比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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冬の信濃路・・・旧北国街道・・・旧道に忽然と・・・「海野宿」④・・・「うだつ」の上がる風景

2018-01-28 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳

1月12日、ふたたびの東御市本海野「海野宿」。昨年の11月29日以来です。
江戸時代、德川幕府は1601年から7年かけて五街道を整備、続けて1625年中山道追分宿から分れて北信濃、上越、越中、加賀に向かう北国街道が整備。北信濃、上越、北陸の大名の参勤交代の道、善光寺への信仰の道、佐渡金山の輸送の道です。
追分宿から分れて小諸宿、田中宿、海野宿、上田宿へと続きます・・・最初は海野宿は田中宿のサブのような位置づけ、のちに本宿に格上げ・・・

テーマパークではありません。ドラマのセットではありません。人が普通に生活している街村です。

うだつ(卯建、卯立)の上がる風景。冨の象徴です。
左から褐色の壁が本うだつ、白い壁で塗り込められたのが袖うだつ






※撮影日は1月12日。
うだつ・・・平安時代、うだち(うちばり)・・・梁の上に建てる補強材の小柱が起源のようで、その後、切妻面を覆う外壁、装飾に変化、表音文字でも梲、卯建、卯立に変化していった。防火擁壁といわれますがどれだけ効果があるか?
※これだけ卯建の上がった街を他に見たことがありません。明治維新後の湯蚕業への転業が富の蓄積を産んだと思えます。

※この稿は続きます。

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