トーキング・マイノリティ

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輪廻転生

2005-08-14 20:21:34 | 読書/ノンフィクション
 お盆に入ったからもあるが、昨年読んだ『ヒンドゥー教 森本達雄著 中公新書』の、著者とヒンドゥー知識人たちとの輪廻についての対話箇所を読み返してみた。ヒンドゥー教も輪廻転生が教義にある。彼らの中に著名な科学者もいたそうだ。
  筆者は内心ヒンドゥーの科学者が輪廻をどのように考えているのか、個人的な見解を聞くと、教授はいとも簡単に輪廻信仰を告白したという。
 「死後の世界─或いは生前の世界といってもよい─は、どんなに高性能な望遠鏡や電子顕微鏡をもってしても見ることの出来ない超現象世界であ り、おおよそ科学的現象とは次元の異なる霊の世界である。従ってそれを見たという人がしても、その人が見たものは普遍的とは言いがたい。結局霊の世界は信じるか信じないかの個人の信仰の問題であり、そこに万人の共通すべき科学的実証を持ち込むことは、返って問題を混乱させるだけである。それゆえ自分は現象世界に対しては科学者であるが、霊の世界に対しては信仰者という二元論の中に生きているのだ」と。

  科学者に次いで、他の知識人も彼らの宗教観を口々に話した。実に興味深い話を。

 「現実の世の中を見てみると、ある人は生まれつき健康に恵まれ、経済的にも家庭的にも幸運な人生を送っているが、ある人は病身で貧しく、やる ことなすこと思うに任せず、苦渋に満ちた人生を送らなければならない。神が慈悲深く万人に対しい平等であるというなら、こうした現実の不公平をどう説明す ればよいか。この問題は、人生を一回性のものと考えたのでは、到底納得できない。
  ヒンドゥーの死生観によれば、この世の幸・不幸は全て前世の行為の結果、業であり、それは科学の因果律同様、成るべくして成ったものであ る。このことは一見、運命的とのそしりを受けるかもしれないが、そうではない。何故なら今生の不運の原因は全て過去世の行為にあると同じく、来世の幸・不 幸の原因は今生の行為によって決定するのだから、人の運命はいわば自己責任にあるといえよう。それゆえ人はいたずらに今生の不幸を呪い、諦めることなく、 来世の幸福のために今生をよく生きなければならない。今生をよく励まなければ、せっかく積み上げてきた功徳も帳消しになり、来世は不幸へと逆戻りするだろ う。これがヒンドゥー教固有の重要な倫理観である」。

 「世間には同じ両親から生まれ、ほとんど同じ環境で育っても、肉体的にも知的・性格的にもおおよそ似ても似つかぬ兄弟姉妹がいる。このような 時、心理学者たちは兄弟姉妹の相違の原因を個々の子供に対する親の対応や環境の微妙な変化など、あれこれ分析して割り出そうとするが、ほとんど説得力はな い。飲んだくれの父と働き者の母の元で育った息子が偉大な科学者になったからといって、同じ条件から必ずしも偉人は出ない。最先端科学のDNA論も、何故その人にそのDNAが備わらなければならなかったのかの必然性までは教えてくれない。それらは全て個々の生命の連続性の中で納得がいくだろう」。

  輪廻にしても、街角のキリスト教伝道師の持つスピーカーが流す“永遠の天国”なるものも、全て誰も見た訳でない生者の想像の世界だが、不思議にヒンドゥー知識人の言う事には心惹かれる。来世など誰も分からぬが、上記のような二元論も楽しいかもしれない。


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10 コメント

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コメント、ありがとうございます (mugi)
2005-12-27 20:29:37
こんばんは、ハハサウルスさん。



神道、仏教、ヒンドゥー教といった多神教はそもそも「異端」という考えはないですから、柔軟性に富むのでしょうね。私も日本のキリスト教徒は内心では輪廻転生を否定できないと思われます。



輪廻転生について、『ヒンドゥー教 森本達雄著』にこうもありました。日本と共通するものがあり、興味深いです。



─『ヒンドゥー教』の著者N.チョウドリーは解脱についてこう書いている。

解脱という考えは全く非現実的であり、それほど人の心を惹くものではない─事実それに付いては冗舌な議論がなされてきた事からも分るように、それは〔学者たちの〕単なる議論に過ぎない。解脱は決してヒンドゥーの宗教儀式や礼拝の目的でない。ヒンドゥーの儀式や礼拝の中心目的は現世的な繁栄である。この現実社会への専心のために、この世に再び生まれ変わるという輪廻転生の教義が、死後の生命についてヒンドゥーが提唱した全ての概念の中で、もっとも説得力のある確固たる信仰になっている。彼らはこの世界をあまりにも深く愛しており、その為に幾たびも生まれ変わった後ですら永久にこの世を離れるという可能性を、できるだけ遠い先の起こりえないことにした。
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日本人の輪廻思想 (ハハサウルス)
2005-12-27 01:14:05
こちらも大変興味深く読ませて頂きました。



インドの伝統思想「循環の思想」としての「輪廻転生」の対極として生まれたのが、永遠に涅槃の世界に入るという仏教の原型、と読んだことがあります。しかし、日本の仏教は、生まれ変わりを否定しないことで定着したとのこと。日本には遥か昔から「あちらの世界」と「こちらの世界」(敢えて彼岸、此岸とは言いませんが)を行き来するんだという思想があったらしく、それが輪廻という思想を受け入れやすくしたのかなと思います。法然・親鸞は「還相回向」の思想ですしね。

本来、魂の存在を認めない仏教がお葬式仏教になったのはおかしいのかもしれませんが、日本人の柔軟性の為せる業かな、などと思えば、そうかなとも思いますし、お釈迦様が死後の世界を決して語らなかったため、解釈が分かれたのは仕方のないことだと思います。

日本人のキリスト教徒の方に、生まれ変わりの思想をどう思うのか聞いてみたいです。結構深層では信じているんじゃないかと想像するのですが…。
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 (mugi)
2005-08-28 20:55:40
「タクル」は「神」の意味もあったのですか?

何ともすごい!インドも功績のあった人を死後聖人やほとんど神に近い存在に祭り上げる事がありますね。



タゴール、ラーマクリシュナといい、あれだけの才能のある人物はほとんど神に近いです(笑)。
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RE:タクル (便造)
2005-08-27 20:33:03
ラーマクリシュナも「タクル」と呼ばれますね。

確か「神」という意味だったような・・・・・・。



語学のセンスがある方がうらやましいですね。

私は、英語を読んでも、サンスクリットを読んでも、語学のセンスのなさを実感する毎日です(笑)
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タクル (mugi)
2005-08-26 22:48:14
私は第三文明社、レグルス文庫の森本達雄訳のギタンジャリを読みました。

ベンガル語で読める語学力があればいいのですが(笑)。ベンガル語だと“タゴール”でなく、タクルになるそうですね。
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タゴール (便造)
2005-08-26 19:50:49
私もこの機会に「タゴール詩集」を読み直してみようかな。

mugiさんは、岩波文庫で読まれましたか?

ベンガル語で吟唱できたら、さぞ素晴らしい体験になるでしょうね。
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Unknown (mugi)
2005-08-19 21:53:12
タゴールも死の直前まで活動を続けていましたよね。彼の詩を読んだ時は衝撃を受けました。こんな素晴らしい詩があったのかと。



オームだけでなく、あの連中はホーリーネームと称して、インドの様々な神や聖人の名を使ってましたね。ドゥルガー、ウッパラパンナーとか。全く不愉快です。
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輪廻転生 (便造)
2005-08-19 15:21:23
ゲーテもカラヤンも、死の直前まで活動を続けていた点が共通していますね。肉体の死では終わらない、自分の中で働いている何か、を感じていたのかもしれませんね。



聖音オームが、あの忌まわしい集団と、痛ましい事件に結びついてしまったのが残念です。



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コメント、ありがとうございます (mugi)
2005-08-18 21:08:43
便造さん、今晩は。



地震ですが、幸い我が家ではこれといった被害もなく、せいぜい棚にのったものが落ちたくらいで済みました。怪我した訳でなく、ライフラインも大丈夫だったので、一安心しました。

本当に、何時何処で地震が起きるか分かりませんから、お互いに備えが必要ですね。



ゲーテや指揮者カラヤンも「輪廻転生」に関心があったとは、知りませんでした。

もちろん死後の世界など誰も分からないですが、このような話は興味深いです。もし、オ○ムの連中がもっと詳しく知っていたら、と思いました。
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TBありがとうございました。 (便造)
2005-08-16 22:09:19
mugiさん、今晩は。



地震の影響はいかがでしたか?

東京でも長く揺れていました。



「輪廻転生」は、ゲーテや指揮者カラヤンも信じていたようですね。

近い内に、インド一元論の輪廻について書いてみたいと思っています。



私の方からもTBさせていただきました。



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