比企の丘

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荻野吟子・・・日本の女性開業医のパイオニア

2008-06-24 | 道をゆく 埼玉イイなっ
利根川の右岸、「赤岩の渡し」(葛和田の渡し)を見に来て、グライダー場を見たり「光芒」を見たりして帰路に着いたとき道の脇に記念碑らしきものを発見、車を停めてみました。

荻野吟子・・・ナンダこの人は

記念碑のそばに東屋があります。荻野吟子の略譜などが書いてあります。
日本女性開業医の第1号だそうです・・・ふ~ん・・・シランカッタ

東屋の隣に長屋門があります。熊谷市立荻野吟子記念館のようです。

荻野吟子(1851~1913年)・・・美形です。
武州俵瀬村の名主の五女として生まれ16歳のとき近村の名主の長男と結婚、病を得て離婚、東京順天堂に入院。女性にとってたいへん恥ずかしい診療だったため女医になることを決意。漢方医に師事、東京女子師範(現東京御茶ノ水大学)一期生、私立の医学校をへて、31歳のとき医術開業試験の受験を申請するも女性という理由で却下(翌年も却下)、1984年ようやく受験を許可され合格(前期),翌85年後期合格、34歳のときです。
東京湯島に産婦人科荻野医院を開業、キリスト教入信、女性の地位向上の運動、廃娼運動、再婚、夫とともに北海道に渡り開業、夫の死後、東京に戻り開業。医師としてはさしたる功績もありませんし、晩年は不遇だったようです。この時代は女医に対する社会的評価もイマイチだったでしょう(女性の社会的地位が認められてなかった)。一般庶民が医者にかかれるという時代でもありません。
それにしても近代日本の女性医師のパイオニアであることはマチガイありません。
埼玉県の生んだ三大偉人の一人です(あとの二人は誰でしょう)。偉人とは奇人・変人・己の信ずる道を突き進んだ人です(地位も名誉もお金も関係ありません)。

アーバン・オーバンさんのコメントで荻野吟子のことを書いた小説と名前を冠した小惑星があることを教えていただきました。アーバンさんありがとうございました。

渡辺淳一著「花埋み」
 (河出書房新社1970年初版)
 写真は集英社文庫
 
小惑星「Ginkoogino」
熊谷天文同好会員の発見した惑星の命名を熊谷市内中学生から公募したもの。詳細は熊谷市文化センタープラネタリュ-ム館のホームページで。

蛇足ですが・・・近代日本の西洋医学の女医第1号はシーボルトの娘、楠本イネです。数奇な運命をたどりながら医師として独立しますが1875年に始まった医師開業試験制度で医師廃業を余儀なくさせられます。1984年荻野の後援者石黒忠悳の奔走で女性にも門戸が開かれたときすイネはすでに47歳、断念せざるを得ませんでした。したがって医師開業試験に合格した女医1号は荻野吟子になります。司馬遼太郎「花神」、吉村昭「ふぉん・しいほるとの娘」などの小説があります。読んでみよう。

ここで思いがけない人に出会いました。旧知の人が道に立ってます。いまはこの記念館の関係者?らしい。夕方の5時、閉館時間のようです。再会を期してお別れしました。利根川の散歩、これにて終わりです。
荻野吟子記念館マップ
埼玉の三大偉人・・・塙保己一(本庄市保木野)、渋沢栄一(深谷市血洗島)、荻野吟子。


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