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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州上田・・・旧北国街道「塩尻」をゆく・・・創業150年余の「紬工房」を尋ねる

2018-01-24 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳

旧北国街道の街道集落・・・信州上田の西のはずれの塩尻・・・(1954年まで小県郡塩尻村)。
国道18号線から旧道に入ると宿場でもなく間の宿でもなく市場町でもなく、街村ですが普通の街村と違った大壁の家、土蔵、小屋根の家などの風景が広がります。
江戸期以来、この村は養蚕、蚕種生産、製糸、絹織り、上田紬織り、木綿織り、生産物の問屋、紺屋、鍛冶屋など・・・農商工業の街。

国道18号線上塩尻を旧道に、350年余の歴史を持つこの村の「養蚕と蚕種業」から発展した「紬織り」の伝統を引き継ぐ「小岩井紬工房」を尋ねました。

小岩井紬工房」・・・江戸中期から明治初期までは蚕種業を営んでいたといいます。明治初期から「上田紬」の織元に。

・・・生糸を引きだせない出殻繭(蛹が羽化した繭)、玉繭(蛹が2頭入った繭)、穴あき繭、汚染繭などから紡いだ生糸から織った絹織物。廃物利用です。太さが均一でなく、節目があり、租々しい。丈夫で耐久性に優れ、日常着、野良着に使われました。江戸時代、一般庶民は絹織物着用規制があったが屑繭のリサイクルであったためか容認? オシャレ着にもなり大いに発展。農家の貴重な収入源になりました。
歴史は定かではないが絹織りものの行程で自然発生的に生まれたものか。技術的に確立したのは琉球久米島の人が14世紀の終りごろ明国に渡りその技術を学び導入、やがて琉球紬、大島紬と北上していったものと思われます。現在の主な生産地は米沢紬、白鷹紬、牛首紬、信州紬、塩沢紬、郡上紬、久米島紬、琉球紬、結城紬などなど。
現代ではその生産工程から非常に高価(ピンからキリ、高価なものでは一反1000000円を越えるものも)、公式和服ではないそうです。
信州紬・・・松本紬、飯田紬、伊那紬、上田紬、山繭紬など。2004年調べ・・企業17社、授業員105人。伝統工芸士27人。
上田紬・・・1660年ごろ蚕種製造が本格化して出殻繭の利用法として紬織りがはじまりました。草木染めが特徴。日本の三大紬(大島紬、結城紬、上田紬)に数えられていますが何を基準にランクされたかワカリません。伝統工芸にランク付けすること自体ナンセンスです。江戸初期から上田藩の奨励策で大いに発展したといいます。非常に丈夫で裏地を3回取り替える間も本生地は長持ちして「三裏縞」といわれ、「真田も強いが上田(紬)も強い」といわれたそうです。


工房の風景をランダムに並べただけです。製造工程順に並んでいるわけではありません。
糸繰りに使う苧環(オダマキ)・・・六角のもあります。機織りに使う()・・・シャトルとも。








※撮影日は2017年12月18日。



旧北国街道塩尻」の散策は「小岩井紬工房」を尋ねてを最後に終わりです。
※コメント欄開いています。


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