秋の一日、新穂高岳ロープウエイを楽しみました。
信州上田の・・・六文銭の写真帳
新穂高ロープウエイ終点「西穂高口駅」を下りた千石尾根の少し平らな部分、「千石園」と呼ぶ散策コースです。
山座同定の絵図があります。正面が笠ヶ岳(2898m)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/40/d7b2e16c533c2a829ea4db23e546feda.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/83/5b00d2110491dd6bb4cd03fd3bb51fba.jpg)
千石園には関係ないのですが千石園にある江戸後期、槍ヶ岳開山の祖「幡隆上人」の石像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b6/2c756a95108fb7f10519b2879b0af620.jpg)
西穂高岳を見ながら山を降ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/4d/d4a56c296a5e2a27d9071ba1b0d094a2.jpg)
山座同定の絵図があります。正面が笠ヶ岳(2898m)。
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千石園には関係ないのですが千石園にある江戸後期、槍ヶ岳開山の祖「幡隆上人」の石像です。
※幡隆(1786~1840年)・・・越中国新川郡川内村(現富山市大山)の生れ。諸国を旅する浄土宗の修行僧。37歳のときここ飛騨国高原郷上宝から村人と笠ヶ岳に登り、そのご登山道を整備。40歳のとき信濃国安曇郡小倉村(現安曇野市三郷)を尋ね槍ヶ岳登山の協力を頼み、村人の協力で大滝山、蝶ヶ岳を越えて上高地に入り、梓川を遡り槍沢を登って槍ヶ岳肩に。2年後の1828年、槍ヶ岳登頂、山頂に厨子を安置。以後5回に亘って登頂、大綱、鉄鎖など、登山道の整備に努める。宗教家というより登山家、冒険家の感じがします。
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西穂高岳を見ながら山を降ります。
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※撮影は9月30日
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