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カリーラとディムナ その①

2014-05-22 21:10:41 | 読書/中東史

カリーラとディムナ』(イブン・アル・ムカッファ著、東洋文庫331)を先日読んだ。本の副題には「アラビアの寓話」とあり、8世紀中頃にアラビア語で書かれた古典である。だが、著者はアラブ人ではなくペルシア人ムスリム、しかも改宗者なのだ。さらにこの物語はムカッファの独創ではなく、インド寓話『パンチャタントラ』を翻案して制作されている。明晰かつ流麗なアラビア語散文の文体は今もイミニターブル(模倣しがたい)と称えられ、不朽の名作となっている。

 パンチャタントラがペルシアにもたらされたのは、6世紀のサーサーン朝皇帝ホスロー1世が英知を求め、侍医ブルズーヤをインドに派遣したことが始まりらしい。ブルズーヤはインドからパンチャタントラの他マハーバーラタのような叙事詩も祖国に持ち帰ったといわれる。ペルシアに戻ったブルズーヤはインドの諸物語をパフラヴィー語(サーサーン朝の公用語)に翻訳する。
 ブルズーヤから約2世紀経た750年頃、パフラヴィー版パンチャタントラを直接の底本として、ムカッファがアラビア語で書いた寓話集こそ『カリーラとディムナ』。翻訳者の菊池淑子氏は解説で、「その他の物語や多分作者の創作とされる章も加え、物語は主としてインド、思想教養はペルシア=アラブ、形式はアラビア語という三文明を融合させた寓話集」と述べている。

『カリーラとディムナ』とは物語中の山犬の名前。wikiでは何故か豹と表記されており、ジャッカルと訳されることもあるようだが、私の見た東洋文庫版では山犬となっている。東洋文庫版にはエジプト又はシリアで発見された14世紀の写本のミニアチュール(細密画)も載っており、絵はどう見ても山犬かジャッカルだった。
 カリーラとディムナの他にも作中には動物寓話が多く、作品のインド的要素が伺える。全編を通じ、動物だけが登場する物語、人間・動物が共演するもの、人間だけのものの3種がある。量的には①が最も多いが、この中に②と③の形式の寓話が引用され、③の中にも①と②の小話が含まれる物語もあるため、全体としては人間と動物の共演するドラマになっている。

 動物寓話といえばイソップ物語がよく知られているが、インドの場合も人間社会の諷刺批判の具として、動物のキャラクターが用いられた。ただ、インドでは人間から遠い存在である動物を単に文学表現の手段として使うのではなく、人間と動物は対等の生き物として扱われている。例えば象はインド寓話によく登場するが、象であることは戦士や学者と同様で、一種のスペシャリストでもあるのだ。
 動物は人間にとって、姿形の異なる隣人・友人であり、家族の一員でさえあるため、愛憎の念を持ち、善良・悪辣な行為をすると考えるのは当然だった。作者だけがそう考えたのではなく、インドの人々がそのように信じているのだ。そのため両者の共演が自然に生まれる。

 両者のこうした融合の世界が生まれた背景には、双方が身近に生き、互いに相手を恐れないインド人の生活と精神的風土があったからだろう、と菊池氏は見ている。この世界観は古代ペルシア人やアラブの作者には全く珍しく、驚くべきものの様であったらしい。アラブ世界にはインドのような精神的風土がなかったためだろう。

 物語のルーツがインドのためか、『カリーラ~』の寓話集には日本にも殆ど同じ話があるのだ。インド寓話が仏教と共に中国に影響を与え、それが日本に伝わったこともあり、『今昔物語』『沙石集』には同じ話が見られるという。特に「鼠の嫁入り」が『カリーラ~』にも収められたいたのは驚いた。
「少女に変身したハツカネズミ」(191頁)では、信心家の祈りによって美しい娘になったハツカネズミが、世界で最も強い男を探し求め、太陽、雲、風の順に求婚するまでは日本と同じ。最後だけは壁となっている日本版と異なり、この作品では山だった。山を掘って穴をあけるネズミが結局一番強いということで、父代わりだった信心家は神に祈って娘を元通りのハツカネズミに戻し、ネズミ同士で結婚する。
その②に続く

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