私が子供の頃見た劇画で、強い衝撃を受けたのが白土三平作の『赤目』だった。本好きの父は劇画も結構見ていたが、側から父の読んだ劇画を私も見ていた。小学校中学年くらいの年齢の児童には難しい内容だったが、特に『赤目』は冒頭から驚かされた。何しろ2頁目で百姓の首が飛ぶのだから。
時代はおそらく戦国だったと思うが、百姓が作業している農地に、いきなり城の若殿が乗馬姿で乗り込む。百姓たちは「せっかく撒いた種が滅茶苦茶だ」と怒りを感じてもその場を逃げる他ない。若殿は何の罪もなく逃げ遅れた百姓の首を直ちに刎ねる。彼は「ハハハ、なんとよく切れるのだ…まるで大根を切るようだ」と笑いながら、駆け去る。そして無残に殺害された百姓の死体に妻子がすがって泣く場面が続く。
この鬼畜の若殿は平凡な百姓だった主人公の妊娠中だった妻も惨殺する。腹の子が男か女か確かめる目的だけで、身ごもっている妻をわざと拉致したのだ。側近の止めるのも聴かず、妊婦の腹を切る若殿。主人公の元には遺体となった妻が帰されるが、掛けられたむしろを捲くった彼は、妻がどのような殺され方をされたのか知る。妻と初めての子を失った彼は固く復讐を誓う。『赤目』はこの主人公の復讐物語なのだ。
いかに復讐に燃えたところで、元来力もない百姓に過ぎなかった彼は、忍者に身を寄せ、忍術を学ぼうとする。だが、意志だけでは忍者になれない。劇画中の解説にもあるとおり、犬が木に登れないように、百姓である主人公には忍者になれる素質が全くなかったのだ。ついに忍術訓練時、片足と片目を失う大怪我をし、を追放される。それでも「妙(妻の名)、きっと敵は討ってやるぞ」と復讐心は失わなかった。
万策尽きたかに見えた主人公。しかし、彼は食物連鎖を利用したやり方で復讐を開始する。それは「赤目教」の布教だった。赤目というのは兎であり、僧侶となった彼は赤目を敬えば、極楽往生するという教えを広める。困窮生活を強いられていた百姓たちは彼の教えを受け入れ、元百姓は「お上人様」として村人の絶対的信頼を得る。
兎を大事にすれば当然兎の数も増えるが、繁殖しすぎれば逆に食糧難、疫病で兎は激減する。兎が減れば、山猫のような肉食動物も影響を受け、人間を襲うようになる。
城の若殿は既に領主となっていたが、頻繁に人を襲うようになった肉食獣の対策に頭を痛めていた。百姓どもには己の問題には自分達で対処せよと、山猫退治のため銃を渡す。これこそが主人公の狙いだった。銃を手にした百姓を率い、彼は一揆の先頭に立つ。先祖代々の恨みを晴らせ、戦って死ねば極楽往生ぞ、と檄を飛ばして。
領主の兵は至るところで打ち破られ、一揆軍が勝利する。密かに城から抜け出した領主の前に立っていたのが主人公。
この劇画のラストもインパクトがすごい。悲願の復讐を遂げた主人公が縄に掛けた領主の首を引きずりながら歩いているが、彼は既に正気を失っていた。「妙、うれしいだろう。赤目様だ。赤目様が飛んでいる…」とつぶやき、立ち去る彼の後姿を写して幕となる。
この劇画を見た時、私は十歳そこそこだったので、昔の日本ではこのような惨いことが行われていたと本気で信じた。この劇画にも登場するように、貧しくて年貢を納められない百姓はみの踊り(身体にみのを巻き、火を付けられる処刑。もがき苦しむのでこの名が付く)にされるのだと思い込んだ。さらに生き埋めシーンもある。後ろ手に縛られた百姓の男たちが穴に投げ入れられ、そのまま土が被せられる。その上に家族の女、子供、老人が立たされ、土を踏むことを強要される。泣きながら土を踏む家族たち。「このような残酷な手口は旧日本軍が中国大陸でよく行ったものである。抑圧されている人民ほど他の民族に残虐行為を働くといわれるが、それも悲しい歴史があったからだろう」という著者の解説も添えられて。
だが、長じてこれは典型的マルクス史観による劇画であるのを知った時は、騙された、と怒りを禁じえなかった。白土三平の父もプロレタリア画家なので、根っからのマルクス史観論者だったのだ。
私の学生時代、白土三平の劇画「カムイ伝」を勧めていた講師がいた。劇画なので試しに読んでみたら、あまりにも虐げられたの話が強調されていて、面白くなかったから2巻目で止めた。あれが一時期人気を集めた劇画だったとは信じ難い。
この講師は満州事変を「人の国でドンパッチやって、事変と呼ぶのは何事か」「インドは男より女の方が平均寿命が短い。男は働かないで、女に仕事させているからだ」などと言う人物だった。当然人の国でドンパッチやって、解放と呼ぶ中共のことは触れない。明治初期には日本も女の平均寿命の方が短く、これは出産時で死亡するケースが多かったためである。インドの男が働かないとは、デタラメもいいところだ。ペルシア(イラン)からもたらされたパルダという女性隔離制度があり、外に出られない女も少なくなかった。
もちろん『赤目』のような鬼領主は存在しただろうが、むしろ例外のケースであり、民をこれほど痛めつけては統治も立ち行かなくなるのだ。みの踊りの対象はもっぱらキリシタンであり、彼らは「宗教の衣をまとった帝国主義」の記事でも書いたが、スペイン、ポルトガルと結託もする敵対的なカルト集団だった。
ネットでは偏向報道が散々批判されているが、子供心にもインパクトを与える偏向劇画・教育は、なお始末が悪い。
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私の小学校時代の教師もヒダリマキ+白土三平のファンで、私も「カムイ伝」をほんの少しですが読み、江戸時代はろくでもない時代だと思った時期があります。
「みの踊り」は島原の乱を引き起こす元になった松倉勝家がキリスト教徒以外の百姓を拷問するのに使用しています。但し彼は幕府に島原の乱の責任を問われて江戸時代大名で唯一の打ち首にされるので、むしろ過酷な扱いは犯罪と考えられていたことを示しています。
「生き埋め」に関してはシナ歴史ではありますが、日本の歴史で聞いたことがありません。どこの誰がそんな刑罰をしていたんでしょう。その日本軍の蛮行ってシナ人の行動そっくりなんですが。
白土三平は才能があると思いますが、創作を実際の日本歴史の暗部として書くのは困ります。
しかし、難しいのは狼ですね。
江戸時代、狼は信仰の対象であり人を襲う事はほとんど無かったのですが明治に入って環境破壊が進み狼達は家畜を襲う様になりました。
狼が人を襲うと言われる様になったのは20世紀になってから、しかも二ホンオオカミが絶滅してからです。
マルクス史観的に言えば、過去の封建主義等は民衆からの搾取の歴史といいますが、果たして、マルクス主義を取り入れた国々がどうなったのか。
搾取する側が封建君主から、一部の貴族や王族に変わっただけで、何がかわったというのでしょう。
更に、自由や人権に対する抑圧といえば、より悪化した部分も少なくないでしょうね。
>「このような残酷な手口は~
mugiさんも仰るとおり、他民族に対する残虐行為といば、漢民族の十八番でしょう。
更に重要なのは、事実無根の場合もあるにしても、日本の蛮行が過去のものであるのに対し、中共、北朝鮮等の人権弾圧は現在進行形ですよね。
何かしろ、日本を非難する欧米人も、商売の為なら、人権も何もあったものではないですね。
先日、N○Kで「島原の乱」を取り上げていた番組を拝見したのですが。
スペイン、ポルトガル人との交流、援軍を期待していた、とまでは紹介していましたが、奴隷貿易までは扱っておりませんでした。
また、反乱に加わりながら、脱出しようとした者を、本人は殺さず、妻子を殺し、牢獄に入れた、最終的に集団自決したことをみると、キ○スト教も、カ○ト教団とあまり変わらないように思えました。
酒に酔いしれている幸せを、先人への感謝を忘れたくないものです。
仰るとおり白戸三平の忍者マンガは面白いですよね。ただ、これも誇張がありすぎる。
まさか白戸三平も子供向けに「赤目」を書いた訳でもないでしょうが、日本史の予備知識がない人が見れば、あれを事実と思い込む方もいると思います。
>こんばんは、スポンジ頭さん。
結構教師に白戸三平ファンがいたのですね。記事にした講師も今頃まさか教授になっていたならば、恐ろしい。
卑しくも教育者が創作劇画を史実を描いたとして勧めるのは、困ったことです。最近の教師の中には「新聞を教育の場に」と、新聞を学校教育に取り入れるよう活動している者もいますが、公正を欠く新聞ではこれも問題。
胎児が男か女か、どのような状態でいるか見たいだけで妊婦の腹を斬る領主など、シナの話のようですね。マルクス史観に取り付かれると、日本史とシナ史もごっちゃになるようで。
>キモトさん
日本の民話に登場する狼はあまり獰猛な印象はないのですが、二ホンオオカミが絶滅して久しい現代は狼といえば悪いイメージばかりですね。映画や小説に出てくる狼が悪役中心なのも(狼男など)、影響しているかもしれません。
>こんばんは、Marsさん。
マルクス主義を取り入れた国々の実態は、共産党の凄まじい階級体制と反革命分子と見なされた人々を押込めた収容所の増設でした。
昔の封建領主と共産党幹部では、どちらが民衆に惨かったのか、書くまでもありませんね。
欧米人が旧日本軍を非難するのは、自分たちの植民地支配の歴史はもっと人道的だったと喧伝か、特定アジアの提灯持ちが動機でしょう。
欧米人の人権など、所詮外交の具に過ぎません。
またに犬HKと罵られるだけある放送局の番組に相応しい。被害者が日本人である奴隷貿易を何故取り上げないのか、手落ちもいいところ。
キリシタンがスペイン、ポルトガル人の援軍を期待していたのは哀れですね。いざとなれば異民族など構ってくれないのに。
これって現代も変わりない。日本人キリスト教徒または少数のムスリムにも、「自分たちには数億の信者が付いている」と言う者もいますよ。かつてのキリシタンの轍を踏んでいるとしか思えない。
キ○スト教も様々なカ○トがあり、アメリカで集団自決する教団もありましたね。
仰るとおりメディアや劇画まで使った歴史洗脳は今始まったことでなく、根が深そうですね。
一昨年、'60年代に東京で活躍していた元KGB要員ミトロヒンが著書を出してますが、それによるとマスコミ界に多数協力者がいたとか。
もちろん旧ソ連だけでなく、アメリカ、中共も同じ工作をしているのは明らかでしょう。
中学の時に「はだしのゲン」の作者が学校に公演に来たのですが、その時氏が「中国での日本軍の蛮行」として話していた内容がこの「赤目」で白土三平が描いているそのままであったことが記憶に残っています。ということは当時の人間がこの情報(元ソースは判りませんが)に触れたときの衝撃度はかなり高かったようですね。今となっては歴史的情報が世間に溢れておりますので「今」に沿った作品の批評もいいと思いますが……歴史の粗を見つけることは誰にでもできます。ただ歴史の空気を正しく知るためにはかなりの勉強が必要だと思います。45年前の、子供に真実を隠す世論の中で、リスクを一人で背負い批判の中で人間の負の部分を知ってもらおうと生み出した作品に対して「偏向劇画」と批判するのは如何なものかと思いますです。。まあこれが現代の最新作でしたら私も歴史の「負」にも当たらないくだらない作品だと思うでしょうけど(^^;
駄文失礼しました。
作品を書く以上勉強するのは当り前であり、劇画家ばかりか作家や学者にも勉強不足の方がいますね。もし白戸が勉強家なら、何故あのような作品を書いたのか?史実を知りながら、史実と異なる時代劇画を描いたのか、その意図はどこにあるのか、私は不可解です。私から言わせれば、モノを知らずに書いた劇画家よりも遥かに悪質です。卑しくも彼もプロの漫画家なら、人気のある自分の作品が社会にどのような影響を与えるか考慮しなかったのなら、文化人として無責任極まりない。
彼は果たしてリスクなど負っていたのですか?彼の作品は当時学者までヨイショしていたのですよ。
>歴史の粗を見つけることは誰にでもできます
それなら白戸や私、彼方もやってますね(笑)。作品を書いた以上、批判があるのは当然であり、批判を受ける覚悟なければ漫画家として務まらない。批判を如何なものか、という意見こそ、如何なものだと思います。擁護としても拙劣なやり方でしょう。
現代、奴隷制は人類史の暗部とされてます。だが19世紀までは世界中で当り前だったのですよ。同じく階級制も普通だった。現代の歴史家及び知識人で讃える人はいない。それを昔は当り前だったから、「今」に沿った批評をするのはどうか、と言う者もまずいない。人間の価値観など、時代により大きく変わる。あなたの意見は奴隷制を何とか擁護とする者(一部あり)の見解と基本的に同じです。
>45年前の、子供に真実を隠す世論の中で
45年前といえ戦後ですよ。当時の世論だけが子供に真実を隠していた訳でもないでしょう。何をもってそのような結論を下すのですか?
ちなみに私が教育を受けた'70年代の教科書には「家制度により個人の創造性は押し潰されていった」などと記載されてました。
「偏向劇画」の表現が気に食わなければ、「(歴史)歪曲劇画」と言い換えましょうか?むしろこちらが相応しいですね。
もちろん私のブログもある人からすれば「偏向ブログ」だろうし、あなたの書込みも「偏向コメント」になるかもしれない。十人十色なのが人の意見なのだから。
どの人間でも大なり小なりの信念は持っており、その信念で漫画なり著書の作品を残す。それが無ければ作品は書けませんが、人の口に扉は立てられぬもの。作品への評価も時代により大きく変わるのが人間社会の常なのです。
ただ一つだけ横槍を入れさせていただくと、学者までヨイショはこの作品の数年後のことです(大きくなるのは10年以上後でしょうか)。この作品発表の当時はやはり子供たちに大きな衝撃を与えたようです(といっても一部ですが)。当時としてはありえない考えですが白土三平はやはり大人を意識してこの漫画を描いていますね。「目的に生きている人間はその目的を失ったとき精神が壊れる」という難しい要素は子供には理解が難しいですからね。自分で書いておいてなんですが私も「もしかしたらこの作品は読者(子供)無視かも」とか考え直してます(^^;。作品表現に誇張はつきものですが、その多さが批判の対象になるのは仕方がないとも思います。ご存知の通り白土三平の目論見は成功し、この後漫画は評論の対象となり、大人漫画表現へと発達していくのですね。勉強になりました。ありがとうございました。