比企の丘

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長崎の旅・・・平戸・・・ザビエルが切支丹布教をスタートさせた島

2006-09-27 | 道を行く 九州の諸道
長崎の旅です。平戸です。

聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂(1933年建立)です。1564年のものの復元だそうです。

この街はこことオランダ商館のレンガ壁の跡とお城があるだけ、静かな港です。

さてザビエルのことです。1549年鹿児島に上陸します。1550年平戸に、その後1551年京都に上ります、時は室町時代の混乱期。朝廷も貧乏のどん底。布教はまずエンペラーからと考えていたのが思うとおりに運ばず再び平戸へ。1551年豊後からゴアに、中国で1552年没します。イエズズ会の重鎮で先遣隊長です。当時の大名、守護に会いますが、先進国の人でパリ大学まで出た教養人ですからみんなコロッといかれ、西洋カブレになります。おまけにポルトガル貿易の利権付です。銃砲付です。その後に来たイエズズ会の宣教師ではフロイスが有名です。織田信長に気に入られます。仏教のお坊さんとディベートまでします。「日本史」という本を著しています。

1500年代といえばアフリカを境に東はポルトガル、西はスペインと世界のシマ(縄張り)を二国で二分していた時代です。1521年にコルテスがアステカを、1532年にピサロがインカ帝国を数百万人の虐殺で略奪、ポルトガルもインドのゴアを1512年に兵力を投入して虐殺行為で略奪。1557年マカオも居留地にしちゃいます。文句あるかです。
日本も征服のターゲットだったでしょう。虎視眈々と狙っています。
イエズズ会の宣教師はその尖兵です。事実、1596年高知に漂着したスペインのサンフェリペ号の航海士はそのようなことを口走っています。
少し乗り遅れた英国とオランダはポルトガルのあることないことを幕府にチクリます。まるで商社の商戦です。

山本音也コロビマス」(文藝春秋2003年)

この本は面白い。登場人物は目明し忠庵ことフェレーラ、岡本三右衛門ことキアラ。ゴアから来たイエズズ会の宣教師で転びバテレンとして有名な実在した人物です。二人とも「島原・天草の乱」前後に捕縛されています。実在ではないでしょうが長崎奉行所筆頭与力内村小左衛門が出てきます。もちろん小説ですから話は作者のイメージです。
フェレーラ、キアラについては遠藤周作の「沈黙」がありますが、わたしはこちらのほうが面白いと思いました。純文学と中間小説の違いかもしれません。
興味のある方は読んでください。キリスト教の小説ではありません。
フェレーラは「南蛮顕偽録」「乾坤弁説(天文書)」「阿蘭陀流外科指南」などを著しました。
キアラの進上した「コロビ申シ書」はその内容を新井白石が「西洋紀聞」に著しています。

この本の最終章です。
・・・・・枕辺で内村は忠庵の孔のあるこめかみに声をかけた。「そなたは立派だった。この長崎の誰にもまして日本国に尽くした者でしたぞ
 薄っすらと瞼を明けた忠庵は応えた。「内村様、ヤパンは・・・・・日本は良い国です
 翌十二日、ゆいと娘、二人の弟子、それに内村小左衛門が忠庵の野辺を送った。

その当時のキリスト教徒80万人。現在も80万人くらい。むかしは殿様がクリスチャンになると領民すべてがなったのです。ここ平戸、生月にも五島の島々にも隠れキリシタンは明治の時代までいました。意味不明のオラショ(祈り・・ラテン語)を唱えマリア観音様を崇める異質の宗教になってたようです。宗教としてはそのほうが純粋です。



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