比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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武州・荒川中流域・・・明戸の堰に行く

2011-03-11 | 川と滝と湖と海と橋の風景
3月8日、自転車散歩で明戸の堰へ。自動車を大麻生駅(1日300円)において短足自転車でポタポタとポタリング。大麻生駅から踏切りを渡って堤防の上に、押切橋の下を潜り大麻生ゴルフ場を横目に見て・・・やがて明戸堰に。

どう見ても堰堤ですね。白鳥、尾長鴨が見えます。
俗称「明戸の堰」・・・正式には「元江南サイホン」。地元の人は水が左岸から右岸にサイホンで横断するから「横断」と呼んだらしい。
つまり取水堰ではなく川底の地中をサイホンが通っていただけです。


今から400年以上前、徳川家康が江戸入府間もない1602年、関東郡代伊奈家初代備前守忠次がこの地に六つの堰を設け、用水路を整備し新田を開発。
それから長い年月がたち昭和の時代の1939年、明戸から4kmばかり上流に六つの堰をまとめて近代的な「六堰頭首工」(6ぜきとうしゅこう)を建造、左岸に取水し、ここ川原明戸では荒川の底にサイホンを通し右岸の吉見用水、御正用水に通水しました。
さらに時は流れ、六堰頭首工も老朽化し、明戸サイホンも川底がえぐられサイホンがむき出しに。
ということで新六堰頭首工を2006年完工、右岸からも取水できるように。
サイホンはお役御免。撤去、川底を安定するために施したのが現在の姿のようです。


ここより4km上流の旧六堰頭首工で取水された農業用水(大里用水)は左岸を流れてきてここで分水されて一部はサイホンで右岸に送られていました。

分水門です。右側がサイホンの呑口へ。




分水門から流れてきた水をここでサイホンに落とす・・・呑口(のみくち)。現在は閉鎖されています。






サイホンから水が右岸の地上に出る場所・・・吐出口(はきだしぐち)。現在は閉鎖されています。深谷市本田・・・鹿島古墳群の段丘崖線にあります。


後世に伝える土木歴史的建造構造物として保存されてるのだそうです。

ポケ~ッと飛行訓練をする白鳥を眺め・・・ポケ~ッカメで写真を撮りました。
(3月8日、ポケカメで明戸の堰の堤の上から撮影)

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