むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

明徳寺城(群馬県)

2019年07月10日 | 百名城以外の城
明徳寺城みょうとくじじょう
別名天神山砦・天神山城
構造丘城
築城者沼田氏
築城年代1390年―1394年(明徳年間)
指定史跡町指定史跡
場所利根郡みなかみ町後閑 地図

明徳寺城は、会津葦名氏の攻撃に備えて荘田城の沼田氏が築いた
天神山砦を改築して城を築きました。
戦国時代には北条氏と真田氏の争いに巻き込まれ、
後に小田原征伐へと発展し真田氏の領地になるが、後に廃城となりました。


みねの湯 つきよの館

「みねの湯 つきよの館」を目標にしてやって来ました。
すると矢印看板は「みねの湯 つきよの館」の方を指しているのでお邪魔させて
いただきました。


案内看板と標柱

案内看板のある「つきよの館」の駐車場から見た入口です。
左手に下る道があるのですが、草が生い茂っていて降りて行く気になれなかったのですが
その先には井戸があるようです。
また、右手には民家(つきよの館の方の家?)があるので撮影しなかったのですが
そちらは馬出(小郭)とされています。
こちらのお宅から出て来た方に駐車の許可をいただき、駐車場に車を置かせていただきました。


入口

入口と言っても、既に城郭内に立っているのですが
この位置からでも一目でわかる虎口が見えます。


空堀
虎口手前の空堀も立派そうですが竹藪になっています。


主郭虎口

土塁を切った虎口が待ち構えています。


主郭

高さのある土塁に囲まれた主郭は、3段に分かれた造りで
それぞれの郭の区切りは段差も低く、今ではそれほどはっきり
分かれているようには見えません。


土塁

東側の土塁は特に高く盛られています。
この高さ


中段

中段は現在桑畑になっていて、こちらはまだ畑として機能しているようです。



中段と上段の境界あたりには水溜りのような小さな池?がありました。
古いとは思えないのですが人工的に水が溜められているように思えるのですが…。




先ほどの池と並んで境界付近に石が並んでいます。
こちらの石は縄張図にも示されているので何らかの遺構であると思われます。
かつて明徳寺があったことからそれらに関した礎石などでしょうか…。


明徳寺跡

上段は明徳寺があった場所とされていますが、藪になっていて奥~の方に土塁が
見えるけど入って行けそうにありません。
ちなみに、虎口を入ってすぐの上段側にはお墓があります。
これもお寺であったことを示しているようです。



中段から下段へ続く道。
この先もちょっと覗いてみたのですが草むらになっていたので引き返して来ました。^^;


北西虎口

先が薄暗いのでどこまで進めるかな?と思いつつ、恐る恐る道をくだってみることに。



まだ進めるぞ!とカメラの1脚棒を武器に蜘蛛の巣と格闘しながら
下って行くと道下には腰郭が見えました。



なにやら建物が見えて来ました。
行ってみましょう!


水子地蔵尊

水子地蔵尊です。
お寺なのでこのような建物も残っています。
とりあえずご挨拶ということで手を合わせます。


腰郭
右の道のように見えるのが腰郭で、左の道が主郭から下って来た道です。



先ほどの腰郭を上から見ています。
藪でよくわからないのですが、肉眼では確認出来ます。



帰りがけに道路から見た井戸のある方向。
茂みの中に井戸があると思われます。


もう、草が生い茂ってしまっているので山城に行くのは
厳しいので平城、丘城狙いでやって来ました。
堀が良い堀なんですけど、竹がねえ~。残念。
でも、高い土塁とそれを切った虎口がとても印象的でした。


令和元年7月6日登城


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新東京物産
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