比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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上信県境・・・碓氷峠・・・日本鉄道史に残る遺構・・・旧信越本線・・・熊ノ平駅跡

2018-05-08 | 鉄道と駅 関東編
信州上田の・・・六文銭の写真帳


明治維新の翌年の1969年・・・新政府は近代的公共基盤の構築の一環として鉄道路線の建設を計画、まず首都と定めた東京と京都を結ぶこと、中山道幹線、東海道幹線が検討され、1883年中山道幹線鉄道計画が決定。1985年には上野~高崎~横川まで開通。凄いスピードです。国を挙げての国策であったことがわかります。ところが横川~軽井沢間の天下の難所、比高550m、平均斜度6.67%の急斜面の碓氷峠で工事は行き詰まります。1886年政府は東海道幹線鉄道計画に変更、中山道幹線鉄道計画は頓挫。

しかし、この計画を東京と日本海とを結ぶ計画に切り替え1988年工事を再開、アプト式レールを施設、18の橋梁を架け、26のトンネルを穿ち1833年信越本線として東京~直江津間が全通。明治維新から26年目のことです。

さて日本の近代化のためのインフラ事業の歴史的遺構、旧信越本線横川~軽井沢間の「熊ノ平駅」を尋ねました。
国道18号線(旧道)から連絡階段を上っていきますと廃線、廃トンネル。廃プラットホームが見えてきます


 

1893年 横川~軽井沢間アプト式レール施設で開通。熊ノ平給水、給炭所として開設。
1906年 「熊ノ平駅」に昇格。
1937年 変電所開設(写真右側に)。
1950年 駅構内で土砂崩れ、死者( 職員とその家族)50名、重軽症21人。
1966年 信号所に降格。
1987年 JRに。 
1997年北陸新幹線開通、横川~軽軽井沢間が廃線に.。



 アプト式開通の碑(1963年新線開通、アプト式撤廃)。

1950年駅構内で豪雨のための土砂崩れ発生。殉難慰霊碑。全国国鉄職員の浄財で建てられました。
※撮影日は3月13日。
横川駅から約6㎞、廃線、廃トンネルを歩くハイキングロード「アプトの道」の終点です(往復12.2㎞)。 


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