比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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武州・荒川・・・流域を潤した・・・六堰頭首工

2011-03-23 | 川と滝と湖と海と橋の風景
3月10日(大地震の前日)、深谷市本田の鹿島古墳群駐車場に車を置いてチャリンコ散歩。荒川の右岸を上流に向って走ります。

吉野川です。地元では逆川と呼ぶそうです。比企丘陵の北端に位置する金勝山辺りを源流とする吉野川はここで荒川に合流します。

六堰頭首工にやって来ました。重忠橋といいます。記念撮影です。
1602年、江戸幕府の初代関東郡代伊奈忠次が新田開発のためにここに六つの堰を設け、時が流れ昭和の始め1939年に六つの堰をまとめて一つの取水ダムを建設、老朽化のため平成になって2006年新六堰頭首工が完成しました。
6つのダムがあるわけではなく1つです。重忠橋は一般道路でもあり取水堰の管理用橋です。


六堰・・・左岸に・・・奈良用水、玉井用水、大麻生用水、成田用水。
    右岸に・・・吉見(万吉)用水、御正用水。
頭首工とはむかしの土木用語で農業用水の取水堰のことらしいです。

橋の名前になった重忠とは中世鎌倉時代の郷土の武将畠山重忠公のこと。右岸の南1km先に史跡公園があります。
下に見えるのは階段式の魚道、ほかに緩勾配の魚道もあります。魚道は両岸にあります。


左岸に渡って、管理事務所の横の永田町公民館、不動尊、石仏の集められた公園風なところ。梅の花が満開です。


重忠橋からは左岸に沿ってチャリンコを走らせます。
櫛挽排水路といいます。橋から100mばかり下で荒川に放水されています。櫛挽、櫛引という地籍がこの北の岡部、寄居の境辺りにあります。そのあたりからの水路らしいです。


400年の水の歴史が見えてきます。血を見るような水争いもあったと思います。水が穀物を育て、関東平野の膨大な人の命を支えてきました。

荒川の流れに魅せられて大麻生あたりからここまでチャリンコ散歩しました。いずれもっと深く探索したいと思います。


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