昭和の歌姫・・・美空ひばり・・・あの戦争の敗戦の4年後の1949年、主演した映画の主題歌「悲しき口笛」でレコードデビュー、45万枚の空前の売上(当時の史上最高)となり、国民的歌手への道を歩き出しました。人々はなぜ「ひばり」の歌に熱狂したのでしょうか。敗戦の焼け跡の中で一筋の光を見たような思いがしたのでしょうか。
悲しき口笛
丘のホテルの 赤い灯も
胸のあかりも 消えるころ
みなと小雨が 降るように
ふしも悲しい 口笛が
恋の街角 露路の細道 ながれ行く
(1948年 作詞:藤浦洸、作曲:万城目正) 丘のホテルの 赤い灯も
胸のあかりも 消えるころ
みなと小雨が 降るように
ふしも悲しい 口笛が
恋の街角 露路の細道 ながれ行く
それから25年後、1974年、「第1回広島平和音楽祭」で美空ひばりは「一本の鉛筆」という歌を歌います。美空ひばりのために音楽祭の総合演出を担当していた松山善三が作詞、佐藤勝が作曲した歌です。
美空ひばりはこの歌を歌う前に「これから永久に残る大切な歌でございます」と語りかけます。
一本の鉛筆
あなたの聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちとわたしは書く
(1974年 作詞:松山善三、作曲:佐藤 勝) あなたの聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちとわたしは書く
画像は8月4日放映のNHK総合テレビ「いのちのうた」より。
それから19年後の1988年「第15回広島音楽祭」にひばりは再度出演、翌1989年帰らぬ人に。
「一本の鉛筆」は美空ひばりの予言したとおり、永遠に歌い継がれる歌になった。
が、ひばりさんの晩年は、歌のうまさに唸らせられたものです。
誰もが望む平和、今、健在ならひばりさんは何というのでしょう。
わたし的には、好きな歌手ではありません、
でも、歌のウマさにうならされました。
ファン層も幅広いです。美空ひばりが青春だったという人が大勢います。
そんな彼女が歌ったからこそ、絶叫型ではない「戦争はいやだ」というこの歌が、今も歌われているのでしょう。