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マリー・アントワネットと5人の男 その二

2022-11-24 21:40:10 | 読書/欧米史

その一の続き
 最年長だったブザンヴァルは革命後に投獄されるも、裁判では知己の尽力により無罪放免となる。命こそ助かったが、以降彼の健康は損なわれた。それでも生来の快活な性格は変わらず、友人らを招いてもてなしたりした。
 ブザンヴァルの死去は1791年6月2日。国王夫妻が逃亡した逃亡先のヴァレンヌで逮捕されたのは、その3週間後だった。王室の瓦解を見ることなく、この世を去ったのは幸いだった。

 マリー・アントワネットヴォードルイユに「魔法使い」というあだ名をつけたが、5人の取り巻きの中でも特殊な人物だった。元から彼自身の長所が気に入られて取り巻きになったのではなく、愛人が王妃から受けていた寵愛を巧みに利用して足場を築き、宮廷からもお気に入りと見なされるようになる。
 その愛人こそがポリニャック夫人。取り巻きの中でもヴォードルイユは飛び抜けて計算高く、欲得ずくだった。本書によればポリニャックが様々な特権を手に入れたのは、ヴォードルイユの差し金もあったようだ。尤もポリニャックも寵愛を傘に増長したのは確かだが。

 一人息子で女性に囲まれて育ち、ロクな躾けも受けなかったため、ヴォードルイユはわがままで気まぐれな性格となり、傲慢な貴族になっていく。彼と親しかったブザンヴァルは、その性質をこう述べていた。
「彼の怒りはすぐに熱くなりやすい血から来ているのではなく、過度の自己愛から来ているのであって、自分よりも優位なものを一切我慢できず、対等であることにさえも腹を立てる」

「魔法使い」は音楽、とりわけ演劇をはじめとする芸術全般に造詣が深く、先見の明がある芸術家のパトロンとしても知られていた。王妃はヴォードルイユの傲岸さには閉口しても、この方面での才能は買っていた。
 王弟アルトワ伯爵にとってもヴォードルイユはお気に入りだったし、ヴォードルイユはますます傍若無人に振舞うようになる。ついにはヴォードルイユを巡り、王妃とポリニャックの仲は気まずくなる。
 フランス革命後、ヴォードルイユも他国への亡命生活を余儀なくされるが、復古王政後は帰国し、ルイ18世は彼をルーブル宮長官に任命した。新国王の直臣となって76歳で死去した。

 エステルアジ伯爵は取り巻きの中でも温厚な紳士であり、王妃に誠意ある忠誠を捧げた。革命後は彼もまた亡命を強いられたが、王妃との連絡は取り合い、各国に支援を訴えるも空しく国王夫妻は処刑された。その後のエステルアジはロシア帝室に使え、ロシア皇帝から与えられた城で1805年に没する。

 本書に見るフェルセンの描写は、ベルばらファンを興ざめさせる内容かもしれない。著者はツヴァイクの理想化された騎士像には懐疑的で、フェルセン自身の野心もあったというのだ。またヴァレンヌ逃亡後、王妃がバルナ―ヴと接近していることに怒り、これを非難する手紙を送っている。
 それでもフェルセンがスウェーデン民衆に虐殺された時、1785年にアントワネットから贈られた金時計を肌身離さず身に付けていたというエピソードは本書で初めて知った。例え実像はベルばらとは違っていたにせよ、このエピソードには心打たれた。

 エピローグで著者は、「マリー・アントワネットはフランス史を象徴する王妃であり、人々の記憶の中に強く刻まれている」と述べる。歴代フランス王妃たちもアントワネットの前では精彩を欠き、フランス国王の寵姫として名を遺した女性らも、アントワネットと並ぶと影が薄いというのだ。

 やはりフランス革命で処刑されたことがあるはず。もしアントワネットの在位中に革命が起きなければ、或いは革命で処刑されず、国外追放で済んでいれば、今日まで話題になることもなかったと思う。著者がエピローグで述べた彼女の生き様が、当時から現代に至るまで共感を呼ぶのだろう。
彼女の人生は母となることにより転換期を迎えたが、歴史のうねりに次々と見舞われた。しかし激動が成長を促し、成長を遂げた彼女は、尊敬に値する魂の力強さをもって逆境に立ち向かったのである。

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