信州上田の・・・六文銭の写真帳
4月27日の「上高地開山祭」の1日後の4月28日の上高地です。
釜トンネルを抜けてすぐ、大正池バス停から遊歩道を抜け大正池、田代湿原、田代池、田代橋・・・そして梓川左岸の岸辺を散歩。
梓川左岸から田代橋・穂高橋を渡ってウエストン広場へ。ウエストン広場から河童橋へ。
河童橋から梓川左岸を少し上流に、清水川を跨ぐ清水橋。この橋を渡ると山ボーイ、山ガールの聖地「小梨平」です。
清水川・・・お魚が好きな人なら・・・イワナが群れをなして泳いでいるのがすぐわかりますよ。流れの中に見える緑はバイカモかなあ?
小梨平キャンプ場です。
小梨とは・・・和名ズミ(バラ目バラ科リンゴ属)の別名。主に中高山で春の終りごろ桜の花に似た美しい花を咲かせます。
小梨平の地名由来・・・むかし上高地が観光地化する前、リンゴ栽培が計画されリンゴの木の接木の台木にするためこのあたりで人工的に栽培したようです。
いまでは小梨の木が目立つほど多いわけじゃありません・・・唐松はじめ針葉樹やズミ、ヤナギ、サワグルミなどの広葉樹が混ざった静かな森です。
むかしむかし小梨平のテントで泊まったことがあります。そのころとだいぶ違うようです。いまは大浴場、大食堂があるようです。
小梨平はむかしから山ファッションの流行の先端をゆくオシャレな山男の溜まり場でした・・・上高地貴族に涸沢乞食なんていう言葉はいまもあるのでしょうか。。
小梨平の中を流れる中川を跨ぐ焼見橋・・・ここから焼岳がよく見えます。
小梨平の中は梓川の伏流が網の目状に流れています。
明神池、徳沢園、横尾谷から涸沢へ、槍沢から槍ヶ岳に向かう槍ヶ岳街道???
自然観察・・・高山植物が足下に普通に咲いています。夏をここで越すオシドリ、マガモ。樹林の中にはヒタキ類、カラ類、ゲラ類、オオルリ、コルリ、コマドリも。
清水川・・・お魚が好きな人なら・・・イワナが群れをなして泳いでいるのがすぐわかりますよ。流れの中に見える緑はバイカモかなあ?
小梨平キャンプ場です。
小梨とは・・・和名ズミ(バラ目バラ科リンゴ属)の別名。主に中高山で春の終りごろ桜の花に似た美しい花を咲かせます。
小梨平の地名由来・・・むかし上高地が観光地化する前、リンゴ栽培が計画されリンゴの木の接木の台木にするためこのあたりで人工的に栽培したようです。
いまでは小梨の木が目立つほど多いわけじゃありません・・・唐松はじめ針葉樹やズミ、ヤナギ、サワグルミなどの広葉樹が混ざった静かな森です。
むかしむかし小梨平のテントで泊まったことがあります。そのころとだいぶ違うようです。いまは大浴場、大食堂があるようです。
小梨平はむかしから山ファッションの流行の先端をゆくオシャレな山男の溜まり場でした・・・上高地貴族に涸沢乞食なんていう言葉はいまもあるのでしょうか。。
小梨平の中を流れる中川を跨ぐ焼見橋・・・ここから焼岳がよく見えます。
小梨平の中は梓川の伏流が網の目状に流れています。
明神池、徳沢園、横尾谷から涸沢へ、槍沢から槍ヶ岳に向かう槍ヶ岳街道???
自然観察・・・高山植物が足下に普通に咲いています。夏をここで越すオシドリ、マガモ。樹林の中にはヒタキ類、カラ類、ゲラ類、オオルリ、コルリ、コマドリも。
※撮影は4月28日。
★どうでもいい話ですが・・・むかし上高地には牧場がありました。開場されたのは1985年(明治18年)。5月15日から10月15日までの放牧。最初は馬、のちに牛が主に。最盛期は400頭以上いたそうです。やがて国際観光地化して登山者が多くなり安全面を考慮、また自然林への影響を配慮して1934年(昭和9年)に閉場となりました。小梨平のテントの中に牛が顔をのぞかせたという伝説があります。徳沢園の芝生のテント広場は当時の牧場のおもかげを残しています。※コメント欄open。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます