彼女は、よく泣く。
子供の頃、両親に、「美鈴はしっかりしてて、泣いたことがないね」と、おりこうさんを褒められていた分、24才でカウンセリングを受けてからは、涙を放流したんだと思っている。
子供の頃、両親に、「美鈴はしっかりしてて、泣いたことがないね」と、おりこうさんを褒められていた分、24才でカウンセリングを受けてからは、涙を放流したんだと思っている。
それから倍の時間生きて、48才になって振り返ると、それがゴオゴオとあふれ出した4つの瞬間が浮かぶ。
まず、父親と母親が亡くなった時。
そして、「付き合ったら今のパートナーとは別れる」と言っていた男性が、付き合い始めたら「やっぱり別れられない」と低いトーンで言った時。
旦那さんが、浮気していたのを知った時。
渋い人生である。
でも、同時に彼らの涙も思い出す。
渋い人生である。
でも、同時に彼らの涙も思い出す。
母親は末期がんで入院し、病室のベッドから、人生を通してその下をよく歩いたテレビ塔にぼんやりと目を向けていた。
海外に住んでいた美鈴が帰国し、部屋に入ってくると、目が合うなり「ワッ!」と眉間にしわを寄せ、口元に手を添えて泣いた。
父親とは、亡くなる3カ月前にケンカをして、簡単なメール以外、連絡をし合わないでいた。
3週間ぶりに夕食の約束をしたレストランで再会して、「その時」の気持ちを話すと、父親は「人間だからね。。」と言って眼鏡を外し、窓の外の、若い頃母とよく待ち合わせをしたという大名古屋ビルヂングの方に顔を背けて、表情を崩した。
子供みたいで美鈴の母性本能をくすぐった男性は、最後に会った時、彼女の涙が開きっぱなしの蛇口の水のように止まらないのを見て、つられて二筋、透明な涙をツーっと流した。
子供みたいで美鈴の母性本能をくすぐった男性は、最後に会った時、彼女の涙が開きっぱなしの蛇口の水のように止まらないのを見て、つられて二筋、透明な涙をツーっと流した。
そして、素早くそれを右手で拭った。
元旦那さんは、初めて会ってから数回目のデートで、彼女がおつき合いを断って友達ならと答えた時、こちらをまっすぐ見たままで、みるみる目を潤ませた。
美鈴は、涙を素敵なものだと思う。
それを止められた言葉もまた、愛しく思う。
余命少ない父親と夕方の散歩に出かけようとしていた時、症状が進んで鎮痛剤が効きにくくなっていたところに、急にお腹の痛みがぶり返し、二人で躊躇いながらも門を出た。
「痛いならムリしないでいいよ」と言って、グスッとなりそうになった美鈴に、「泣くな」と父は間髪入れず笑いかけ、スッと背を伸ばした。
そして、「だいじょうぶだから、行こっ」と、痛みなんて大したことないみたいに、裏山へ続く道を先立って歩いた。
あれから5年。もう父親はいないが、あの時と同じ言葉を聞いてドキッとした。
あれから5年。もう父親はいないが、あの時と同じ言葉を聞いてドキッとした。
浩司さんは、21才年の離れた以前の職場の先輩で、恋愛関係があるわけでもないのに、もう20年以上、美鈴を家族のように気にかけてくれている。
彼の娘さんの、お相手の話をしていた延長で、美鈴がくだんの年上男性に、当時父親を重ねていた、という話題に及んだ。
どちらも頑固だったけど、父は母が亡くなった後、美鈴と話したり本を読んだり、闘病をしたりしているうちに、ものの見方が柔らかく、異なる意見をフラットに受け入れるようになっていった。
でも、好きだった男性は変わることを恐れ、その度、盛大に抵抗した。
時間も必要だし、タイミングもまだ整っていなかったのかもしれないが、それを聞いて浩司さんは言った。
「そりゃ、お父さんがお前のこと本当に好きだったからよ。やっぱり親は違うて」
「そりゃ、お父さんがお前のこと本当に好きだったからよ。やっぱり親は違うて」
「そっかあ。。じゃあ、わたしが彼を息子みたいに思っちゃってても、やっぱ他人だったんだね。。その人にとっては」
「そうよ、他人よ。親は特別。オレだって子供や孫に何かあったら出ていこうと思ってるもんね。できるうちは」
「うん。。そういうの、わたしも、安心感あったなぁ。何があっても味方でいてくれて、何かあったら相談できてさ。。でもわたしにはもう、残ってる人、他人しかいないじゃん」
「泣くなっ」
同じ声色だった。
美鈴はまだ泣いてなかったけど、懐かしくて声が震えた。
明るく、とっさに元気づけてくれる、逞しくてやさしい父性。
他人でもいいじゃん。
この世界に散りばめられている輝きの欠片を集めていけたら、と美鈴は思った。