トーキング・マイノリティ

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夏の騎士

2022-06-30 21:00:08 | 読書/小説

『夏の騎士』(百田尚樹 著、新潮社)を読了した。何かと問題発言を繰り返し、保守からも“煽動的ウヨク”視される百田氏だが、さすがにストーリーテラーと謳われるに相応しい作品だった。図書館にあった本だがタイトルが気に入り、時期柄にピッタリと思い借りてきたが、思った以上に面白く、一気に読んでしまった。新潮社HPではこう紹介している。

人生で最も大切なもの。それは、勇気だ。ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、31年前の出来事のおかげかもしれない――。
 昭和最後の夏、ぼくは仲の良い友人2人と騎士団を結成する。待ち受けていたのは、謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。新たなる感動を呼び起こす百田版「スタンド・バイ・ミー」、遂に刊行。

 本書は次の文章で始まる。
勇気――それは人生を切り開く剣だ。ぼくが勇気を手にしたのは昭和の最後の夏だ。あれから三十一年の歳月が流れた。平成は過ぎ去り令和となり、十二歳の少年は四十三歳の中年男となった。今もどうにか人生の荒波を渡っていけているのは、ほんのわずかに持ち合わせた勇気のおかげかもしれない……

「勇気――それは人生を切り開く剣だ」の一文が印象的と思った読者も多いのではないか?確かに勇気というか、ある種の気概がなければ人生は切り開けないのは否めない。尤も主人公が勇気を手にしたのは、2人の友人に恵まれたことも大きい。
「ぼく」こと遠藤宏志には、木島陽介と高頭健太という親友がいて、3人とも勉強はまるでダメで運動もできない。「ぼくらは何の取り柄もない、クラスの落ちこぼれ」だったが、「それでもいつも三人というのは心強かった。もしバラバラでいたなら、格好のいじめの対象になっていただろう」。

 勉強はできない宏志だが大の本好きで、2人と騎士団を結成したのも円卓の騎士物語を読んでいたからだ。宏志の独白にこんな文章がある。
「陽介の言う通り、読書は僕の趣味のひとつだった。本の世界に入ると、現実の嫌なことは忘れられる。ただ、自分でも読書は現実逃避のひとつだと思っていたから、読書家と言われるのはあまり嬉しくなかった」(ハードカバー版45頁)
 この箇所に思わず頷いた本好きは少なくなかったのではないか?私も全く同じで、読書は好きでも自分自身を読書家と思ったことはない。ネットでは途轍もない読書家を見かけるし、しかも暇人どころか現役バリバリの働き世代なのだ。このような方々には頭が下がる。

 面白い小説には大抵どんでん返しがある。口が悪く、身なりも構わない壬生紀子はクラス中の嫌われ者だったが、小説の後半では印象が一変、「おとこおんな」どころか聡明で芯の強い少女という設定になっている。
 騎士団の少年たちを成長させたのは帰国子女のレディではなく、壬生だった。子どもたちに恐れられていた“妖怪ババア”も、実はいいお婆さんだった。一方いいおじさん風でも、実は少女2人を手にかけた男も登場する。

 つい宏志と著者を重ねてしまった読者もいたのではないか?小説の主人公は著者自身が投影されていることが多いものだし、そう思わせるのも作家の技量なのだ。本書には意味深い文章がいくつもあり、その一部を紹介したい。
人生は攻撃よりも守るほうがずっと困難で、しかも大切だということは、大人になって学んだことだ」(71頁)
筋肉に負担をかけることによって肉体が強くなるように、精神と脳も負担をかけることによって成長するのだ。逆に子供時代や十代にそうした負担をかけずに過ごした者は、社会に出て苦労するようになる。大人になってから、いやな仕事や退屈な仕事を続けることに根気をなくす人をよく見たが、全員とは言わないまでも、子供時代や十代のころにそうした負担を背負わずにきた人が多かったように思う」(137頁)

 エピローグの一文がまた良い。
人生はベストを尽くせばいい。その結果に関しては何ら恥じることはない。恥じなければいけないのは、ベストを尽くさず逃げることだ。そして自分に言い訳をすることだ」(240頁)
人はみな勇気の種を持っている。それを大きな木に育てるのは、その人自身だ。そして勇気こそ、人生で最も大切なもののひとつだ」(240頁)

◆関連記事:「バカの国
カエルの楽園
戦争と平和(百田尚樹 著)

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