比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

きょうは何の日・・・69年前・・・太平洋戦争・沖縄戦のはじまった日

2014-03-26 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと

太平洋戦争、、日本国土の上で行われた最後の地上戦、あの戦争の沖縄戦、今から69年前の3月26日、沖縄本島の西方40㎞に浮かぶ大小20の島嶼群からなる慶良間諸島に米軍が上陸することからはじまります。

このことについて過去のブログですが再掲載いたします。

2007年3月26日のブログきょうは何の日・・・沖縄戦・慶良間諸島に米軍が上陸した日

今日は何の日。1945年3月26日、太平洋戦争で沖縄に米軍が攻撃を開始、慶良間諸島に上陸した日です。
慶良間諸島、本土の人はほとんど知りません。那覇空港の遥か西方40kmに浮かぶ島、そこが慶良間諸島です。船で1時間、大小20の島からなります。
映画「マリリンに逢いたい」(1988年公開)の舞台になったことのある座間味列島ですが、その映画ももうむかしの話です。

米軍はいとも簡単に上陸しました。わずかな日本兵と防衛隊と称するものと島民です。阿鼻叫喚です。パニック状態です。

渡嘉敷島の記録では犠牲者は
日本兵76人、軍属87人、防衛隊41人、島民368人(うち集団自決329人)とあります。
この集団自決が後々問題になりました。慶良間諸島全体では集団自決は700人といわれます。

1950年沖縄タイムス社が「鉄の暴風」でこの事件に触れます。
1970年大江健三郎が「沖縄ノート」(岩波新書)でこの事件に触れます。
1973年曽野綾子が「ある神話の背景」(文藝春秋社)でこの事件に触れます。

前2書は集団自決が日本軍の指揮者の強制によるものであるとし、曽野綾子さんはそれを否定した意見を展開しました。1985年この論争が始まります。

恥ずかしながらわたしはこれらの本を読んでいません。この論争についても知りません。したがってこのことについて語ることはできません。

沖縄戦線の証言は生きていた方々が数々語っています。封印した人もいます。60数年たった今、語ることのできる方々は少なくなりました。
集団自決は手榴弾、銃、青酸カリ、クワ、鎌、縄などで行われたといいます。これは沖縄本島においても同じです。極限状態の中で何があったのか、わたしにはわかりません。

集団自決は日本軍の示唆によるものであったか否か。わたしには語る資格はありません。ただ集団自決があったことは事実です。そのことを歴史から消してはなりません。

こころの一人旅」さんよりトラックバックをいただきました。下記↓をクリックして読んでいただければと思います。
2009年7月4日のブログより・・・渡嘉敷島より…「その一点だけは」 ~NHK沖縄慰霊の日特番~

※カテゴリー「沖縄のこと…クリックして読んでいただけたら…。 




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
渡嘉敷島でのこと (菜花)
2014-03-27 10:51:32
こんにちは。
本当に実際の戦争体験を語れる人たちが、
年々減っていきます。

2009年に、沖縄慰霊の日特番で渡嘉敷島で起きたことを放送したものを記事にしていましたので、一つTBさせて頂きました。
返信する
トラックバックありがとうございました。 (菜花さんへ・・・)
2014-03-27 21:26:59
本文中に掲載させてもらいました。
返信する

コメントを投稿