時代劇ではキリシタンは温和で信仰深い人々にも係らず、酷い迫害を受ける哀れな犠牲者として登場する。もちろん敬虔で温厚な信者もいただろうが、戦国時
代という背景もあってか実際はかなり戦闘的で周囲とのトラブルが絶えなかった。現代風に言えば、カルト集団のように見られていて忌み嫌われる存在だった。
当時来日したスペイン、ポルトガル人との交流は南蛮文化を生んだが、一方で犯罪も発生している。特にポルトガル人は奴隷貿易を 行い、主に日本女性を売り飛ばしていたのだ。天正遣欧少年使節も渡欧の途中で、多数の日本人男女が積まれた船を目撃して衝撃を受けている。日本側官憲が取 り締まろうとしても、この種の密貿易に対処できないのは現代も同じ。捕えられたポルトガル人は「協力する日本人がいるからだ」と居直ったらしい。
この犯罪行為に加担した日本人側だが、キリシタンが多かったのだ。非キリシタンもいたが、数からすればキリシタンが上回ってたのは評判を落 とすのに充分だ。キリシタンの中には「自分たちにはデウス(神)、イスパニア(スペイン)、ポルトガルが付いている」と横柄に公言する者までいた。現代の 日本にもこの類がいるではないか。「日本人協力者がいる」とうそぶく外国人や、外国人との繋がりを誇示する日本人犯罪者などが。
が、諸行無常の言葉どおり17世紀になりキリスト教政策が激変すると、南蛮人やキリシタンも態度が様変わりする。新たに来日したオランダ人 の記録には、これまで非常に高慢だったポルトガル人が一転して卑屈になったとある。日本人やオランダ人からも「何故これ程苛められても日本にいるのか」と 嘲られる有様。キリシタンも追い詰められ、各地で迫害される。
背景は領主の圧制が原因だった島原の乱(1637年)では、キリシタンは「偶像崇拝者を殺せ」の号令の元、至る所で代官、僧侶ばかりか非信者の一般人にも襲い掛かり、民家を焼き払う。何故か19世紀の太平天国の乱でも、真似したのではないだろうに同じ檄が飛ばされた。
中国を愛したゆえに日本には辛口だったJ.ネルーでさえ、鎖国そのものは批判しながらも日本が鎖国に至った気持ちは理解できる、と書いている。むしろ、さして欧州との付き合いがなかったにも係らず、宗教の衣をまとった帝国主義を見抜いていたのは驚くべきことだ、とも付け加えていた。インドはまさにこの帝国主義に苦しめられたのだから。彼は「インドや中国は鎖国をしたくとも出来なかった」と羨望ただよう一文も残している。
何も「宗教の衣をまとった帝国主義」は欧米の専売特許ではない。世界史は東西問わず帝国主義と言おうが覇権主義と呼ぼうが、常に弱肉強食の連続なのだ。宗教、人権、平和の皮を被った分断、反動、利敵主義は現代も同じ。
当時来日したスペイン、ポルトガル人との交流は南蛮文化を生んだが、一方で犯罪も発生している。特にポルトガル人は奴隷貿易を 行い、主に日本女性を売り飛ばしていたのだ。天正遣欧少年使節も渡欧の途中で、多数の日本人男女が積まれた船を目撃して衝撃を受けている。日本側官憲が取 り締まろうとしても、この種の密貿易に対処できないのは現代も同じ。捕えられたポルトガル人は「協力する日本人がいるからだ」と居直ったらしい。
この犯罪行為に加担した日本人側だが、キリシタンが多かったのだ。非キリシタンもいたが、数からすればキリシタンが上回ってたのは評判を落 とすのに充分だ。キリシタンの中には「自分たちにはデウス(神)、イスパニア(スペイン)、ポルトガルが付いている」と横柄に公言する者までいた。現代の 日本にもこの類がいるではないか。「日本人協力者がいる」とうそぶく外国人や、外国人との繋がりを誇示する日本人犯罪者などが。
が、諸行無常の言葉どおり17世紀になりキリスト教政策が激変すると、南蛮人やキリシタンも態度が様変わりする。新たに来日したオランダ人 の記録には、これまで非常に高慢だったポルトガル人が一転して卑屈になったとある。日本人やオランダ人からも「何故これ程苛められても日本にいるのか」と 嘲られる有様。キリシタンも追い詰められ、各地で迫害される。
背景は領主の圧制が原因だった島原の乱(1637年)では、キリシタンは「偶像崇拝者を殺せ」の号令の元、至る所で代官、僧侶ばかりか非信者の一般人にも襲い掛かり、民家を焼き払う。何故か19世紀の太平天国の乱でも、真似したのではないだろうに同じ檄が飛ばされた。
中国を愛したゆえに日本には辛口だったJ.ネルーでさえ、鎖国そのものは批判しながらも日本が鎖国に至った気持ちは理解できる、と書いている。むしろ、さして欧州との付き合いがなかったにも係らず、宗教の衣をまとった帝国主義を見抜いていたのは驚くべきことだ、とも付け加えていた。インドはまさにこの帝国主義に苦しめられたのだから。彼は「インドや中国は鎖国をしたくとも出来なかった」と羨望ただよう一文も残している。
何も「宗教の衣をまとった帝国主義」は欧米の専売特許ではない。世界史は東西問わず帝国主義と言おうが覇権主義と呼ぼうが、常に弱肉強食の連続なのだ。宗教、人権、平和の皮を被った分断、反動、利敵主義は現代も同じ。
私は、相変わらずの、生活です(ありがとうございます)。
mugiさんこそ、お変わり、ないですか?
(暑くなった分、エアコン稼動で電気代が、、、。
数時間に1回は休ませていますが、月末の請求書を見るのが怖いです)
ところで、「宗教の衣をまとった帝国主義」は依然として力を保持していますね。
グローバル・スタンダードの名の下、経済的にも米・欧が経済侵略もしていますね。世界標準とは聞こえがいいものの、ようはその国々の情勢に、無思慮で、金さえあれば乗っ取るというものです。まぁ、この言葉を提唱している国々も、(保護貿易等、)ダブル・スタンダードなのには、片腹が痛いです。
まぁ、キリスト教に限らず、一神教では、その宗教が信じる価値と同じように、その宗教を信じない者にも、同等の価値を見出しているのに、許せないのでしょうね。
罪という英語にはsinとcrimeという言葉がありますが、一神教の国々では、sinにcrimeは含まれますし、時には、crimeにない罪を作成したり、crimeを犯しても、ねじまげてしまうものでしょうね。
キリスト教の日本での様子もそうですが、過去の歴史を紐解いて、キリスト教の名の下に何が行われてきたかを考えれば、日本のキリスト教徒だけ”善良な被害者”なんて思えるわけがないですよね。
ボク的には、今は、「共産主義という名の宗教」が一番おっかないですけどね。
私の住んでいる所は扇風機でも十分間に合いますが、冬は暖房費が、、、。
灯油の値上がりは頭が痛いです。
私はアングロサクソンほど謀略に長けた民族はないと思います。現代は“経済の衣をまとった”覇権主義でしょう。搾取は19世紀と変わりない。かつてイギリスはインドに「国際主義」を押し付けていたし、この主義など結局歪んだイギリス・ナショナリズムに過ぎなかった。
「もしも我々が抗議すれば、所謂“帝国の人種の虎のような資質”を思い知らされたのだった」- ネルー
>似非紳士さん
本国同様在日にキリスト教徒が多いのは有名ですね。彼らが日本社会に敵対するのは当然の帰結でしょう。
迫害されるのはそれ相当の原因があるからです。ユダヤ人や華僑、オスマントルコ末期のアルメニア、ギリシア人など周囲の異民族、異教
徒を憎みながら居座り、権利だけ要求する輩では排斥されないのが不思議。
トルコ初代大統領のケマルは、アラブを独立という形で切り捨てました。親アラブからでなく、「トルコを堕落させたのはアラブ」という
理由で。
私は人権や平和の皮を被った反社会組織がガンだと思います。
信者でないのは人間ではないのです。
まさにその通りですね。“神の前の平等”とは、共に神を前にしない異教徒は平等でありませんから。
日本人牧師が解説を避けたがる旧約聖書のヨシュア記などジェノサイトのオンパレード。
ただ、キリスト教に限らずイスラムもこの姿勢は変わりないですが。
キリスト教は、今でこそ平和主義のようですが、十字軍にも見られるように、非常に戦闘的な教義ですよね。排他主義はどうも私としては…ダメですね。以前、織田信長が比叡山の焼き討ちをした時、フランシスコ・ザビエルたちが非常に喜んだという記述を読んだ時に、ちょっとショックだったことを思い出しました。彼らの「愛」は、「慈愛」ではないようですね。
キリスト教の本質は未だに変わってないと思いますよ。ヨハネパウロ二世にしても、宗教の対話を呼びかけるポーズを取っていただけで、「天国にいけるのは正しきキリスト教徒である」と言ってましたから。他の宗教を認めたら一神教でなくなるから、この基本的姿勢は当然です。ザビエルは来日時、「この土地を神に捧げる」と額づいたくらいです。異教徒は「慈愛」対象外です。
ヨハネパウロ二世について、辛口な記事を以前書いてますので、気が向いたらどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/8fe4ec2d2ee6008be035e59dedfb8d30
多神教も宗教の名でワルを散々行っており、狂信と無縁ではありません。
ただ、やはりその害悪の規模は一神教の比ではないとするのは、非一神教徒の贔屓目ばかりでなく、史実からも確かです。
共産主義、社会主義も一神教の流れを汲んでおり、その点では教条的に陥りがちでした。
その上でひとこと…
ホンモノだからこそニセモノは沢山つくられる…
心境はいつも複雑です…