだけど。この場合トーマの気持ちと同じと解釈して良いと思います)。
いずれもそれでもカミサマがダメって言うならダメなのかもしれないけど。。。
ナルニアで、、、ナルニアを創った神様的、またキリスト的な存在は「アスラン」と言うのですが、アスランがアスランではなくほかの神を信仰していた男を支持するところがあるのです。その男が「なぜ」と訊くと「信仰が本物であれば、それが向けられる対象が何であってもあんたは私を信仰していたことになる」というところがあるのです。カタチを祀るのではなく真実に忠実であれ、というようなこと。
キリスト教にしろ何にしろそこが「信仰」というものの本質じゃないかと思う。それは私がナルニアから学んだことですが。。。
>「ユリスモールの閉ざした心の扉を開くため」にほかに方法がなかった。
としても、自殺は×
>きみとならずっと遠くまで手をとって歩いていけそうな気がする』愛
なら、一生プラトニックで高めあって生きなさい。
キリスト教は許さない気がする。西洋の宗教は厳格ですよ。
「トーマ~」 は私勝手に日本の女の子にゃ難しいだろと思ってましたが、名作として名が残っているところを見ると結構理解されていたと言うか、分からないなりにもショックを受けた人がいっぱいいたと言うのは事実なんですね。
西洋絵画の展覧会を見に行くと、旧約・新約聖書のお話を絵にしたものがいっぱいあって、マグダラのマリアなんてこれ見ている人の何人わかるの、イエスの母親の方じゃないのよ、とかモーゼは 「十戒」 (映画) が有名だから知ってるか、とか余計なこと考えちゃうけど、そんなことお構いなく、よい絵は誰が見てもよいと思えるの。それはバックボーンを知っていればよりよく分かるけれど。
同じことでマンガといえどショックを受けたことで興味を持っていろいろ調べ始めるきっかけになった人は多いと思う。「トーマ~」 でキリスト教にはまった人は何人いる ?
調べればもっと分からなくなって深みにはまる話とは思われますがね~~ハハハ(いやみな笑い)
>「信仰が本物であれば、それが向けられる対象が何であっても
昔、仏教系の偉い方に同じような話が有りましたね。凄く乱暴に言ってしまえば、信仰は同じだ、みたいな。東洋的な考えだなーと思っていたら、西洋にも同じ考えは有るのですね。信仰って面白いなー。
同じコメント欄で、夜さんのコメントに
>神を否定することを強制されたくらいで何故!?
と思ったとあるんですが、私も
普通の日本人ならそう思いますよね。とりあえずこの窮地を逃れるために、うそ付いたっていいじゃんと思います。キリスト教徒は殺されたって宗教を捨てないのか、生きていりゃこその宗教でしょ?本末転倒よ。
踏み絵を踏んでコロンだって生きてこっそり信仰を続けた方が良くないか?これは今の自分だから言えるセリフかしら。
>今でもトーマの自殺に関しては
頭では理解しても、共感できないのです!
これも同感です ! なんたって10いくつの子が自分で死ぬなんてどんな理由があったって・・・・だめですよ。この後輝かしい人生が何十年もあるのに・・・子供に先立たれた親の嘆きはどうなるの・・・いづれ誰でも死ぬにしろ、順番というものが有りますよ。
萩尾氏もこれを描くことによって考えさせているのかも知れない。いきなりこの場面なのでショックですけれどね~。
精神的な事プラス肉体的にも神を裏切ったと考えてユリスモールはあそこまで 死んだも同然 になっていたんですね。そう考えればなんとなく納得できます。辛いけど。
と返信しました。その後もつるさん、夜さん、ブックさん、カツゴンのママさんら熱っついコメントが目白押し。興味のある方、是非さかのぼって読んで見てください。管理人は・・・あっちっちっ、ちょっと熱を冷ましてこよう。