世界には様々な奇習があるが、イスラム圏では今でも広く割礼が行われている。ソマリア出身のトップモデル、ワリス・ディリーの自伝『砂漠の女ディリー』の中にも、彼女が5歳の時の割礼体験が記されている。
ディリーはソマリア生まれでも砂漠に住む遊牧民の出なのだ。食料はラクダの乳が中心の厳しい生活。そんな彼女が13歳の時、父がラクダ5頭と引き替えに老 人との結婚を決める。遊牧民社会で父親の命は絶対だ。しかし、老人との結婚に嫌悪感を懐いた彼女は従わず砂漠のただ中に逃亡する。途中ライオンに遭遇した り、街まで送ると車に乗せられた男に乱暴されそうになったりの危機も体験する。
何とか無事都市に住む親類の家に身を寄せ、この外交官の親戚一家 がロンドンに転勤すると共に彼女も英国に渡り、メイドとして働くようになる。これだけでも生活の激変振りはすごいが、彼女は不屈の精神で乗り越えていく。 そして写真家の目に留まりトップモデルとしての道を歩みだす。その華麗な転身は「革命的」とさえ言われたとか。
そんな彼女にも5歳 の時に受けた割礼の傷の苦しさがあった。割礼は性器の一部を切り取るものだが、女子の場合は男に比べ苦痛はその後ずっと続く。手術はジプシー女が行い、麻 酔はもちろん消毒もなく錆びた剃刀に唾をつけて性器を切るというやり方。切除後は排尿と月経のための2つの穴を残し縫合するが、その穴の大きさたるやマッ チ棒の直径程度に過ぎないのだ。手術と呼ぶのもお粗末な切除ゆえ、割礼を受けた女は破傷風や、尿毒症、敗血症が頻繁に起こるらしい。当然、排尿の困難、月 経痛のひどさもある。
数年くらい前のエジプトで、一応設備の整った病院で割礼手術を受けた14歳の少女が出血多量で死亡した例もあった。
割礼はムスリムだけでなくユダヤ教徒の男もやっている。ただ、女子もするのはイスラムくらいで、イスラム教徒の女性全てが行っているのではなく、アフリ カ、中東が中心らしい。奇妙な事にコーランは割礼を命じてないのだが、この奇習が宗教と結び付けられたようだ。ディリーも少女時代、部族の老人から「女の子は股のあいだに汚いものをつけている」と避けられたことがあった。
奇習といえば20世紀の初めまで続いていた中国の纏足もまた不可解だ。これは宗教的要素など全くないのに、奇形の歪んだ小さな足を美しいとしたのだから、病膏肓に入るというものだ。『ワイルド・スワン』を読むと、纏足もまた激痛を伴うものだったのが知れる。痛さで泣き叫ぶ娘に、母親もまた涙を流しながら娘の足に布を固く縛っていた。足の大きな娘は将来嫁にいけなくなる理由からだが、割礼をしない女は娼婦と見なされるイスラム圏と動機は同じだ。
自然のままの生足を愛でた日本人と、纏足を崇めた中国人。美意識でも全く異なる。
ディリーはソマリア生まれでも砂漠に住む遊牧民の出なのだ。食料はラクダの乳が中心の厳しい生活。そんな彼女が13歳の時、父がラクダ5頭と引き替えに老 人との結婚を決める。遊牧民社会で父親の命は絶対だ。しかし、老人との結婚に嫌悪感を懐いた彼女は従わず砂漠のただ中に逃亡する。途中ライオンに遭遇した り、街まで送ると車に乗せられた男に乱暴されそうになったりの危機も体験する。
何とか無事都市に住む親類の家に身を寄せ、この外交官の親戚一家 がロンドンに転勤すると共に彼女も英国に渡り、メイドとして働くようになる。これだけでも生活の激変振りはすごいが、彼女は不屈の精神で乗り越えていく。 そして写真家の目に留まりトップモデルとしての道を歩みだす。その華麗な転身は「革命的」とさえ言われたとか。
そんな彼女にも5歳 の時に受けた割礼の傷の苦しさがあった。割礼は性器の一部を切り取るものだが、女子の場合は男に比べ苦痛はその後ずっと続く。手術はジプシー女が行い、麻 酔はもちろん消毒もなく錆びた剃刀に唾をつけて性器を切るというやり方。切除後は排尿と月経のための2つの穴を残し縫合するが、その穴の大きさたるやマッ チ棒の直径程度に過ぎないのだ。手術と呼ぶのもお粗末な切除ゆえ、割礼を受けた女は破傷風や、尿毒症、敗血症が頻繁に起こるらしい。当然、排尿の困難、月 経痛のひどさもある。
数年くらい前のエジプトで、一応設備の整った病院で割礼手術を受けた14歳の少女が出血多量で死亡した例もあった。
割礼はムスリムだけでなくユダヤ教徒の男もやっている。ただ、女子もするのはイスラムくらいで、イスラム教徒の女性全てが行っているのではなく、アフリ カ、中東が中心らしい。奇妙な事にコーランは割礼を命じてないのだが、この奇習が宗教と結び付けられたようだ。ディリーも少女時代、部族の老人から「女の子は股のあいだに汚いものをつけている」と避けられたことがあった。
奇習といえば20世紀の初めまで続いていた中国の纏足もまた不可解だ。これは宗教的要素など全くないのに、奇形の歪んだ小さな足を美しいとしたのだから、病膏肓に入るというものだ。『ワイルド・スワン』を読むと、纏足もまた激痛を伴うものだったのが知れる。痛さで泣き叫ぶ娘に、母親もまた涙を流しながら娘の足に布を固く縛っていた。足の大きな娘は将来嫁にいけなくなる理由からだが、割礼をしない女は娼婦と見なされるイスラム圏と動機は同じだ。
自然のままの生足を愛でた日本人と、纏足を崇めた中国人。美意識でも全く異なる。
(アフリカではイスラム=女子割礼の風習を持つ、なのですか??)
『ワイルド・スワン』では、著者の祖母が纏足だったんですよね。祖母の妹は纏足されなかったということなので、時代の違いを実感しました。
纏足は、中国人のというより漢民族の風習で、満州族や客家にはあまり広まらなかったそうなので、西太后は天足だった…と記憶しています。記憶違いでなければ(汗)
辮髪は強制した満州族ですが、纏足という奇習の廃止は思いつかなかったんでしょうね。
だから太平天国のとき、男女平等の観点から纏足廃止を唱えたというのは思えばすごいことです。纏足廃止運動を推し進めたのは、ある英国人女性だったと本で読みましたが、長年の風習が「おかしい」と気付くには、やはり外からの目が必要ということなのでしょうか。
とすれば、女性に苦痛を強いる割礼が廃止されるためには、この奇習の実態がもっと諸外国に知られることが必要なのだと思います。「割礼」を知らない人も多いですからね。
ありまさんも『ワイルド・スワン』を読まれてましたか。満州族でも一部の貴族階級に纏足する女性がいたそうです。満州族王朝はしばしばそれを禁止する命を出してますが、それでも行う女もいたということでしょう。纏足が文化的と思い込んだのでしょうね。
『ワイルド・スワン』に関して、以前に記事を書いてます。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/5baa9123c602afffb4a1c022a475a5eb
太平天国で男女平等の観点から纏足廃止を唱えたのは、確かに評価する面はありますね。19世紀の中国のキリスト教徒についても以前書きました。ただ、辛口ですが。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/e4219589f99a3f571bb2fc425312e2eb
中国の纏足と違い、イスラムの割礼は廃止が困難だと思います。