比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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五月の白馬山麓・安曇野・・・花見ツアーの最後は・・・白沢洞門・嶺方峠を越えて帰路に

2017-05-25 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
5月2日、安曇野の桜の花見ツアーはこれにて終了、帰路に。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

国道406号線(鬼無里街道)白沢洞門で・・・振り返ると白馬連山が。五竜岳のクローズアップでこの旅のフィナーレとします。
※撮影は5月2日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。

白沢洞門、嶺方峠(2015年9月撮影)・・・国道406号線(鬼無里街道)北安曇郡と上水内郡の郡境、姫川水系と信濃川水系との分水嶺、標高1100m。この峠、地図には名前が無い。嶺方峠と呼ばれている? 

白馬連山山麓、安曇野桜紀行はこれにてジ・エンド。

白馬連山・・・正式には後立山連峰ですが・・・これは富山側から立山連峰の後ろに位置することからの呼び方です。信州側からはシックリ来ない呼び名なので白馬連山と表記しました。青年時代に一人でこの山稜を歩いた思い出がひろがります。

安曇野・・・地理的にはこういう言葉はないようです。1964~1974年にかけて執筆された臼井吉見の大河小説「安曇野」が出版されてから安曇野という言葉が使われだしたといいます。響きのイイ言葉です。松本平の梓川以北、犀川左岸から高瀬川あたりまでをいうようですがここでは北安曇郡も含めて安曇野と表記しました。ちなみに安曇とは・・・古代九州、福岡県糟屋郡安曇郷から姫川を遡って信州梓川の扇状地に集団移住したという安曇族からの地名。安曇族は全国に点在しています。安曇族のルーツは、集団移住の理由は・・・謎です。

フォトスポットはできるだけわかりやすく記しました。大勢の人に楽しんでもらいたいからです。
 一年の内でいちばん美しい春の雪山・・・山名、標高もできるだけ記しました。

 いつの日か四季美しい白馬山麓を尋ねて見てほしいと願っています。



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