比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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冬の信濃路・・・古代官営牧の「望月牧」・・・中世の山城「望月城」・・・望月を尋ねる

2018-04-08 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳

2月22日、古代律令時代の官営牧・・・信濃16牧の一つ望月牧、江戸時代の中山道69次25番望月宿、長野県北佐久郡望月町、いまは佐久市望月にやってきました。
望月・・・なんとも優雅な地名です。陰暦8月15日の夜の満月を望月というのだそうです。平安朝の清和天皇の865年朝廷で貢馬されるここの牧の馬を迎える「駒迎えの儀」を陰暦8月15日に行ったことから望月と呼ばれるようになったのだとか。
1889年望月村、茂田井村、院内村が合併して本牧村、1959年、本牧村、布施村、春日村、協和村が合併して由緒ある望月の名の望月町に。2006年佐久市に。

旧望月町の中心部にやってきました。
望月の象徴・・・「望月の駒」の像・・・佐久市市役所望月支所の庭に。

望月牧の鎮守社「大伴神社」・・・延期式に記された佐久三社の一。祭神は大伴氏の祖神。

望月城址・・・標高780m、山麓との比高差110m。平安時代から続く滋野氏系の望月氏の本拠。鎌倉時代の築城といわれる山城。
20世紀初めに出版された立川文庫「真田幸村」に登場する真田十勇士のメンバー望月六郎はこの一門といわれるがフィクション。

望月城の山麓・・・望月城主望月家の菩提寺・・・曹洞宗城光院・・・1475年望月城主望月光恒の開基。本堂は1804年再建。
望月氏のルーツ、栄枯盛衰については割愛。

佐久市立望月歴史民俗資料館・・・旧本陣(大森家)の跡地に1991年開館。
※撮影日は2月22日。


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