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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ROME その②

2010-09-30 21:00:58 | 映画
その①の続き
 まだキリスト教も誕生しない時代、ローマの宗教や倫理観は現代とはかなり違っていたと制作スタッフは語っている。『ローマ人の物語』では古代ローマの宗教に殆ど触れられてなかったし、聖典もないので私にはよく分からない。ただ、『ローマ人の物語』の中で神権政治に当たるラテン語がなかったと書かれていたのは憶えている。
 制作者がキリスト教徒ということもあり、異教ローマの風習にはかなり批判的だった。禁欲や貞操といった観念がなく、性的モラルは殆ど無きに等しい、男は既婚者でも自由に浮気ができ、特に女奴隷にはいつでも自由に手を出していた、至るところ売春が蔓延り、東方から麻薬がもたらされ中毒者が続出していた、社会は退廃が進み、聖職者は権力と癒着迎合、宗教は形式的な儀式を重んじた等々…

 非クリスチャンの私は、上記のスタッフの意見に苦笑させられた。制作者が解説した古代ローマ社会はそのまま現代のニューヨークやロンドンと重なる。ローマがキリスト教を国教化して16世紀経ても、未だにローマ式退廃の風潮がキリスト教国で顕著という事実は、クリスチャンの倫理性の実態がいかなるものか物語っている。ただし、制作者でもさすがにローマ人が他の宗教に寛容だったことは認めていた。ローマにもユダヤ人コミュニティが存在しており、ローマ人は一神教のユダヤ教には違和感を覚えていたが、布教しないユダヤ教は迫害を受けなかった。

ROME」にもユダヤ人が登場、このドラマの真のヒロイン・アティア(カエサルの姪)の手下にティモンという名のユダヤ人もいる。アティアとティモンは愛人関係という設定。この時代のユダヤはローマ支配下に置かれていたが、まだ王国として存続していた。ティモンの兄が弟を頼り、ユダヤからローマにやってくる。兄は支配者ローマを憎悪し、ローマの傀儡でもある専制君主ヘロデ大王の暗殺を試みようとする教条的なユダヤ人だった。「たとえローマに住み、ローマの言葉を話しても、俺は決してローマ人ではない!」という兄も、生活の弁だけはローマと繋がりを断つ気はない。現代日本にも似たような気質の民族が住んでいるが、亡国以前からユダヤ人は地中海都市への移住者が多かったという。
 そして不可解なのは、制作者が紀元前のユダヤ人の人口を10億人と言っていたこと。ユダヤ人は移住先でも子沢山だったのはタキトゥスの記録にもあるが、いくら人口増に熱心でも10億は相当な誇張ではないか。ユダヤに偏った解説をするスタッフの意図は不明だが、欧米の映画や小説でユダヤ人が悪く描かれることはない。

 このドラマのレビューを検索したら、「海外ドラマ「ROME」に夢中」というブログ記事が面白かった。管理人は「登場する女性キャラクターがほぼ全員ビッチで、ビッチ同士の激しい争いを繰り広げる」のが「めちゃくちゃ楽しい」と書いており、実は私も同感だった。貞淑な女性キャラはプッロの妻エイレネくらいで、元気のよいアバズレに比べて実に影が薄い。エイレネもプッロに横恋慕した性悪女ガイアに毒殺される。
 特にアティアとカエサルの愛人セルウィリア(ブルトゥスの母)の女の戦いは見どころ。2人とも実在の人物だが、史書とはかなり違った設定にされている。タキトゥスによれば、アティアは「とても信心深く、思慮に富んだ女性」だったとか。カエサル暗殺後、息子オクタヴィアヌスが後継者に指名されると、あまりの重責に恐れ夫と共に息子に後継者となることを辞退するよう説得したと、wikiにも記載されている。だが、賢明で貞淑な女性キャラなど、今時の視聴者には不人気だろう。

 私も含め、レビューからクレオパトラの描き方に不満を感じる人が多かったようだ。ラリラリ娘と書いた人もいるが、エジプト女王の品格皆無の尻軽小娘にしか見えなかった。それまでエリザベス・テイラーモニカ・ベルッチが演じたクレオパトラを見ていたこともあり、余計酷さが際立つ。喋り方も舌足らずだったし衣装は悪趣味そのもの。クレオパトラ役のリンゼイ・マーシャル自身、マドンナでも着そうな仮装パーティー向きコスチュームと語っている。ドラマではカエサルとの間の息子カエサリオンの実の父親がプッロとなっており、クレオパトラは子種を偽っていたのだ。ローマ兵に簡単に体を許すエジプト女王には絶句させられた。

 新聞もない時代、宣伝のために盛んに落書きがなされ、これが最も効果的だったそうだ。落書きの専門職もいて、町内の塀に絵や文字を描いていたという。宣伝で一番多かったのは性産業であり、売春婦を紹介する落書きも珍しくなかったようだ。性倫理に厳格なキリスト教徒なら眉をひそめるだろうが、ポルノを世界的巨大産業に育て上げたのこそキリスト教国である。ならば性倫理では、多神教のローマ人も一神教徒欧米人も変わりないと言える。現に大胆な性描写のあるこのドラマから、今も昔も人間は情事に無関心でいられないのだ。

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