トーキング・マイノリティ

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母たちの村 2004【仏/セネガル】ウスマン・センベーヌ監督

2006-07-01 20:21:26 | 映画
 珍しいアフリカ人監督によるアフリカ映画。原題は“Moolaade”、西アフリカで使用されるフルベ語で保護を意味する。ある人物、家族や王国に保護を求めることで、人は何かに脅かされた時に自分より遥かに強く、自分を守ってくれそうな人にモーラーデを頼む。そのモーラーデにより、少女たちを割礼から守った母親が主人公。

 西アフリカのある村で、コレは 第二ママとして、第一ママ、第三ママ、子供たちと平和に暮らしていた。明るくしっかり者のコレだが、彼女は娘時代に受けた割礼のため2度死産し、3度目は やっと帝王切開で娘を授かった体験をしている。そんな彼女のもとにある日、割礼を嫌がった4人の少女たちが“モーラーデ”(保護)を求めて逃れてくる。こ の村では古くから“お清め”と称した割礼の伝統があったが、コレは自身の体験から娘には割礼を受けさせなかったからだ。彼女は少女たちを匿い、玄関に綱を 張り“モーラーデ”の意思表明をする。

 この村では“モーラーデ”は大変神聖なものだったが、割礼儀式もまた劣らず当然視されていた。割礼を受けない女は“ビラコロ”と蔑称で呼ばれる。字幕で“ビラコロ”の解説はなかったが、娼婦かふしだらといった悪い意味なのは予想がつく。“ビラコロ”など嫁にもらうなどもっての他、限りなく結婚の可能性がなくなるのだ。
 割礼を受けるのもどう見ても十歳にも達しない少女である。麻酔も消毒もなく、施す女たちが使っているのも、錆びさえ浮いた刃の小刀。村人はこれがイスラムの教えであると盲信しているが、実はコーランには女子割礼は記されていない。

  コレの行動は村のしきたりに逆らう前代未聞のことであり、困惑した長老はじめ村の男たちは早々女たちにラジオを聴くのを禁止し、取り上げる。電気のない村 でもラジオは各家庭で置いているのだ。長老の一人であるコレの義兄は弟に、妻が“モーラーデ”を取り消すよう命じ、ムチを渡す。兄に煽られた弟は村の広場 でコレに“モーラーデ”の破棄を迫り、何度も妻をムチで打つ。だが、どれほど打たれても彼女は屈しなかった。その様子を見ていた他の母たちも割礼廃止に立 ち上がる。

 割礼という重いテーマの映画だが、全く暗さはなく、鮮やかな民族衣装がよく似合う母たちは皆明るくパワフルだ。伝統に固執す る男たちも決して男天国ではない。父親の命は絶対で、結婚相手も父が決める。フランス留学から帰国した村長の息子は、結婚相手は自分が決めると宣言したと ころで、激怒した父は勘当を宣言するほど。村長は自分は父に逆らったことはなかったと述懐。それほど父の権威が重い社会なのだ。

 「もう二度と娘たちを切らせない」。映画のラストで母たちは高らかに宣言するが、現実もこのとおりであってほしいものだ。伝統を固持したがるのは男ばかりではなく女たちにもいる。奴隷制も19世紀まではごく当り前のことだったのだから。

身体より精神を縛る鎖はまことに恐ろしい」-J.ネルー

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