比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

信州・・・高遠城址の桜は・・・一分咲き

2009-04-09 | 古城・城址・陣屋・館跡
甲州武川の山高神代桜・・・観桜は終わりました。
で次どこに行きましょう。思いつきで朝早く出かけてきてまだ時間はたっぷりあります。

花の高遠城址公園に行ってみようか。もちろんまだ咲いてないでしょうが。
甲州街道(国道20号線)・・・国境の小淵沢、富士見の町を過ぎて茅野から杖突峠を越えて高遠に。

高遠城址公園・・・タカトウコヒガンザクラ(エドヒガンザクラとマメザクラの交配種)、狭い城址(2~3㌶くらい?)の中にところ狭しと1500本。まったく蕾のまま。
イイ雰囲気です。作り物の天守閣がないのがイイ。城郭は武田信玄の参謀山本勘助の縄張り(基本設計)、三方を三峰川(みぶかわ)、藤沢川に囲まれ後背地は急峻な山。難攻不落?と思われますがどうだったのでしょう。

桜の花もチラホラ・・・観桜の人もチラホラ・・・

この城址公園のウリは桜と雪をいだく春の山です。
正面(西)に見えるのが伊那の人たちが西駒ヶ岳と呼んでいる木曽駒ヶ岳(2956m)、海抜800mの段丘上にある公園、すぐ下は三峰川、その向こうの伊那谷を隔てて見上げる山はたいへん高く見えます。

入り口にあったパンフレット。
「保科正之」の大河ドラマを作る会・・・伊那市観光協会がなぜ?

保科正之(1611~1673年)、会津松平藩の始祖。高遠三万石の藩主として5年間在籍、山形藩20万石、会津藩23万石と転勤していきます。将軍の実弟ですから縁故異動ですがトコロテン式に押し出される前任の大名はたいへんです。
領民にたいへん支持率の高かった殿様です。会津藩主として四代将軍家綱の閣僚として、その政策は特筆すべきものがあります。主なものに・・・
①殉死の禁止②社倉(地域的な緊急用穀物の備蓄倉庫)創設③間引き禁止④税制改革⑤高齢者への扶持米など・・・・・
幕府政策ではこれに加えて
①玉川上水の開削(都市計画の基礎造り)②末期養子禁止制度の廃止(早いこと養子を決めておかないと大名家廃絶となった)③江戸城天守閣の再建中止(無駄なハコモノの廃止)・・・など。
二代将軍秀忠の庶子、三大将軍家光の異母弟。秀忠の第一夫人お江与の方がたいへん嫉妬深い方で命を狙われるという境遇ののち高遠保科藩の養子になります(このへんはドラマとしては面白い)。家光に信任され幕閣としても才能を発揮します。

有能な閣僚が政策を建議して実行する。今日でも理想的な姿です。
会津の殿様を伊那の人たちが・・・「保科正之」を大河ドラマに・・・・・ワカリマス

この公園から見た雪の山々は次回に。


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