むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

新年の迎え方、それぞれ

2015年01月04日 | 日記

新年、おめでとうございます

 

 

バリ島でのカウントダウンは、ビーチサイドにあるホテルのレストランに出かけた。

雨はじゃんじゃん、音楽がんがん、人々の期待がムンムン高揚する中、「3、2、1、0!」で、花火がボンボン上がった。

傘を借りてビーチに出てみると、半島のあちこちで同じように花火が打ちあがり、空気がふるえていた。

振り返ると、ヤシの木に巻いた電飾の向こうで、今いたレストランの灯りが水と花火の煙ににじみ、まるで夢のような光景だった。

 

この瞬間、かつてスキー場やイベント会場にいたこともあるけれど、ここ数年は紅白の後に「ゆく年、くる年」を観て、しみじみした気持ちで迎えていた。

だから、

「ハッピー・ニューイヤー!

と同時に、近くにいる人同士がハグし合い(たのしい)、雨のシャワーで水の境目がつかなくなったプールではしゃいでいる若者たちに見惚れた。

 

それが一日の朝になると、なにもかもすっかり元どおりで、日本のようにお正月三が日のあらたまった気配は見当たらなかった。

まず、わたしはほっとした。 それから少し、寂しくなった。

なぜって、31日の21時頃から部屋のすぐ近くで上がりはじめた花火は、(その場所では、ノンストップかつロングランで年越し打ち上げをしていた!)始めのうちこそウキウキしたけれど、10分もすると「盛り上がらなくっちゃ!」みたいな妙なドキドキがやってきたし、どちらかというと、しっとり「あぁ、新年がきましたねぇ。」という方が慣れていたから。

もう普段モードでいいんだ、という安堵。 

そして、おせちやお雑煮や初詣のない物足りなさ。

でも、これに代わる空白感は、日本にいても多かれ少なかれ三日を過ぎる頃にふいっと現れるから、どこにいても少し味わいが変わるだけだ

 

そんなわけで今年は、宝石に彩られたような、そのスイッチが一夜でさっぱり切り替わってびっくりしたような、パリッとすがすがしい年明けだった。

みなさんは、どんな年越しをされたんでしょう。 

2015年も、どうぞよろしくおねがいします

 

 


                           かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント