比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

赤石山の麓・・大鹿村・・大河原

2007-08-25 | 信濃の国は 伊那・諏訪
信州の山の谷の街道、秋葉街道を散策しています。
大鹿村。人口1300人、面積248.35k㎡、
ちなみに日本の村で一番大きいという十津川村は4500人、672k㎡。

36災害の跡も生々しい大西公園から見た大河原と赤石山方面です。
赤石岳(3120m)・・・堂々たる山です。今日は雲に隠れています。
伊那地方では「赤石ヤマ」と呼んでました。学校の校歌などでは「ヤマ」が多いようです。
大河原・・小渋川流域で唯一の平地です。護岸工事と川床砂防工事がされています。
見回わすと住居は川岸から数百m高い山腹にあります。
小渋川は落合からふたたび天竜川に合流するまでV字谷が続きます。


大鹿村のやんごとなき居候
宗良親王(1311~1385)・・・・・ほとんどの人が知りません。建武の中興で有名な後醍醐天皇の何人目かの皇子。この人30年余ここを根城にして居座ってたのだそうです。歌詠みでもあり天台宗座主でもあり、征夷大将軍に担がれて足利尊氏と戦いますが、性格が温厚で争いごとが嫌いだったようですぐ大鹿村に帰ってきます。よほど大鹿村がお気に入りだったんですね(終焉の地は大鹿村と静岡伊井谷の2説あるようです)。30年間も居候の面倒を見た大鹿村の人はエライ!
宗良親王ゆかりのお寺、宝篋印塔とかあります。
お兄さんの「大塔宮護良親王」は「太平記」で有名です。征夷大将軍になったりしますがオヤジとも足利尊氏とも新田義貞ともうまく付き合えず27歳の若さで鎌倉で獄中毒殺されます。オボッチャンで癇症で世間知らずだったらしくあまり同情されてません。

赤石山脈(南アルプスという名前は使いたくないのです)の登山基地、大鹿村
塩川を遡って三伏峠(2607m)から塩見岳(3046m)に、元はこのコースでしたが近頃は鳥倉という1600m地点がバスの終点でそこから三伏峠に行くのだそうです。
赤石岳(3120m)には大河原からエンエンと小渋川を遡行して行きます。ウエストンも通った道です。今はどこまでバスが入るのでしょうか。

むかしばなしです・・・ガキ四人で飯田線伊那大島駅から歩き出します。渡場というところから小渋川の沿って一日中歩き塩川のドン詰まりの集落の入沢井の分教場に泊めてもらいます。2日めは三伏峠まで、3日目でようやく塩見岳に、山を下りて帰りはさすがにバスに乗りました。
入沢井という集落、あとで母に聞いた話ですが母の実家のお先祖様の土地らしいのです。何百年前かわかりません。何らかの事情で伊那の谷の平地に出てきたのでしょう。重箱などの什器に入沢井と書いてあったそうです。文書に書き残すなんて習慣は百姓にはありませんからあとは霧の中です。

鹿塩の里で昼飯にしました。鹿の肉を食べようとしましたが止めて豆腐と野菜テンプラの定食でした。

大鹿村に関するHPなど紹介します。
  大鹿村観光HP日本で最も美しい村村内案内図

地蔵峠を越えて遠山郷と思いましたが止めて、陣馬形高原に行くことにします。


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