比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

小江戸川越・・・鰻屋で・・・いっぱい

2009-02-09 | 道をゆく 埼玉イイなっ
むかしむかしの友だち6人が集まって川越の街を物見遊山して一杯飲んでわけのわからないことを話したという話しです。

川越物見遊山の定番その①蔵の街にやってきました。
まあイキナリ一杯というわけにもいきませんからね。電柱がない街です。

海抜700mの信州の山奥から深川不動尊の界隈から上州からなぜか川越に来てくれました。むかしむかしの友だちが会ってメシが食えるということは幸せなことです。青春時代のたった数年間の付きあいの友だちです。時間がたつうちに「呼び捨て」になってしまいます。クラスも違うし部も野球部、卓球部、山岳部、社研部、といろいろで不思議な縁です。
一期一会をくりかえしているのかな。

蔵の街・・・菓子屋横丁があり蔵造りの町屋が並び、明治・大正の洋館も点在しています。

写真左は第八十五国立銀行。1876年設立、1918年改築。現在は埼玉りそな銀行川越支店。

写真右は「時の鐘」。初代は江戸時代初期、現在のものは四代目1894年。高さ16m。現在も1日3回時報を鳴らしています。

 川越の物見遊山の定番のその②・・・喜多院にやってきました。
白梅の向こうに江戸城大奥の春日局の居所だったといわれる書院が見えます。

喜多院・・・星野山無量寿寺・・・830年開山、鎌倉時代に北院、中院、南院に別れ、のちに北院は喜多院と改称。1599年徳川初代将軍家康のブレーンといわれる天海僧正がここのいちばんエライ人になります。ここの客殿、書院は三代将軍家光の時代に江戸城内の別殿を移築したものです。

川越の物見遊山の定番のその③・・・お食事処にやってきました。

お食事処「い○○や」です。
このお店の2階に見える妙なものが気になります。戸袋でしょうか。風雪に晒されて木目が浮き出ています。

創業は天保三年(1832年)・・・江戸時代末期、いまから約180年前です。

ここは「う○○」料理の老舗です。海の無い埼玉県ですからとうぜんです。
最初に注文したのは「お刺身」でしたが。

宴のあと・・・

よく飲んで
よく食った・・・

お互いに好きなことをいってるだけの不思議な宴会でした。

川越の街・・・メインの商店街、ウイークデイの昼間というのに混雑してるのです。シャッター店もありません。蔵の街は観光客や中学生の社会勉強の一団で賑わっています。不思議に元気がある街です。


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