ホイアンの街はノスタルジックで、よく温泉に出かける岐阜県高山の古い街並みを想わせた。
・・・父が息を引きとる10日くらい前にも一緒に歩いたっけ。
やっぱり外国人観光客の多い古民家風カフェで父はおいしそうにぜんざいを食べて、そのあと近くに寄っても逃げずにこちらを気にした様子でじっと立ち尽くしてるシラサギを見ながら長い河原を散歩した。あれはひょっとして、父が母ともよくその辺りを歩いた思い出話をしてたから、14年前に逝った母だったのかもしれないなぁ。
こちらは午後五時、入り口の席で西洋人のお客さんがおしゃべりに花を咲かせているカフェ二階のテラス席。天井からシャンデリアのようにランタンが下げられていた。そよ風に吹かれ甘いベトナム珈琲を飲みながら、夕食までのひと時を一緒に参加されている方のこれまでの旅の話をききながら過ごす。弱ったり苦笑してしまう体験が次々披露されて、旅の感動にほろ苦さはつきものだなぁと、しみじみおもしろい。
だけど不思議と、その時は隣にいて進んで話すその人に耳を傾けていたけれど、今心に残っているのは、ちょっと離れた席でそれも景色の一部みたいにほほ笑み、なんとなく楽しそうにただ「今」の空気に溶け込んでいた人の方。彼女とは行く先々で何気ない感想をほろっと交わし合った。ちょうちょみたいに。
このティータイムは、昼間の太陽とにぎわう通り、行き交うバイクの熱気から解放されて、旅行の中でもいちばんほっとした緩やかな時間だった。
日中そのランタンを作っている工場を訪ねた。ここでは彫刻や美しい刺繍絵画、絹を織り裁断し、服を仕立てる人たちの制作の様子を間近で見学。
ツアーは写真を撮る暇がわずかだったので、気になればさっと走って一、二枚勢いで写し、また列に戻った。そんな瞬間の“Cold Drink”と書かれたクーラーボックスの上で店番するわんこ。
そう言えば高山の商店街にもこんなわんこがいて、以前ブログに載せたことがあった。どちらの街も生き物や路地や河が長い年月を渡る風にとっくり撫でられていて、そこに来る人びとにもまろやかな安息を許してくれるみたいだ。
夕食をとる河沿いにあるレストランの表通り。暮れかけた空に満月(画面中央やや右下)、色とりどりに灯るランタンは命を讃歌して、温かいものにゆったり背中を抱かれるようなアジアの夕暮れ。
つづく