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獣刑-動物を使った処刑

2009-10-26 21:19:50 | 読書/欧米史
 前回の記事では実験台にされる現代の哀れな動物のことを書いたが、かつて世界では獣刑と呼ばれる動物を使った処刑方が広く行われていた。これは死刑囚を除き、人間、動物共に満足させられるものであり、処刑に動物を使役したということも人間と動物の関わりが分り興味深い。

 獣刑でよく知られているのは古代ローマである。身分が高い者には流刑や斬首が規定されていたが、そうでない者は見世物を兼ね円形競技場で猛獣に食い殺させる刑も採用されていた。初期キリスト教徒にも獣刑により殉教した者がおリ、後生キリスト教化した欧州で、ローマの極悪非道のひとつとして糾弾されることになる。
 しかし、キリスト教の確立後に獣刑は行われなくなったのかと思いきや、近世まで続いていたのだ。1791年に勃発したハイチの乱鎮圧に派遣されたフランス軍は、黒人狩りのため千五百頭の犬を輸入する。犬が到着した当日は式典が行われ、元イエズス会修道院の中庭に準備された観覧席には正装した婦人達が並んだ。

 その広場に打ち立てられていた杭に、連行されてきた黒人青年が縛り付けられる。多くの犬が彼に向けて解き放たれたが、犬達は反応しなかった。主催者は失望したが、その時参謀長ボアイエが飛び出し、剣で青年の腹を裂いた。その光景と血の臭いに刺激された犬達は、たちまち黒人に襲い掛かる。軍楽隊は側で演奏を続け、犬達は青年を貪り喰らった。そして観客からは一斉に拍手が起き、主催者側も胸をなでおろしたという。

 他に獣刑では19世紀にアメリカで行われていた鳥刑がある。鳥が外から頭を差し込めるほどの目の粗い鉄の籠に死刑囚を立った姿のまま、ようやく入れる状態で押し込め、絞首刑台に吊るしておく方法だった。死刑囚には水も食物も与えず、そのまま放置し、鳥に生きた人間の肉をついばませるのだ。鳥の場合、獣と違いゆっくりと肉を奪われるため、骨が出ても生きていることが多く、長い時間苦しんだ挙句、死ぬ者も少なくなかった。

 欧米のみならず獣刑は東洋でも行われており、フィリピンではワニが使われた。妻の不義を押さえた夫はそれを罰する権利を有し、切り刻んでワニに食わせることも認められていた。また不義を働いた女以外に犯罪を犯した老人は、川に投げ込みサメやワニに食わせることになっていた。
 インドの獣刑で有名なのは象を使った処刑。象に死刑囚を括りつけ、町中引き回した後、象に踏み殺させる。インドの著名監督ミーラー・ナーイルの映画「カーマ・スートラ/愛の教科書」('96年)にもこの処刑方が出てくる。ヒロインの恋人の彫刻家は、王の嫉妬により象刑で殺害された。

 中国の史書には車裂の刑が記載されており、罪人の四肢に馬車を繋ぎ、一気に発進させて体を引き裂くという惨い処刑だった。同じことは西欧でも行われていたので、洋の東西問わず発想は似ているのは面白い。獣刑というと日本ではなじみが薄いが、戦国時代から江戸時代初期まで一部にせよ、牛裂きが行われていた。人間の肉が食べられた猛獣や犬、鳥は満足しただろうが、車裂の刑をさせられた牛馬はどのような思いだったのだろう?人間的な感傷など無縁だったかもしれないが。

 処刑には獣だけでなく昆虫や鼠を使ったものもある。南方には巨大で攻撃的なアリもいて、アリ塚に罪人を顔だけを出して生き埋めにする処もあった。欧州ではミツバチを使い、縛られた死刑囚の体に蜜を塗りつけ、蜂が取り付くようにしたのだ。鼠を利用したのは近世欧州であり、二十日鼠を入れた籠を処刑台に縛られた死刑囚の腹部に固定する。籠の上部で火を焚き、行き場を失った鼠はやがて死刑囚の腹を食い破り、脱出しようとする。子供の頃、私は蝋人形館でこの処刑が再現されたものを見たことがあり、昔の人の残酷さに驚いた。

 よく残忍な人を「野獣」と表現するが、残酷さでは人間に勝る生き物はないだろう。現代はさすがに公開獣刑こそ無くなったが、血を求める本性は昔と変わっていないはず。もしかすると、殺しを楽しむ動物は人間くらいかもしれない。
■参考:『世界リンチ残酷史』(柳内伸作著、河出文庫)

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
西洋の車裂き (スポンジ頭)
2009-10-27 01:53:22
よくこれほど多様な刑罰が思いつけるものです。想像するだけで気持ち悪い。ミツバチなんて初耳です。蜜をつけて蟻に噛ませるのも出来そうですが、痛いだけで死なないから採用されないのでしょうか。史記にも出てくる車裂き、あれで秦で権力を握っていた商鞅は殺され、古代政治の過酷さにぞっとしたものです。

ところで、西洋の刑罰で車裂きといえば車輪に縛り付けて四肢を粉砕するものですね。あれは不適当な訳語だと思います。車磔と言った方がよさそうです。車輪に乗せて粉砕後、死ぬまで車輪に括り付けたそうですが、傍につき切りの刑吏も過酷な仕事です。

ドイツに刑具を集めた博物館があり、日本のテレビ局が許可を得て、釘が出ている拷問椅子にタレントを座らせたのですが、あまりの痛さにすぐ飛び上がっていました。そのタレントはTシャツにズボン姿でしたが、実際は裸で執行され、逃げられないように体を釘の突いた板で抑えるのだそうです。多分私なら1分と持たずに無実でも自白したでしょう。

本当に現代に生れてよかったと思います。
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Re:西洋の車裂き (mugi)
2009-10-27 22:46:14
>スポンジ頭さん

 私はミツバチに刺されたことがありますが、一箇所だけにも係らずその痛さはまるで太い針を刺されたように痛かった。そのミツバチに全身を刺されるとは、想像しただけで恐ろしい。始皇帝の母の愛人・嫪あいもまた車裂きにされましたが、三国志を見た時もこの刑がでてきたので、改めてシナの刑の凄まじさを感じさせられました。

 西欧で車磔にされた人物で、ルイ15世の暗殺未遂を起したロベール=フランソワ・ダミアンのことがwikiにありますよ。死刑執行人のガブリエル・サンソンはこの仕事を最後に引退したそうですが、それも当然と思えます。

『世界リンチ残酷史』の表紙に魔女裁判に使われた拷問椅子の写真が載っています。剣山椅子といった印象で、あれが実際に使用されていたとは、心底ぞっとさせられました。おそらく私なら、椅子に座らせられる前に自白しているかも。
 日本もかつて拷問は当り前でしたが、シナや西欧と比べるとぬるいのは、『世界リンチ~』の著者さえ認めて書いています。
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意外にも (スポンジ頭)
2009-10-28 20:41:10
意外なことに、秦が統一帝国になってからの法律上の刑罰は残虐性に乏しく、せいぜい腰斬の刑が一番の重刑です。どちらかと言うと労役刑の種類が多いのです。昔読んだ「古代中国の刑罰」と言う本がそのあたりを解説してました。
ttp://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%88%91%E7%BD%B0%E2%80%95%E9%AB%91%E9%AB%8F%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%86%A8%E8%B0%B7-%E8%87%B3/dp/4121012526
かの凌遅刑は10世紀辺りに法制化だそうです。時代が下って却って残忍になってます。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91

後、漢代の刑罰解説もありましたが、面白いのは心情を推し量った刑罰がある事で、心の中で犯罪を考えたら(と看做されたら)実行したものとして罰を受けるのです。だから政敵追い落としにも悪用されます。儒教から来たものだそうでが、恐ろしい量刑法ですね。

>>ロベール=フランソワ・ダミアン
凄まじい処刑ですよね。日本には戦国時代でも見当たりません。ダミアンの処刑は女性の見物人も多かったと言いますが、執行人の心理的、精神的負担は想像を超えます。ルイ15世ももう少し軽い刑罰にしてやればよかったのに。

現代の処刑法に銃殺がありますが、射撃手は相手から恨まれないよう、サングラスをかけて視線を合わせないそうです。相手の体に対する「手ごたえ」がなくても嫌悪感があるのですね。戦争とはまた違うのでしょう。
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Re:意外にも (mugi)
2009-10-28 23:30:04
>スポンジ頭さん

 紹介された「古代中国の刑罰-髑髏が語るもの」、面白そうな内容ですね。秦といえば過酷な法律のイメージがあり、劉邦が法は三つまでと改めたから刑罰も惨いのかと思っていました。漢代の刑罰で、心の中で犯罪を考えたと見なされただけで処罰対象というのは初めて知りました。儒教は仁も説いているはずですが、解釈次第で恐ろしい量刑もつくれる。凌遅刑に至っては20世紀になっても行なわれていたとか。

 ダミアンの処刑に貴族は夫人同伴で見物に来たそうです。当時は残酷な処刑が娯楽でもあったのでしょうね。フランス革命時も断頭台の周囲は黒山の人だかりだったので、残酷ショーは庶民も好んでいたということ。
 銃殺刑の射撃手はかつての死刑執行人より楽のはずですが、やはり精神的苦痛は想像を絶します。私は死刑論者ですが、執行を命じられたらやはりイヤです(汗)。
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