比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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春の三陸海岸・・・復興途中の・・・陸前高田市の今

2019-05-31 | 2011東日本大震災
信州上田の・・・六文銭の写真帳

早春の三陸海岸の旅です。岩手県下閉伊郡岩泉町神成の龍泉洞、田野畑村の三陸リアス式海岸北山崎絶壁を見て、二日目は三陸海岸を南に。かつては世界一の防潮堤と呼ばれた田老町の復興現状を見て、宮古市浄土ヶ浜、第三セクター三陸鉄道リアス線で「宮古駅」から「浪板海岸駅」。岩手県上閉伊郡大槌町。へ。3日目は大船渡、陸前高田、気仙沼、そして旅が終わります。

岩手県沿岸部の南端・・・陸前高田市を車窓から見ています。
西に唐桑半島、東に広田半島に囲まれた広田湾はコンブ、ワカメ、牡蠣、ホタテ、アワビ、石垣貝、ホヤの養殖、鮭、鱒の回帰する豊饒の海、気仙川が作った河口の大きな平地は稔りをもたらすまほろばの里。海岸線の高田松原は景勝の地でした。

中央遠くに集合住宅が・・・それ以外は残っていません。

集合住宅です。2階から4階まで津波が押し寄せたようです。

住宅のかさ上げ工事、高台化の進行中のようです。




※撮影日は3月26日。
陸前高田市・・・人口18700人。1889年高田町に、1955年8町村合併で陸前高田市に。岩手県南部沿岸の中核都市。3.11大震災、広田湾に押し寄せた大津波は市役所、駅などを含む市街地の7割以上を壊滅させた。津波の高さ15.1m、死者1552人、行方不明者223人。

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4 コメント

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東日本大震災 (青葉太郎さんへ・・・)
2019-05-31 18:30:49
東北に昔から関わりが多く、2011年11月に相馬中村から気仙沼まで訪れました、そのとき石巻の日和山で言葉を失いました。今回は義兄のツアー写真です。
現役時代はあちこち歩いています。
田老町・・・意外に人的被害の割合が少ないのです。避難行動が適切だったのかも。それでも被害は起こります。陸前高田、津波の歴史で余り被害の起らなかったところですが今回の人的被害は甚大でした。
そのときそのときで被害は場所が予測がつかないようです。自然の力に人間がアンダーコントロールできるなんて人間のおごりです。
カテゴリー「東日本大震災」をポチしますと、過去ログが見られます。見ていただければ。

青葉さんの川柳・・・いつもクスリとさせられています。

コメントありがとうございました。
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田老街の近景 (青葉太郎)
2019-05-31 14:35:37
貴重な写真ありがとうございます。
2年前に田老町を訪問、その荒涼とした様子に小生も呆然としました。
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ふるさとは今もかわらず (縄文人さんへ・・・)
2019-05-31 10:51:38
新沼謙治・・・震災の年の1年後に作った曲「ふるさとは今もかわらず」・・・思い出しました。
https://www.youtube.com/watch?v=aw_pDqy9_Pc
いい歌です。作詞、作曲ともに本人。
歌詞を噛みしめて聴くと涙が出ます。

新沼謙治は大船渡、千昌夫は陸前高田。二人とも左官職人の経験あり。
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Unknown (縄文人)
2019-05-31 07:07:59

 陸前高田と言えば、  新沼 謙次(歌手)くらいしか知りません。
8年と言う歳月が流れました。如何に災害が大きい物であったか…………。
大きな強力な防波堤を作り、在った住宅はかさ上げし高台に引っ越す。
画像で見る限り、まだまだこれからと言う様子が分かります。

水を治める者は国を治める!!
しかし津波と言う≪波≫がこれまで大きいとは知りませんでした。

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