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トーキング・マイノリティ

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サーミの血 16/スウェーデン・デンマーク・ノルウェー合作

2018-07-29 21:16:57 | 映画

 コピーは「家族、故郷を捨ててでも少女が願ったのは自由に生きること」。タイトル通りサーミ人がヒロインの作品で、映画.comではこう解説している。

北欧の少数民族サーミ人の少女が、差別や困難に立ち向かいながら生きる姿を描いたドラマ。1930年代、スウェーデン北部の山間部に居住する少数民族サーミ族は、支配勢力のスウェーデン人によって劣等民族として差別を受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通うエレ・マリャは、成績も良く進学を望んだが、教師からは「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げられてしまう。
 ある時、スウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで、エレは都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。スウェーデン人から奇異の目で見られ、トナカイを飼育しテントで暮らす生活から抜け出したいと思っていたエレは、ニクラスを頼って街に出る。

 2009-03-31付の記事でサーミ人を取り上げたことがあり、北欧諸国で差別と迫害を受けた先住民族という認識はあった。しかし、具体的に彼らがスウェーデンでどのような扱いを受けていたのかは、今回の作品で初めて知った。1930年代ということもあるにせよ、人権先進国を自負するスウェーデンでも、ナチスとあまり変わらぬ隔離政策が取られていたのだ。
 映画では既に孫もいる老女となったエレ・マリャが登場、妹の死で故郷に戻るシーンから始まる。エレが少女時代を回想するかたちで物語が進行していく。

 映画に登場したサーミ人は、やはりスウェーデン人とは明らかに容貌が違っている。サーミ人も混血が進んでおり、色白で金髪碧眼の子供も結構いた。ただ、全般的にスウェーデン人に比べ短身だったし、顔の横幅が広いのだ。
 小顔で細面のスウェーデン人に対し、顔が大きいのは、元来がフィン・ウゴル語派民族なのでモンゴロイドの血が濃いのだろう。白人でもロシア系にはわりと顔の横幅が広い人もいるが、「ロシア人の皮をはぐと、タタール人が出てくる」という西欧の諺がある。



 サーミ人の子供は、スウェーデン政府が運営する寄宿学校に強制的に入れられるが、母国語の使用はもちろん伝統民謡ヨイクを歌うことも厳禁なのだ。迂闊にサーミ語を話した子供は手を鞭で打たれる。無断で町に行ったエレや同級生は、何本か重ねた小枝で背中を打つ体罰を受けている。当時体罰は問題視されなかったかもしれないが、スウェーデン人の子供に対してはどうだったのやら。
 映画で最も印象的だったのは、サーミ人の子供の頭の長さや幅が計られるシーン。鼻の長さや高さも同じく測定され、上の画像はそのシーン。さらに学術という名目で裸にして写真を撮るのは、思春期の少女には実に屈辱的である。スウェーデンもナチスと同じことをしていたことを、この作品で初めて知った日本人が多かったことだろう。
 
 寄宿学校にはエレに強い影響を与えたスウェーデン人の女教師がいて、時にコーヒーを勧めたり、詩集をプレゼントする優しさを示す。そのくせ体罰は平然と行い、「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げたのもこの教師だった。この映画を批評したブログにあった次の言葉は的を得ている。
「女教師の優しさはイヌネコに向けるものと同等」
「彼女に優しさはあっても、悪気はいっさいないのだろう」

 それでもエレはスウェーデン人として生きていく決意を固める。ニクラスと会った時もクリスティーナと名乗り、必至でスウェーデン人を騙る哀しさ。時代や教育環境もあるのか同胞を蔑視するようになったエレには、トナカイを放牧する先祖伝来の生活は耐え難い。父の遺産を元に街の高校に進み、妹が死ぬまで故郷には戻らなかった。
 教師をしていたと言うエレだが、その間どのような人生を歩んできたのか、映画では全く語られていない。スウェーデン人と結婚、子供を儲けてスウェーデン人に成りきったつもりだろうが、それで心から自由な生き方が得られたのだろうか?映画に登場するサーミ人は何時も仏頂面で、笑顔がほとんどなかったのは気になる。イヌイットなら笑顔を見せているのに。

 アマンダ・シェーネル監督への公式インタビューサイトによれば、1986年、スウェーデン人の母親とサーミ人の父親の元に生まれたそうだ。監督自身、「普段からしょっちゅう「どれだけサーミの血を引いているのか?」と質問されて、「それ関係あるの?」と聞くと「ある」と言われます」と答えており、スウェーデン人による血筋への拘りが伺えて興味深い。
存命している老齢の親類の中には、自分もサーミ人なのにサーミを嫌う者がいます」という話も考えさせられる。映画の主人公エレが正にサーミを嫌うサーミ人なのだ。スウェーデン人化の代償といえばそれまでだが、強大な支配民族に迎合、媚びるマイノリティは珍しくない。日本を嫌う日本人も少なくないのだから。

 
 
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スウェーデン幻想を抱く日本人
バルコニーの男―福祉国家スウェーデンの荒廃

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