信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月18日快晴、安曇野方面に山見プチドライブ・・・安曇野市穂高、有明あたりで・・・
安曇野の西山の残雪が消えるころ、麓は早苗田の風景に変わる。安曇野のもっとも安曇野らしい、古代から水耕民族が営んできた風景です。西の山をアルプスなんていっては何か冒涜したような・・・

左から・・・常念岳、東大天井岳、天井岳。燕岳、有明山・・・


※撮影日は5月18日。
★フォトポイント・・・長野県道306号線、安曇野市穂高、有明あたりから大町市へ国道147号線を挟んで東西に走っているダブルウエイ、北アルプスパノラマルートとも呼ぶ。撮影のため農道に入る方は車交叉に気をつけて。※コメント欄閉じています。
信州上田の・・・六文銭の写真帳
初夏の信州塩田平です。独鈷山の麓・・・古刹前山寺、夭折の天才画家村山槐多の絵を集めた「残照館」、戦没画学生慰霊美術館「無言館」・・・
東京から日帰りも可、鄙びた温泉もあります。お忍びで尋ねてみてはいかがでしょう。
前山寺・・・茅葺きの山門です・・・牡丹の花が咲いています。

前山寺のお接待・・・くるみおはぎ・・・鬼胡桃のタレで食べるおはぎ。香の物、梅の紫蘇漬け・・・要予約、750円。

前山寺の参道のそばに・・・小さな美術館「KAITA EPITAPH 残照館」(旧信濃デッサン館)。

前山寺のすぐ前・・・山王山の上に・・・戦没画学生慰霊美術館「無言館」。

※撮影日は5月14日。
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信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、藤の花の花見に近辺の散歩。
上田市前山・・・独鈷山中腹の林道・・・標高660mにある塩田平パノラマ展望台から。
こんもりとした山は山王山。木が生い茂って見えませんが戦没画学生慰霊美術館「無言館」はこの山の中に。

戦没画学生慰霊美術館「無言館」

以下は・・・2022年1月30日テレビ東京放映・・・日系スペシャル「野見山暁冶 私の履歴書」から・・・

戦没画学生の遺族を訪ね遺作をお預かりする旅は大変だったようです・・・詐欺のように見られたり。

苦労の末、1997年開館の運びに。資金は全国からの個人浄財により。土地は上田市が提供。


「絵」は画こうとする相手を 愛していなければ画けない・・・窪島誠一郎「私たちの無言館」より。

無言館・・・語ることのできない無言の絵にかわって、わたしたちが語るべきことはなんでしょうか。

戦没画学生慰霊美術館「無言館」

※撮影日は5月14日。
「戦没画学生慰霊美術館「無言館」の誕生・・・1974年NHKで「祈りの画集」という番組を放映。1977年NHK出版から「祈りの画集 戦没画学生の記録」という画集を出版。取材にあたっていたのは洋画家の野見山暁冶ほか。野見山はあの戦争末期の画学生、応召の満州で病を得て帰国、敗戦。多くの画学生が戦争で帰らぬ人になったのを見ていました。信州上田で美術館「信濃デッサン館」を開いていた窪島誠一郎が画集の野見山の取材記を読んで感銘、1995年の「槐多忌」に野見山を講師に呼び、会食の際に「祈りの画集」の話題が出て、窪島は戦没画学生の慰霊美術館の設立を決意。野見山を口説いて、その年から戦没画学生の遺族を訪ねる旅が二人三脚ではじまります。野見山75歳、窪島54歳です。
以下は・・・2022年1月30日テレビ東京放映・・・日系スペシャル「野見山暁冶 私の履歴書」から・・・

戦没画学生の遺族を訪ね遺作をお預かりする旅は大変だったようです・・・詐欺のように見られたり。

帰るときに、玄関にみんなのオーバーコートを吊るしてありますね。
それを着せてくれたお母さんの手が、ずーっと背中を触ったきり離れないんですね。
「あぁぁぁ」と思いました。
その一瞬で・・・「もうこれは僕がやるより手がないな」と。
それを着せてくれたお母さんの手が、ずーっと背中を触ったきり離れないんですね。
「あぁぁぁ」と思いました。
その一瞬で・・・「もうこれは僕がやるより手がないな」と。
苦労の末、1997年開館の運びに。資金は全国からの個人浄財により。土地は上田市が提供。


みんなね
親子、兄弟、友人、恋人、妻、子ども・・・ふるさと・・・
「あぁ 絵というものはこんなものだ そのなかに感情を没入してる」
親子、兄弟、友人、恋人、妻、子ども・・・ふるさと・・・
「あぁ 絵というものはこんなものだ そのなかに感情を没入してる」
「絵」は画こうとする相手を 愛していなければ画けない・・・窪島誠一郎「私たちの無言館」より。

無言館・・・語ることのできない無言の絵にかわって、わたしたちが語るべきことはなんでしょうか。
★野見山暁冶・・・1920年福岡県飯塚市に生まれる。洋画家、東京芸大教授、名誉教授。中学生のときから肺疾患、東京美術学校卒業、応召。満州に。肺疾患で入院、内地に送還され敗戦を迎えます。一緒にいた戦友はどうなったか。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと・・・その思いがきっかけとなり、当時の絵を志した画友たちの絵を捜し歩きます。
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信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、藤の花の花見に近辺の散歩。
上田市前山300・・・信州上田塩田平の真言宗智山派独鈷山前山寺の右わきの独鈷山登山道を少し登り・・・
左に折れて林道に入り・・・標高660mにある塩田平パノラマ展望台に。
女神山方面・・・舌喰池が見えます。

子檀根山方面・・・

上田市街地方面・・・

眼下に前山寺三重塔が・・・

遠くに烏帽子岳、湯ノ丸山・・・

※撮影日は5月14日。
★塩田平パノラマライン・・・前山集落から独鈷山の中腹を古安曽集落に抜ける林道。展望のため伐採している地点が。道は狭く倒木、落石、大雨による崩れなど。※コメント欄閉じています。
信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、藤の花の花見に近辺の散歩。
上田市前山293・・・信州上田塩田平の前山寺の参道のそばにひっそりと立つ小さな美術館「KAITA EPITAPH 残照館」・・・
1979年窪島誠一郎さんが開設した夭折の画家たちの作品を集めた美術館「信濃デッサン館」の再出発(2020年)です。
★開館は毎週土曜、日曜、月曜。開館時間は11時~4時まで。入館料は無料。

「KAITA EPITAPH 残照館」・・・中心は夭折の天才画家村山槐多・・・
EPITAPH(エピタフ)はギリシャ語を語源として墓碑銘のこと・・・

※撮影日は5月14日。

村山槐多・・・1896~1919年、愛知県出身、明治、大正時代の洋画家、詩人、作家、愛知県出身の洋画家、従兄の山本鼎の影響を受け洋画家を目指し、山本鼎が長野県上田に住んだため信州を旅した。美術院展金賞受賞、スぺイン風邪により22歳で死去。
※「尿する裸僧」村山槐多2015年の制作・・・県立長野美術館サイトより。
「豆 cafe enjyu 」が併設されています。ホッとひといき、いかがですか。
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信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、藤の花の花見に近辺の散歩。
上田市前山300・・・信州上田塩田平の真言宗智山派独鈷山前山寺です。812年開創。
境内の藤の花が見事です。
茅葺きの山門です・・・牡丹の花が咲いています。

国の重要文化財・・・「未完成の完成の塔」三重塔・・・室町時代の建造といわれますが詳細は不明。
藤の花とツツジの花が。



シャガ・・・

※撮影日は5月14日。
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雨に濡れた西洋アジサイ・・・アナベル・・・です。今日、関東地方は九州に先がけて梅雨入り・・・


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信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、藤の花の花見に近辺の散歩。
上田市国分1049・・・信州上田の信濃国分寺です。境内の藤の花が見事です。
本堂・・・江戸時代末期1860年に竣工。

国指定重要文化財・・・三重塔・・・建立は建築仕様から室町時代の建立といわれます。




※撮影日は5月14日。
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六月の花壇・・・ペチュニア、カラー、イベリスの花が咲いています。
プランターに植えたペチュニア、ナスタチュ―ム・・・

カラーの花・・・

イベリスの花・・・

六月の花壇・・・ペチュニア、カラー、イベリスの花が咲いています。
プランターに植えたペチュニア、ナスタチュ―ム・・・

カラーの花・・・

イベリスの花・・・

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信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、上田市真田町本原字御屋敷2984・・・真田お屋敷跡・・・御屋敷公園にヤマツツジを見に行ってきました。
続けて真田隆幸が居城とした真田本城にツツジ花見のハシゴです。
真田本城(松尾城とも)です。
旧真田町の市街地から1㎞、真田お屋敷跡から1㎞、真田氏の本城跡です。標高890m、車で行けます。

こんもりとした山があります。本郭背後の土塁跡らしいです。

ツツジの花盛り・・・

旧真田町の市街地・・・正面の谷から地蔵峠を越えると松代です。

上田盆地が見えます。

※撮影日は5月14日。
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今晩のウチ飯・・・オカズは茄子焼きとマグロぶつ切り・・・

今晩のウチ飯・・・オカズは茄子焼きとマグロぶつ切り・・・
初採れの茄子を焼いて木の芽田楽味噌・・・山椒の葉は隣の庭からフェンスを潜って越境して来たのを・・・
ぶつ切り刺身ミックスはマグロを中心に・・・
ぶつ切り刺身ミックスはマグロを中心に・・・

ゴチソウサマ・・・今日の日に・・・ありがとう

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信州上田の・・・六文銭の写真帳
5月14日、上田市真田町本原字御屋敷2984・・・真田お屋敷跡・・・御屋敷公園にヤマツツジを見に行ってきました。
御屋敷公園・・・県道4号真田東御線から県道35号線に入りすぐ。東側に真田氏資料館。標高764m、上田市街地を見下ろす段丘地の上に。居館の周囲500m余、土塁、空堀の跡、北側は大沢川。中央に皇大神社が。
戦国時代の武将真田隆幸、昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)の居館跡。
御屋敷皇大神社(おやしきこうだいじんじゃ)。1583年昌幸が上田城を築城後に創建。

皇大神社の拝殿・・・境内そのものが公園になっています。

皇大神社の本殿・・・

ヤマツツジ600株です。地元の青年団が大正から昭和にかけて山から幼木を移植したものと伝わっています。

※撮影日は5月14日。
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