むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

長沼城(長野県)

2019年10月14日 | 百名城以外の城
長沼城ながぬまじょう
別名
構造平城
築城者信濃島津氏
築城年代室町時代
指定史跡
場所長野市穂保 地図

長沼城は、地頭の島津氏が築いたとされる平城ですが
武田信玄の信濃侵攻により撤退、その後川中島の戦いの舞台となったこの城は
武田氏と上杉氏によって幾度となく改造されました。
武田氏滅亡後は織田信長の支配下となり、本能寺の変の後には上杉領となり、
上杉景勝自ら長沼城へ入城しました。



村山豊野停車場線

この辺りかとキョロキョロしていたら最初にみつけたこの看板。
長沼城はこっちか…。
ちょっと狭いがこっちと言うなら看板に従って突き進むのみ!


案内看板

ここを入って行けば本丸まで直行ですね。
それにしても普通車はいっぱいいっぱいですよ。


侍屋敷跡
随分細い道なんですけど…。
すれ違いなんて絶対できないぞ。
しかし、この道の両脇の果樹園はかつて侍屋敷があった場所です。


内堀跡

突き辺りに看板発見!
目の前はまるで土塁のような堤防です。
本丸を囲んでいたであろう内堀があった場所のようでが…それっぽく見えません。
というのも、この堤防でまったくわからなくなっています。
そして目の前の階段を登って堤防の上へ。


本丸跡

ここが本丸跡です。
と言ってもなかなか想像しずらいのですが^^;
結局本丸も堤防によってその形は残っておらず、案内看板で知るしかない。
さて、先ほどの狭い果樹園の道とは別に、ちゃんと道路があるではないか!
というわけで、車でお越しの方は果樹園の中に乗り入れない方がいいです


長沼城復元図
この図を見ると本丸はこの看板より少し東寄りのようですね。


天王宮

あずまやの裏から、また堤防の下へ降りて来ました。
三日月堀の土塁の西端にある祠が天王宮です。
この部分は祠があったこともあって堤防からも外れて残った土塁としての貴重な遺構です。



実はこの看板に注目しすぎて左に城跡碑があったことに気付いていませんでした。
ので、城跡碑がこの写真の左端にちょびっとだけしか写り込んでなかったことにがっかりしました。
なんてこったい


南三日月堀跡

ここに「南三日月堀跡」の看板があるのですが、どこ?どこ?と探してみたのですが
三日月堀が無いなあと思ったら、堤防の真下だったんですね。
そしてはみ出して天王宮がある土塁がそれであるとは、現地では理解していませんでした。
ともかく、三日月には見えないので探してもみつかりません。


長沼城址記念歌碑

「信濃なる 千曲の川の さざれ石 鶉鳴くなる 長沼の里」と詠われています。
これは本朝藻塩草風土記に記されているものです。


北三日月堀跡

大手道にまわって、北三日月堀のある守田神社へやってきました。
神社の裏に周ってみると、あやしげな凸凹があるのがわかります。
あ、これは三日月堀!



写真ではわかりずらいとは思いますが、現地ではちゃんとそれらしく見えます。
時間が許せば周辺にはもっともっと看板と共に見所がいっぱいあります。
玅笑寺の長屋門には元禄元年に取り壊された長沼城の表門の扉が保存されています。
これも、後から調べてわかったことなので、見てみたかったですね。


馬場跡

千曲川と本丸までの間に馬場がありました。
とても広い河川敷で川には船着場もありました。


台風19号で消えてしまったという悲しい知らせを聞いて、長沼城の紹介を後手にしていたことが
悔やまれならない。
慌てて書いても後のまつり…。
この台風でまさかここから決壊(10/13 AM)するとは想像していませんでした。
また、この堤防の内側にあった住人の方々、とても恐ろしい体験をされたことでしょう。
私の住んでいるところも、台風19号では真っ先に災害のニュースで流れた地区ですが
河川の大きさの違いもあるので被害の規模が違うように思います。
改めて水の恐ろしさを感じた台風でした。
城の上にこんな堤防造ってなんて思ったりもしたけど、ここに住む方々にとっては
命を守るための重要な堤防だったんですね。
そう思うと、土地開発も意味があってのことなのだと考えて理解することも必要だなと実感しました。


令和元年8月11日登城


今回の参考本
信濃の山城と館〈第2巻〉更埴・長野編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る
宮坂 武男
戎光祥出版


2 コメント

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こんにちは (Photo散歩)
2019-10-14 12:53:35
歴史好きなのでいつも楽しく拝見させて頂いてます
台風19号でここは水没したんではないでしょうか
篠ノ井から松代にかけての氾濫もあり松代藩家老の恩田木工の治水功績を思い起こしました
これからもお元気に登城をお続け下さい
在りし日の長沼城址 (むぎ)
2019-10-14 15:49:22
Photo散歩さまへ
コメントありがとうございます。
訪れたのは8月の暑い時で、この台風のニュースを見ていて決壊したのを知り、慌ててブログを書きました。
本来はもっと早くに書いておくべきだったと後悔しているところです。(T_T)
やはり歴史が物語るように過去にも千曲川と戦っておられたことと思います。
昔も今も治水には難儀してますね。
残念ながら、在りし日の長沼城址日記となってしまいました。

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