むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

梅雨の晴れ間の坐禅会

2013年07月04日 | 日記
先日、友人の主催するお寺の坐禅会に行ってきました。

重厚な本堂に坐ると、開け放した窓から緑の葉を揺らして、爽やかな風が流れ込んできます。
ふわぁ~気持ちいい。 このままでも無心になれそう

いやいや。 今日は、指導していただく住職さんの隣に、警策(修行のゆるみや過度の緊張をほぐすため、肩や背中をたたいてもらう棒)もスタンバッている。 ここは気を引きしめて。と、背筋を伸ばしました。




この警策の励ましを、すすんでいただいた友人からは、「気付いたら肩こりも楽になった気がする!」との感想を聞いて、妙になっとく。
心の凝りだって、放っていたらドンヨリしたままだけど、誰かにちゃんと聴いてもらえたら軽くなるものね・・・

痛みに意識を向けながら、それ以上の考えを休ませるのと、ただぼおっとすることの違いは、この辺にあるのかも。

だけど、お弟子さん向けの本気の打ちは、すばらしく歯切れよく、また別次元の響きでした。。 


坐禅と読経の後は、やさしいお粥と、でっぷり実って滋味に富む、お野菜たちのゴロゴロスープをいただきました




今回の、世田谷区龍雲寺さんの整った境内には、これまで京都のお寺で写経をしたり、法会に参列した時同様の厳かな雰囲気に、住職さんの朗らかな親しみが添えられているように感じました。 

                                                  合掌






                            

                           かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/

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