今日は、1並びの11月11日ですが、東京で、日常生活の悩みを聴くグループに参加した帰り道、麻布十番のべーカリーカフェでパン2つとコーヒーを頼んだら、これまた ¥777 と、ちょっとハッピーな合計が出ました
さて、バリの後半、バロンとランダのお祭りです♪
この日は、親族、楽団・劇団、信者の方たち100名ほどが集まって、先日お面を取り替えたバロンさまのお披露目に、盛大な儀式が行われました。
天狗みたいな神さまに扮した二人の、バリ語の掛け合い(ほぼ漫才)、ガムラン演奏と共に親族の舞、バロン(善、解毒を象徴する精霊の王)とランダ(悪、病を象徴する魔女)の舞踊、神様へのお祈り・・・などが、休憩を挟みながら、午後4時から翌朝4時まで続きました。
ちなみに、バロンとランダについて、バリでは、善悪が均衡することで世界が存在しているとされるため、これらを意味する両者の闘いは、永遠に決着がつきません。
そうした世界観の下で、日々の平和は、神の善の力が大きい時に続くと考えられ、人々はお供え物をし、踊りを舞い、ガムラン音楽を捧げ、神さまが元気なように祈ります。
また、基本的に人間を害する魔法しか使えないランダですが、誰かの温かい心に触れ、良心に目覚めることで、人を癒す魔法も使えるようになります。
午後3時半、儀式の支度が、進められていきます。
社に向かうランダ。
続いて、バロン。
親族の舞い。
檀上では、ガムラン音楽が演奏されている。
男性と女性、向き合って踊る。
ランダ、ここから、「キーッ!!!」っと張り叫びながら、突進してきます。
おっかなすぎ。 子どもたちと一緒に後ずさり。
バロンが、可愛らしく思えてきました。
この日も、Iikくんのお父さんはトランスし、男性たちに抱えられて行った神さまの前で、お告げを授かっていました。
後で、その時の意識の状態を聞きましたが、「自分でコントロールできなくなっていて、まったくわからない」そうです。
そもそも、昔、王さまの別荘だったこの場所は、一時使われなくなり、ジャングルとして荒れていた時期がありました。
その頃、王宮に暮らしていたIikくんのお父さんは、ある晩、夢の中で、そこに祀られている神さまの世話をしなさい。という声を聞きます。
その声に従って、さっそくここに移り住み、社を建て、土地を整備し始めます。
ところが、当時のお寺の建設は施工図がなく、大工さんに口頭で指示しながら造っていくのが通例だったため、行き違いが絶えず、ストレスで体調を崩されてしまいました。
現在でさえ、門の前にブロックを敷いている職人さんが、いつの間にかジグザグに並べていて、Iikくんが真っ直ぐ敷き直す実演をしながらフンガイしてるくらいなので、複雑な神殿なら、なおのことだったでしょう。。
けれどもその甲斐あって、今では、お寺と池と森が調和し、家族が五世帯、お手伝いの方、鶏や犬たちが、お寺の行事と共に暮らしています。
かつて、手入れされていなかった神さまを気に掛けるほどに優しいお父さんだから、親族の中でもただ一人、不思議な通い合いができるのかもしれません。
「とにかく集中するんだよ。 最初は不規則だったけど、訓練しているうちに、儀式の度にトランスするようになったんだ。
私の使命はね、生き方がどんどん早く、忙しく変わっていくこの時代に、神さまを大事にする心を忘れないよう、これからの人たちに伝えていくことなんだよ。」
彼はいつものように、門前の敷地に置いたベンチに腰かけていました。
「ここへ来た時は、なーんにもなーい、ジャングルだったんだ。」
と、ぐるりと手を広げたその先には、一瞬の途切れる隙もなく、車が轟々と走っていました。
お祈りが終わって、またいつも通りの意識に戻った彼と、一緒にお祭りのごちそうをいただきました。
夜と深夜の二回、メインに豚肉と、亀肉の串焼きが振る舞われました。
思えば、わたしはこれまで、カエルをタイで、猪をイタリアで、山羊と亀をバリで初めていただきました。
日本では、熊や鹿、そして当たり前のようにスーパーに並んでいる、たくさんの命。
バロンとランダが永遠に闘っているように、生きることは、否応なく、誰かを助けも傷つけもしていて、対のように見える循環から逃れることはできないのだと、つくづく思います。
彼の家では、普段、ランダは部屋の中に、バロンはテラスに祀られていました。
バリ島で、先進国より晴れ晴れした表情をよく見かけるのは、平和を想い、日頃、表のバロンを意識しながらも、自分たちの潜在意識のランダにも居場所を与えるというオープンで象徴的な宗教観を共有しているために、不安と個人的に闘っていないこともあげられそうです。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/