『マリー・アントワネットの日記』(吉川トリコ著、新潮文庫nex)を先日読了した。文庫版2部作で上巻 Rose、下巻 Bleu で構成されている。上巻のアマゾンでの書評が概ね好評だったため、試に購読してみたら思った以上に面白かった。裏表紙では「このプリンセス、他人とは思えない!」の見出しで作品をこう紹介している。
「ハーイ、あたし、マリー・アントワネット。もうすぐ政略結婚する予定www 1770年1月1日、未来のフランス王妃は日記を綴り始めた。オーストリアを離れても嫁ぎ先へ連れてゆける唯一の友として。冷淡な夫、厳格な教育係、衆人環視の初夜……。サービス精神旺盛なアントワネットにもフランスはアウェイすぎた──。時代も国籍も身分も違う彼女に共感が止まらない、衝撃的な日記小説!」
この小説最大の特徴は、何といってもその文体。歴史小説特有の真摯な重厚さが全くなく、全編今風の女の子言葉でネットスラング満載なのだ。表紙からしてお気軽なライトノベルと思いきや、作者はかなり史実を調べていることが分る。アマゾンレビューに、「真面目な話、ベ●ばらを超えている」という感想があったのも納得。
上巻ではアントワネットの輿入れ前からルイ15世の逝去(1774年5月10日(水))が描かれている。日記小説にせよ、この作品では日付の後に必ず曜日が載っているのが良い。上巻は1770年1月1日(月)から始まっていて、出だしはこうなのだ。
―最初の一行をなんて書こうか、せっかくだから超キメキメのパンチライン(※印象的なフレーズ)ではじめたかったんだけど、どんなかんじがいいかと考えているうちに三日が経っていました。なので日付は元日になっているけど、これを書いているのは一月四日です。
パンチラインなる用語をこの小説で初めて知ったが、翌日には嫁ぐ前の気持ちを書き綴っている。
―この春フランスの王太子殿下のもとへ嫁いだら、マリー・アントワネットっていうフランス式の名前になるっぽい――ってまるで他人事のように話しているけど、実際ほとんど他人事だったりするんだよねー。いまだにまったくといっていいほど実感がないんだもん。あたしがフランス王太子妃とかWWW 超ウケるんですけどWWWみたいな。(11-2頁)
ツヴァイクなら絶対に書かない文章だろう。全編通し最後まで「あたし」の一人称で語られており、これほどネット用語が多用されている小説は初めて見た。一見したところ、全般的に軽い印象を受けるが、主人公がアントワネットだけあって深刻なテーマがさりげなく入れられている。
彼女に限らず14歳で政略結婚させられる姫君の心境など、現代庶民の想像を絶するが、「どうせ決まったことなんだし、考えたところでなにがどうなるわけでもなし、無駄無駄無駄ァってやつだよね」と受け入れる他ない。その後に印象深い言葉が出てくる。
「疑問を持ったら不幸になるだけ、疑問を持ったら不幸になるだけです!(大事なことだから2回言っとくね)」(13頁)
フランス王家に嫁いだアントワネットが、ルイ15世の公妾で実質的にはトップレディであるデュ・バリー夫人と激しく対立するのはベルばらと同じ。彼女らの対立を積極的に煽ったのが、アデライード、ヴィクトワール、ソフィー等国王の未婚3人娘だが、彼女たちは最年長のアデライードさえ30代後半だったのだ。ベルばらではどう見ても老婆だったが、30代後半では悪口や陰謀に熱中するバイタリティーに溢れていた訳だ。
驚いたのはルイ15世が娘たちを酷いあだ名を付けて呼んでいたこと。ソフィーは「カラス」、ヴィクトワールは「雌豚」、アデライードが「ボロぞうきん」というのもスゴいが、王女たちを憎んでいるのではなく、非常にねじまがった愛情表現として父娘の間で通用していたようだ。
3姉妹にも縁談がなかった訳ではない。彼女らが名も知らぬ小国の王族に嫁ぐくらいなら、ブルボン家の王女としてフランスに留まることを望んだこともあるが、殆どは父王の手により縁談が握りつぶされてしまったらしい。娘たちを可愛がるあまり、何時までも手元に置いておきたいと考えたという。
この話は本作で初めて知ったが、いかに政略結婚をさせられず、自由気ままな暮らしを謳歌したアデライード、ヴィクトワール、ソフィー等が熱中したのは父の愛妾との争いだった。果たして彼女らはアントワネットよりも幸せだったろうか?
アントワネットがデュ・バリー夫人に屈服、ついに声をかけるのは史実通りだが、後者の対応はベルばらとは正反対なのだ。冷酷な悪女という設定になっていたベルばらでは勝ち誇った顔で高笑いするが、両目に涙を浮かべてまで喜色を表すのがこの作品。
この箇所はベルばらと同じく見せ場のひとつでも、作者が異なると描き方や解釈もかなり違ってくるという見本だろう。
その②に続く
しかし、こちらの結末も悲劇でしょう。
式場でマリー・アントワネットは今まで着ていた服をすべて脱いで裸になってフランス側に引き渡されたのだった(このとき名前もマリア・アントーニアからマリー・アントワネットに変わったのだった)。
公式サイトもあったのですね。さらにスピンオフ作品「ベルサイユのゆり」まで出たとは。タイトルからして笑えますが、流転の王女をまたあのノリで描くのでしょうか?
ポリニャックが子どもたちの養育係となりましたが、ランバル公妃がなった方がよかたと思いますよ。
マリー・アントワネットがフランス入りする前、コメントされた通りの儀式が行われました。衆人が見守る中、14歳の少女が一糸まとわぬ姿をさらすのだから、現代人には理解できない儀式でしょう。尤もフランス宮廷では公開出産も当たり前でしたし、これまた21世紀では考えられない儀式です。
改めて公式ツィッターを見たら、確かに語り手はランバル公妃ですよね。 「49年生まれ、マリー・テレーズ・ルイーズ・ド・サヴォワ・カリニョン」だから。語り手がこの女性ではラストが重そうです。
ランバル公妃の夫がどうしようもないロクデナシだったことは初めて知りました。日本語版wikiにも載っていますが、結婚から1年もたたずに性病によって死去したそうです。まだ20歳でした。ルイ14世のひ孫に当る人物だったのですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%B3_(%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E5%85%AC)
ポリニャックが養育係になったのは王妃の寵愛だけではなく、自身に子供がいたことが大きかったと思います。子供がいないランバル公妃は不利でしょう。
日本語のウィキは見ていなかったのですが、リンク先から夫の父親をたどったらモンテスパンの子孫ですね。いや、太陽王の時代と意外に近いと言うのが実感できました。しかし、ルイ十四世は日本だと三代将軍家光の時代から七代将軍家継の時代までなんですね。
そう言えば、八月十日事件とか九月虐殺とかはどう描かれてました?
日本語版wikiを見て私も初めて知りましたが、ランバル公の夫はモンテスパンの子孫だったとは驚きました。その父親は高潔で慈悲深い人物だったそうですが、娘婿はあのオルレアン。長男の嫁の惨死に加え娘婿が国王の死刑に賛成票を投じたことで、失意の死を迎えています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%B3
ルイ14世の治世は72年にも及びフランス史上最長でしたが、同時代の日本では将軍が5人も変わっていたことも驚きます。これでは絶対王政が確立できるはず。
八月十日事件は省略ですが、九月虐殺でのランバル公妃の死はもちろん描かれています。亡命先の英国から戻ってきたランバル公妃に王妃は「バカよ、あなたはバカだわ」と言って泣きじゃくり、9月21日は「彼女は友情に殉じたのです」と結ばれています。