雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

子供の頃の印象はそう簡単には忘れない。

2007年07月18日 | それでもナントカ生きてます(日記)
「三つ子の魂百までも」なんてぇことを申しますが。


私の家は両親が飲食店を経営していることもあって、
私は保育園通いをしていました。

そのこともあってか、物心ついたときから、
夕方に家に帰ってくるときちんと夕食が用意されている家だったのですね。
(まぁ、実際は今でもそうなのですけど)

だけど、夜遅くまで店をやっていることもあって、
必ずしも家族一緒に食べれる食事というのは結構少なくて。

その分「家で御飯を食べる」って言うことを、
凄く重要に考えていたのではないかと、今振り返ると思うわけです。


なもんで、逆に「外食をする」って言うことが、
多分普通の家よりもずっと少なかったはずで、私にとって「外食」はそれだけで
「貴重なイベント」だったりします。
それがたとえファストフードだったとしても。


私が小学生の頃はまだマクドナルドが全国展開し始めた段階で、
ファストフード自体も決してメジャーではなくて。
だから、家庭環境も加わって、「マクドナルド」って言う存在は、
当時の私にとっては「特別な場所」にもなっていました。

小学校3年生ぐらいから6年生ぐらいまで、高円寺駅の北口にあった、
水泳教室に毎週ずっと通ってました。

そのおかげで運動が苦手だった私も、かろうじて水泳だけは人並み以上に
泳げて、且つ、そのおかげで実は潜在的に運動に対する抵抗感はなかったの
かもしれませんが。
(中学の頃、演劇部でかなりのスパルタを経験しましたが、必死で何とか
耐えてこられたのも、実はこの辺りに遠因があるのではないかと。)


何より、水泳教室後の「マクドナルド」通いと、「ゲーセン」通いがなにより
楽しみだったことを今でも忘れられずにいます。

勿論当時は「ゲーセン」は小学生は学校で禁止されてましたが、
それでもこそこそ隠れて通っていて、「ムーンクレスタ」とか、
「ルパン三世」とか、当時のゲームをずっと見て(お金がないので、
基本的には他の人のプレイを眺めてました)、そのあとマックでセットを
食べるというのが幸せでした。

ちなみに私、昔は今よりずっと人見知りで、
例えばお店で探し物があっても、店員に尋ねることが出来ないということが
何度もありました。
(今でも店員にものを尋ねるのは得意ではありません。)

だけどマクドナルドでは結構平気で注文できてました。
気軽にハンバーガーを食べれるということが、こんなに嬉しいことなんだと。


そういう意味では、私達の世代はファストフードと人生が結びつきやすい、
最初の世代だったのかもしれません。
多分、ファストフードに抵抗が少ないのは我々以降の世代ではないかと。


さて、ソレを踏まえたうえで。


【本日飯の記録】
昼:マクドナルドで「ダブルチーズバーガーセット」。

だから時々食べたくなるのよー!

…って言うことが言いたかっただけ。

夜:ハンバーグ、野菜スープ、玉子豆腐。

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