雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」:完璧な「ばいばい」の言い方について。

2006年11月12日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
今日見ておかないと、予定的に当面見れなさそうな予感がして、
昨日実はシネコンに座席の予約をしてしまっていました。

まだちょっと昨日から引き続いて感覚がおかしい気もしましたが、
それでも頑張って豊島園へ出かけてみました。
ユナイテッドシネマとしまえんへ。

そう。
本当ならもっと早く見たかったんだけど、結局こんなに遅くなってしまって、
それが実は結構悔しかったりします。

「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」を、ようやく鑑賞。

実を言うと、見たいような、見たくなかったような、そんな感じでした。

でも勿論、見終わった後は「見れて良かった…」という
素直な感想しかありません。


人間が生きているということは、出会いと別れの連続です。
当たり前なんですけど。
でも、当たり前なのに、時々我々は忘れてしまったりします。
幸か不幸か。

だけど、出会うときははっきりしていても、
別れるときは意外とはっきりしていなかったりすることも多いと思いませんか?

バカやって大騒ぎするときは楽しいけど、
そんな時間はいつまでも続くわけがないというのはみんな知っていて、
知っているけど、そんなこと考えたくないから、
ダラダラとバカなことを続けて生きたいと思うんだけど。

そんな楽しい時は、終わるときは意外とあっさり終わるもので。
そして、はっきりとした終わりは意外と訪れないもので。

人生は出会いと別れの繰り返しだけど、
であった人、別れた人にも勿論同じように人生があって。
いつのまにかすれ違ったり、連絡取らなくなったり、
気まずくなったり、なんとなくめんどくさくなったり。

そんなことで、気がついたら別れていた、
あんなに楽しかったのに、結局全然別の生活を過ごしていたことに、
別れた後に気づいたり。

意外とそんなことって多い。
「ばいばい」をきちんと言えずに別れられるのは、
ひょっとしたら凄くよくあることなのかもしれない。


だから、これは完璧な「終わり」の物語。
多分、これ以上ない完璧な「ばいばい」の物語。


生きていくからには、色んなことを経験していく。
それは楽しいことだけじゃなくて、つらいことも、悲しいことも、
面倒なことも、悔しいことも同じぐらいある。

そういうのを全てひっくるめて、生きていくということなのだって言うのは、
みんなわかってること。

実はそのことが一番判っていたのは、ぶっさんだったのかもしれない。

だからこれは、「残されたメンバーが「ばいばい」を言う物語」であると同時に、
「ぶっさんが「ばいばい」を言う物語」だったんだ。

生きているなら、生きている限り、生きていることを頑張らないといけない。
楽しかった日々とか、バカ騒ぎしたあの一瞬とか、
そういうのを思い出に、そして、また別の出会いから始まる、
また新しい楽しい日々とか、また違ったバカ騒ぎが出来る瞬間を目指して。

前に進むために必要な「ばいばい」って言うのは、
実は凄くつらいことなんだけど、
こいつらだからこんなにあっさりと、そしてこんなにきっちりと、
いえるんだなぁと。

そんなことをふと考えて、実にクドカンらしい物語の終わらせ方だと思いました。

この感覚は「芝居」に関わったことのある連中なら、
大抵身に覚えがあることでしょう。
1つの公演が終わるたびに、その公演が素晴らしいものであったらなおさら、
別れを感じずにはいられないのです。
打ち上げの日のあの全てが終わった後のバカ騒ぎの、
なんと素晴らしく楽しく心地いいことか。

そして、この感覚をこの連中と楽しめるのは、この瞬間だけで、
明日からはまたみんな別の生活に戻ってしまって、
例えば再演をしたとしても、この面子が集まるとは限らなくて、
むしろ集まれないことの方が遥かに多くて、
だから、この瞬間はこの瞬間しか楽しめないんです。

だから、この瞬間をめいいっぱい騒いで、明日からまた、
それぞれの生活を送るのです。
次の別の「バカ騒ぎできる瞬間」を作ることを夢見て。

それは実に演劇的な瞬間でして、
私はその瞬間と、「祭の後」の切なさがたまらなくいとおしかったのです。

だからこそ、「ばいばい」をきちんと言いたくて、
1年半前にきちんとQNを抜けようとおもったんだよな。
自分の次のステップを踏むために。

そんなことを、この映画のクライマックスの場面でふと思い出してました。
そういう意味でも、実にクドカンらしい「演劇的な映画」だったのかも
しれません。
そして、だからこそこの映画できっちり「完結」をしなければならなかったし、
きっちり「完結」出来たのではないかと、私は思ってます。

DVD化されたら、間違いなく買うでしょうね。
そして、「ばいばい」の思い出とともに、
私も頑張って足を前に出していこうと思い続けるのでしょうね。
時々見返しながら。

生きていくって言うのは大変なことなんだけど、
だからキチンと「ばいばい」がいえるように生きていき続けなくては、
いけないんですよ、きっと。

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ジグソウと一緒に「ニャー!!!」

2006年09月12日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
「ファイナル・デッドコースター」が予想外にあんまりな出来だったので、
秋の映画に関して何だか残念な気持ちになってしまってる雅藍さんです。

ですが。

昨日劇場でようやくチラシを見かけ、
そして公式サイトもようやく公開され、
いよいよ盛り上がってまいりました。

そう、私の中のこの秋の最後の希望。
「SAW3」


…でもね。
弱いのよ、まだまだ。


此方がアメリカ版サイト。


コレですよ。
コレこそ「SAW」なんですよ。
こっちの方が盛り上がるってもんですよ。

まー、日本じゃNGなのは良く判りますがね。


さて、実はもう一本、半分忘れかけてて最近慌てて思い出した作品が。

「木更津キャッツアイ」

もうすぐ公開…って言っても、1ヶ月以上あるんだけどね。
ちょうど「SAW3」と同時期なので、
10月下旬は俄然楽しみなわけです。


…但し、観に行けるじょうきょうにあるのかどうか、
正直1ヶ月先の自分が最近また見えなくなってきてはいるのですが…。


がんばってこの2本だけでも観に行こう。
そう心に誓う、実はネタがなくて何書こうか結構悩んだ秋の雨の夜。

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「ファイナル・デッドコースター」:実はすごい高尚なテーマが隠されて…ないよな、やっぱ。

2006年09月11日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
なぜか今月は予定が崩れていく。
今日も友人達と焼肉を食べるのかなぁ…とおもいきや、
昨日の夜その予定が消えた。

理由的にはしょうがないことなので別に不満とかはないのだけど、
予定が消えるとなんとなくぽっかりと穴が開いた気分で、
何か別のことを無理矢理入れたくなる。

そんな時一番手っ取り早いのは、やはり映画。
タイミング的にも「例の映画」が公開したばかりでちょうどいい。


というわけで、実は予定外で突発的だったのだけど、
本日見てきちゃいました。


「ファイナル・デッドコースター」


前から散々公言してるように、
「ファイナル・デスティネーション」シリーズがすきなんですね、私。
第1作「ファイナル・デスティネーション」は今でも傑作だと思ってます。
DVDこそなぜか持ってないんですけど、TVの深夜とかにやってるのを見ると、
毎回見入ってしまうんですよ。

第2作「デッドコースター」は正直第1作は超えられなかったんですけど、
それなりに見所はありました。

で、それを踏まえたうえで、第3作、そして最終作であります、
「ファイナル・デッドコースター」。
第1作と第2作をあわせた邦題になったのは、
そしてその邦題に相応しく最初の惨事が「ジェットコースター」になったのは、
たぶん偶然のはずです。

でもその邦題の如く、シリーズの総決算的なものになるのかなぁと期待して、
公開前から楽しみだったんですが。

※以下、ネタバレ微妙にあり注意※



がー。


がー…。






がーーー…………。







あー。
やっちまったー。



うん、確実に第1作・第2作の「いいとこ取り」目指して、
見事に「中途半端」になってしまっております。

個人的に、
第1作は「焦らしの美学」で、第2作は「ずらしの美学」だったと思います。

第1作は「細かい現象の積み重ねが、結果とんでもない死に方を引き起こす」
っていうこのシリーズの根幹となる「死に方の美学」を確立したわけです。

逆に第2作は「コレで死ぬのか?」っていう部分で死なず、
安心したとたんに死が訪れるっていう、ある意味ホラー映画の定番だったり
するんですが、それはそれで見ごたえがありました。


で、第3作。

見事にどっちつかず。

むしろどっちかに振り切ってくれれば良かったのに。
「死んじゃう」シーンだけでなくて、
2みたいにえぐい「死んじゃった」シーンもちゃんと見せるとか。

どうやら悪い方向に行ってしまいましたなぁ。
楽しみにしてたぶん、反動で至極残念な感想。

…あ、コレじゃ一昨日の「魔界転生」と真逆じゃん…。


ひとつだけ気になった点があって、
よくよく考えたら、今回「死神に狙われて死んだ」奴らって、
最後の最後を除けば、全員「因果応報」じゃないかと。
店内に飲み物持ち込まなければ起きなかっただろうし、
回りを確認してればすぐに逃げ出せただろうし、
余計な一作業しなければつぶされなかっただろうに、
道具をきちんとしまえば回避できたのにねぇ。


…あ。
ひょっとしてコレが「ファイナル・デッドコースター」の真のテーマ?


んなこたないか。


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「サイレントヒル」:今までの中で最高の「ゲーム映画」

2006年07月09日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
「サイレントヒル」というゲームはどうやら日本よりも海外の方で
人気があるようです。
日本だと「バイオハザード」シリーズとか、「零」シリーズとか、
あるいは最近だと「SIREN」シリーズの方が人気があると思われます。
(かなり主観入ってはおりますが)
ゾンビとか怨霊とか、ある程度わかり易い恐怖対象のほうが
受けやすいんじゃないかと。

「サイレントヒル」というのはどちらかというと間接的・概念的恐怖というか、
生理的嫌悪感をメインにおいて、そのストーリーも抽象的で哲学的な面があり、
判りやすく「ゾンビから逃げ回り、反撃する」って言うわけでもなく、
「得体の知れない異形の怪物が徘徊する世界を探索する」って言うのが
メインなぶん、プレイヤーを選ぶのではないかと思います。
(実は「SIREN」も似たようなところがありますが、
あちらは「屍人」という実にわかり易い敵がいるのが大きいのでしょう)

でもビジュアルの独特な作りこみは「サイレントヒル」が随一で、
例えばクリーチャーの「ぬめっとした」感じなんかはホントに鳥肌立つほど
気持ち悪かったりしますので、そういう意味ではやはり、日本人というより、
海外向けなのかなぁと、思ったりするわけです。

私?
勿論好きですよ。
最新作「サイレントヒル4 THE ROOM」も一気にクリアしましたし。

さて、そんなことを考えてみて。

昨日から公開された映画版「SIRENT HILL」
やっぱりホラー好きとしては気になるじゃないですか!

というわけで、他にやるべきことがあったはずなのに、
なぜかあっさりユナイテッドシネマとしまえんのチケットを予約してしまって。

本日、観に行ってしまいました。


で、ぶっちゃけ結論。



非常に「うまい」ホラー映画でございました。
そして非常に「丁寧な」ゲーム映画でございました。
かなり気に入りました。


TVゲームの映画化というのは小説の映画化と違って、
基本的に「映像」から「映像」への変換という難題が絡んできます。

小説は「文字」から「映像」への変換ですから、
割と「映像」に自由度が効くわけですが(その分難しくもありますが)、
ゲームの場合、元が「映像」としての影響がでかいわけですから、
その「本質」をどこまで「映画」というメディアに押し込むかというのは、
実はかなり難しい問題なわけです。

で、往々にして失敗することが多かったりします。
あるいは「ゲーム」という認識を(結果として)破棄してしまうのも、
方法論として確立された感じもあります。

例えば「バイオハザード」。
映画としてみればアクションホラーとして非常に面白いのですけど、
一方で「あれ、どこに原作ゲームの要素はいってるの?」と振り返ると、
うーんと首をかしげるしかありません。
「2」なんか完全「ミラ・ジョヴォビッチを堪能する映画」として面白いし。
ゲームに登場したキャラとかも出てたけど、サブキャラ扱いだし。

そういえば、劇場版「サイレン」はやはりゲームやってた人たちには
大不評だったみたいで。私は、アレはアレでありだと思ってましたけどね。

そういう意味ではちょっと不安でもあった「サイレントヒル」ですが、
ストーリーも、ビジュアルも、そしてその本質もきっちり「ゲーム」から
逸脱することなく、しかも映画としても十二分に面白いという、
実に稀有な傑作となっており、正直吃驚しましたわ。

あの生理的嫌悪感も満載だし、一方で難解な物語設定、
だけど実は非常に明確で、それゆえ感動すら覚える本質。

特にサイレントヒルの4つの世界を的確に表現し、
クリーチャーの動きや造形に徹底的にこだわった点はお見事の一言。
マジ「気持ち悪い」のですよ。動きもそうだし。

ショッキングなシーンが少なく、じわじわと責めてくる恐怖感。
コレこそが「サイレントヒル」の真骨頂。

そして、音楽と効果音の使い方がホントに素晴らしい。
ゲームでもおなじみの「ラジオのノイズ」という嫌悪感バリバリの効果音を
要所要所で実に的確に使い上げ、
その間に凄く綺麗で、凄く物悲しい旋律が配置され、
メリハリがはっきりしてます。

あと、全体的に何だかエロティック、なのです。
勿論ヒロインである母親と、サブヒロインである婦警自身というのもあるし、
何というか、さっき「気持ち悪い」と言ったクリーチャーも、
一方で何だか官能的にも見えてくるのです。

このあたりのビジュアルの巧みさは、
さすがカルトな名作「ジェヴォーダンの獣」の監督の面目躍如、
というべきかと。


そして何より、キーパーソンとなるシャロンを演じた、
子役のジョデル・フェルランドちゃんが凄すぎます。
可愛い役と、怖い役とを巧みに使い分けるこの演技力は、
一体何者なのよ!と思ったら、TVシリーズ「キングダム・ホスピタル」で
既にホラー経験済みなのね。あとで知って納得。

そしてこの子、現在公開中の「ローズ・イン・タイドランド」の
主演も演じてるのね。なんて子だよ…。
コレも観に行かないと気が済まなくなって来たよ。


ストーリーも、実に「サイレントヒル」らしいつくりです。
基本2重構造で、「現実の世界」と「霧の世界」がうまく組み合わさり、
時にリンクしたりして、そして少しずつ確信に迫っていくという構図で、
説明も結構宗教的観念が入った抽象的なものだけど、
クライマックスになるとその本質は実にはっきりとして、
最後は非常にうまい落とし所にたどり着いた、というべきで。
余韻に浸らせていただきました。

私は特に主人公のポジショニングと精神的変化の構成に感心しました。
最初はよくある「逃げ回る主人公」。
そして「勝手に巻き込まれ型」タイプで、私、ちょっと嫌だったんですよ。
自分が勝手にその街に入っていったのに、「何で私が…」っていう雰囲気を
する主人公って嫌いなので。

だけど、途中でヒロインが反省するんですよね。
「私が悪かったわ」って。
それでほぉって思って。そういうシーンて今まであんまりみなかったような
気がするから。

そしてドンドン強くなっていく。それはまさに「母の強さ」であって。
映画化に際して主人公を女性にチェンジしたのが、
今回は非常にうまく働いたようです。

正直、確かにえぐい描写もございます。
特に後半はかなり連発しますけど、だけどそれを差し引いても、
映画として非常に良い出来で、お勧めです。

人を選ぶかもしれませんが、多少でも興味を示したら、
ぜひ、頑張ってみてみることをお勧め。



そして私は、明日「サイレントヒル1」を探しに走ろうかと思います。


…あ、実を言うと私のやったのって「2」と「4」だけなんですよ。
で、今回の映画は「1」をベースにしているということなので、
これはやらんとまずいよなぁ、と思いまして。


っていうか、そろそろまた「ホラーゲーム」の蟲が疼きだしてきた気がします。
「SIREN2」の完全クリアに突入しようかしらん…。

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「オーメン」:いやもう完璧な「イベント映画」でした。

2006年06月06日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
やっぱり、今日見ないと意味がないと思ったんです。

1000年に1日しかないんですから。
(60年後の2066年6月6日という選択肢もないわけじゃないけど、
それは意味ないし、そもそも私そのとき90歳オーバーですし)

ホントは六本木ヒルズで見たかったんですけど、
イベントと絡めて上映したようなので、早々に売切れてしまったらしい。

だけど、それ以外の場所なら流石にそんなに混まないだろう…と思ったんだけど、
どうやら同じようなことを考えている「同志」は沢山いた様で。

有楽町スバル座はほぼ満員でございました。


私はイベント大好き人間ですもの。
「人生はイベントだ」が最近の座右の銘。
楽しめそうなことなら勢いで何でもやってしまう体質。
当日券1800円買って、飛び込んできましたよ。

…勿論、かなりの博打だとは覚悟しながら。


というわけで、
200日。

666」記念。


「オーメン」
見てまいりました。


で、まぁ、さっさと感想。


やっぱり、今日見るからこそ
価値がある。
っていうか、今日見ないと意味が
あんまりないかも。



出来は悪くないと思います。
思うんだけど…。
丁寧に出来てる分、そしてあまりにも「オリジナル版オーメン」を
リスペクトされすぎてる分、超えられるわけないんだよなぁ。

だって、展開もショッキングシーンもあそこまで追随する必要は
なかったと思うのですよ。
逆に「展開がわかりすぎ」て、ショックも何もないんですもの。

そして、オリジナルの公開当時はそのショッキングシーンの出来のよさが、
後に「芸術的」とさえ言われたほどでしたけど、
この「CGを使えば出来ないことはない」世界において、
当時とほぼ同じもの見せられても、そこに衝撃はほとんどないんだよねぇ。

しかもしかも、「オーメン」はショッキングシーンに至る過程を
きちんと描いているんですけど、その展開に関しては
「ファイナル・デスティネーション」という傑作が既に存在してるので、
そっちと比較してもあっさりとしていて面白みがない。

作りは丁寧な分、むしろ「オリジナル・オーメン」という作品の
偉大さを再認識させられてしまったような気がして、
何だかもったいないなぁ、と。

いい意味で気になったシーンがあったんですよ。
主人公の奥さん(つまりダミアンの母親)が時々見る悪夢のシーンが、
不気味でいい味出してて、そこに驚かす仕掛けを用意していて、
そのところでは素直に驚けたんですけど。
そのシチュエーションをもっと生かしてくれた方が、
全然面白くなったと思う。

というわけで、今日見たからとりあえず1800円払っても納得するけど、
今日見なかったら、前売り券を安く買わないともったいないかと思う。

但し、オリジナルオーメンを知らない方でしたら、
見るのは全然OKだと思います。
ストーリー構成がオリジナルを忠実に守ってますから、
「アップ・トゥ・デイトされた名作」というスタンスで、
初見の人は楽しめると思う。


…あー。
むしろ逆にオリジナル版「オーメン」が見たくなってきたわぁ。

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「プロデューサーズ」&「RENT」:200万ドルの友情と、525,600分の愛。

2006年05月01日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
GW前半戦最終日。

最近一番親しい人と一緒に、
渋谷でミュージカル映画のハシゴを敢行。
どちらも話題作で、
しかも前日まで気がつかなかったのだけど今日は映画の日。
かなり混んでたのだけど、両方とも非常に出来のいい作品で、
確かに疲れたけど、結構満足だった一日。

実はミュージカル映画を見るのはもう10年以上ぶりで、
でも昔は「コーラスライン」とか「ビギナーズ」とか凄く好きだった。
系統はちょっと違うけど、「ニュー・ジャック・シティ」とか、
音楽の要素が強い映画はすごい好きなのだ。


お昼に合流して、コンビニでおにぎりとかを買って、
まずは「プロデューサーズ」へ。

こちらはいい意味でベッタベタなブロードウェイ王道ミュージカル。
元々「史上最低のミュージカルを作るぞっ!」っていうのがテーマとして
あるのだから、「ミュージカル」を茶化す(勿論いい意味でね)って言うネタを
使う以上「王道」になるのは容易にわかるのだけど、
それゆえミュージカル好きにはたまらない構成だし、
逆にミュージカル初心者でもわかり易い作りになっている。

何より完全に「プロデューサー業」をストーリーのメインにすえているので、
実は単純明快に展開していくのに感心した。
要するに「脚本→演出家&スタッフ→役者(女優&主演男優)→出資者」の
順に集めていく展開の後はすぐに公演直前に飛ぶ。
テンポが非常にいいのである。

…ま、誰も「稽古中に起こりうるごたごた」とか、
「宣伝や制作の実態」なんて重いもの(経験者だからよぉくわかる)は
見たかないわな。

クライマックスも容易に予想できるんだけど、
この映画では逆にその方が安心するっていう好例。
全てが「予定調和」の元に成り立ってるのだけど、それが最後まで心地いい。
エンディング、幕が下がるところまでニコニコしながら見ることが出来た。

そして、「ミュージカル映画」の最大の懸念である、
「ミュージカル」と「映画」の乖離の問題も全然なかった。
「映画」としても実にうまいつくりになっていて感心したんだけど、
最後のスタッフロールを見て、さもありなんと納得。

この映画、あのメル・ブルックスが製作・脚本を担当してたのね。
というかメル・ブルックスがそもそも「プロデューサーズ」自体の
生みの親だったのね。

(注)メル・ブルックス:
         アメリカが生んだ偉大なるコメディ作家&コメディアン。

この人のパロディ映画は下品だけどセンスが良くて、私は大好き。
スターウォーズをパロった「スペースボール」は20年近くも前に、
立ち見して劇場に見に行って大笑いした記憶が今も鮮明に残ってる。

だから、実はナチス信奉者が出てきたりと「非常に危険なはずのネタ」も
かなり入ってるんだけど、ぎりぎり下品にならずにわはわはと笑わせて
昇華できるというのは、さすがメル・ブルックスの面目躍如。

いい形で「映画」と「ミュージカル」が融合した、
「ミュージカル映画」としてお勧めの逸品だと思う。
もっとも、それゆえコレだけで満足なので、
改めてミュージカル版を見たいかといえば、そうでもなかったりするのだけど。

それと忘れちゃいけないユマ・サーマン。
最近タランティーノのところでの印象しかなかったんで、
この「ベッタベタなセクシー美女」役は非常に新鮮。
振り幅の広さにタメイキが出ます。とても刀振り回しそうには見えないわ。


最初に濃厚な2時間15分を堪能したあと、
場所を文化村に移して次に見たのは「RENT」

こちらもブロードウェイの超有名ミュージカルの映画化。
何でも文化村ル・シネマの前売り新記録を更新したとか言う話で、
今日も映画の日と言うこともあって、一応平日なのにお昼の段階で
その日一日の整理券が全て捌けてしまうという有様。
私は事前に立寄って早めに整理券をもらってたので、
割といい席で見ることが出来た。
しばらくの間は混雑するだろうなぁと言う人気。

こちらはある意味「プロデューサー」とは真逆のテーマ。
そこに華やかなサクセスストーリーも逆転のドラマもなく、
あるのは「現実に振り回される等身大の若者達群像」のありのままの姿。

実は私、「RENT」の名前は知ってたけど、
内容とかは全然知らなかった。
「数年前に確かTMネットワークの宇都宮さんが出てた奴だよなぁ…」位の
知識しか知らなかったのだ・

なので、ちょっと意外だと思ったのは、
物語の中に「アメリカ(もしくは社会制度)の批判」のような描写が、
一切なかったということだ。
人種差別とか、同性愛者への偏見とか、そういう表現が一切ない。
色んな肌の人の色んな愛の形がストレートに描かれて、
それに関する障害が一切ない。

…いや、あったな。最大の障害が2つ。
それは「AIDS(HIV)」と「家賃(RENT)すら払えない貧困」。

それでもメインの8人立ちはそれぞれの夢や情熱、思いや悩みを抱えながら、
1年間を駆け抜ける。
喜びや悲しみを共有したり、怒りや苦悩を分かち合い、すれ違い、
それでも繋がろうとする。
人の営みと言うものがありありと表現されている。
ロックのリズムと、迫力があって、且つ切ない歌に満ちて。

表現方法としても「プロデューサーズ」とは対極に位置しているよう。
あくまでも「映画」と言う表現方法を用いてはいるけど、
こちらはより「ミュージカル寄り」のポジションで撮影されている感覚。

だから、「RENT」に関してはオリジナルのミュージカルを見てみたい
衝動に駆られる。
タイミングよく?11月には来日公演があるとのことなので、
何とかチケットを取って見に行こう!と、同伴者と誓うのであった。


ロック要素が強い分、新感線好きな私としては余計感情を移入しやすくて、
好みとしてはこちらの「RENT」の方が強い。
そして、現実感が強い分、共感できて、心に染み込むような感覚も感じた。
(最後の「予定調和的な感動」は蛇足のような気もしなくもなかったけど)

1年はたった525,600分しかなく、
人生は42,048,000分しかない。
もっと短いかもしれない。長いのかもしれない。

だから、どうやって生きていくのか、
何を数えながら、何を求めながら、
あるいは何を捨てながら生きていくのか。

どんな人生になろうと、どんな選択をしようと、
最後の1分で、生きていて良かったと思えるように、
大好きな人と、大好きな人たちと、
「いつかではない今日」を精一杯生きる。


…それが一番難しいんだけどね。

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「マンダレイ」:「傲慢」と「おせっかい」の悲劇性について。

2006年04月10日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
シェーキーズのピッツァは相変わらず素晴らしい。

凄く久しぶりに、ランチにピッツァとポテトを思うがままに食べた。
食べたかったトッピングが出てこなかったのは残念だったか、
まぁ、満足。
つくづく銀座に復活してくれないかと嘆願書を作りたくなる。


子供の頃の私にとって、シェーキーズのアツアツのピッツァと、
そこで流れていたカントリーミュージックこそがアメリカの象徴であった。
そこは英語と陽気と自由に満ち溢れていた場所であった。

アメリカがそんなステキな国なんかじゃなないと認識するようになったのは、
「JFK」を観たころからだろうか?
「ボウリング・フォー・コロンバイン」もそうだ。

もはや、アメリカ以外の国々の方が、
アメリカは「自由の国」なんかじゃないことを知っている。
まやかしの「自由」に民衆を酔わせた、
「最強」を妄想してる国だと言うことを。


「マンダレイ」
2年前に衝撃を与えた問題作「ドックヴィル」の続編、
そしてラーズ・フォン・トリアー監督の「アメリカ」3部作の2作目。


「正しい街」だったはずのドッグヴィルを「捨て」て、
グレースがたどり着いたのは「マンダレイ」と言う名の小さな村。
そこは奴隷解放から70年も経過してるのに、
未だに奴隷制度に支配された共同体だったのだ。
グレースは非人間的な現状を打ち破るために、この共同体に介入していく。
自らの正義感と楽観さを武器に。

「ドッグヴィル」が非常に多面的で難解な作品であった反動からか、
それとも世界が2年の間にシフトしたからか、
「マンダレイ」は一転、明確で判りやすい物語となっていった。
しかしその中で流れているテーマは、簡単なようで、実は複雑。
それはまさに現代の世界と「アメリカの介入」の縮図。

前作ではある意味「ドッグヴィル」の被害者だったグレースが、
今度は一転、「マンダレイ」を追い詰める加害者になっていく。
それはまさに「あの大統領」そのもの。

この世界で生きていくにつれて、世界は私の想像以上に複雑な構図で
構成されていることをみんな学んでいく。
だからこそ、みんな自分の「いるべきポジション」を探そうとする。
「適材適所」と言う言葉を取り上げるまでもなく。

一人として同じ人間がいない以上、
ともに生きる人の数が増えれば増えるほど、
そしてともに生きる人の歴史が積み重なるほど、
共同体の質は複雑化する。
それは一朝一夕で掌握できるはずなどないほど。

だけど、グレースはそのことに気づかなかった。
いや、見なかったのだ。
自分の信念が人々を変えられるなんて言う、
ばかげた楽観論に支配されていたから。

方法論は間違っていない。
だけど、結局は偏見と差別に支配されてしまうのだ、人間は。

「マンダレイ」は淡々と、
だけど現実を皮肉交じりに見せ付ける。
「世界はそう簡単に変わらないし、人はそう簡単に心を曲げない」
ってことを。
それは悲劇でも慟哭でもなくて、
人が生きていくために築き上げた、まごう事なき「本能」なのだ。

それを一義的な「自由」と「正義」なんて妄想で簡単に変えようとすると、
たどり着くのは悲劇しかない。
実に簡単。

だからこそ、難しい。

そしてこの問題は、翻って我々「アメリカの下僕」となりつつある
「日本と言う国家」にも突きつけられている。
「無思慮なおせっかい」が生み出す感情の齟齬は、
確実にゆがみを生じさせている気がしてならない。


被害者と加害者の痛みを両方とも味わったグレースは、
最後にたどり着く(であろう)場所、「WASINGTON」にて何を見て、
何をするのだろう。
「ヤング・アメリカン」はそこで何かの答えを見出すことが出来るのか、
今から次の3部作完結編が待ち遠しい限り。


それにしても、何もこんな重い作品ばかり3連荘で見なくてもいいのに。
しかも「マンダレイ」は昨日の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」以上に
生々しいSEX描写があって、衝撃強すぎ。
っつーか、見えてたよな、あれ。


流石にしばらくは重いのは見たくないわぁ。

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「エミリーローズ」:物語よりも女優の顔の方がホラーだったと言うオチ。

2006年04月08日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
薬が切れたので、朝一で皮膚科に行ってきて、
マックで朝飯食べて、新宿でお目当てのもの買ったら、
今日の予定は11時前に終了。

はて、せっかくなので何をしようかと思ったら、
目の前にプレイガイドが。

そだ、映画見よう!

で、今上映中のリスト見たら見たい映画が盛りだくさん。
「Zガンダム3」ももう一度見たい。
「マンダレイ」は必ず見に行く!(とすぐにチケット購入)
「プロデューサーズ」はちょっと別の形で見に行くかも。
「ナイトウォッチ」
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」
「寝ずの番」
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」も面白そう。
「クラッシュ」と「シリアナ」…は終わっちゃったか。
「リバティーン」はどうしよっかなー。
「サウンド・オブ・サンダー」に「ナルニア」も見たいっちゃあ見たい。

うわぁ。結構あるじゃん。

…で、結局選んだ映画。

「エミリー・ローズ」


何でよりによって…。

前々から見ようとは思ってたんだけどね。
そろそろほんとに終わっちゃいそうだったのと、
ちょうど今から見るとして時間のタイミングが一番よくって、

結局朝からホラーっすよ。


そんなこんなでいまさらようやっと観てみた。

…あぁ、なんだよ、ホラーじゃないじゃん。
ホラーっぽい表現は確かにあったけどさ。
コレ、宣伝方法が悪すぎだよ。

映画の宣伝方法って、時々吐き気がするほどひどいのがあるよな。
「悪魔のイナバウアー」とかくっだらねぇ宣伝方法使うなよ、って、
マジで嫌悪感感じることがある。
「エミリーローズ」も、宣伝で絶対損してる。

基本的には「悪魔祓いという宗教的・精神的な儀式の意義と正当性」という、
非常に難解な問題を実話に基づききちんと描いた秀作でした。
なので、普通に面白かったです。
特に後半の「悪魔祓い」の真相と、裁判の展開と結末が面白い。
このまとめ方はなるほど、と感じましたね。

スピリチュアルなものの是非は確かに凄く難しい問題。
特に宗教観が絡んでくると余計に厄介になる。
「信じる・信じない」によって解釈が180度変わってくるから。
そのどこに真相があるのかを探すのは、凄く難しい。
だからこその、この結論なんだなぁと、割と素直に納得。

でも…一番気になったのは、
悪魔に憑かれた「エミリー・ローズ」役の女の子なんだけど…。

悪いけどこの子、
悪魔に憑かれる前の、
一番最初の登場シーンから
既に顔が怖いんですけど…。


そういう意味ではナイスな配役なのかもしれんのだが。

だってさー、美人でも可愛くもないから、
悪魔に憑かれた時の表情が余計尋常じゃなく怖いのよー。
怯える姿自体も怖いしさー。
CGとか使ってるんだと思うんだけどね、
なんか「この子ならこんなことも普通に出来んじゃねーの?」って、
つい思ってしまうのです。

だから「かわいそう」って言うのよりも、
「怖すぎるから早く直してあげてー!」ってなってしまうのよね。
それは女優としてどうなんだろう?

今後の彼女が女優として大成することを祈ります。
いやまじで。

予想外のところで見所満載で、意外と堪能してしまった。
ちなみに映画館が終始肌寒かったのは、
別に映画にあわせてるわけじゃないよね?


さて。
今週末は映画に集中しようと思うので、
あと最低1本は見に行きます。
で、うまく行けば明日も見に行こうかなぁと。

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いまさら「有頂天ホテル」:コレが見たかったのよ三谷監督!!

2006年03月25日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
昨日のた打ち回ったので、今日は正直いけるのかどうか不安ではあったけど、
朝起きた段階で何とか持ち直したので、
一念発起、最近お気に入りになった「ユナイテッドシネマとしまえん」にて、
「The有頂天ホテル」を観てしまう。

見に行くまで、長かったなぁ…。

もっと早くに見に行きたかったんだけど、混雑とタイミングの悪さのため、
上映終了ぎりぎりになってしまった。

でも、ぎりぎりでも見れて良かったし、見に行って満足でした。
実は2時間半ぐらいあったのですが、全然長さ感じなかったし。


正直、今までの三谷さん作品は一応一通り見てる…はず…なんだけど、
今までって、なんだか「三谷さんの力がまだ完全に出てないかなぁ…」って、
気がしてたんですね。
「ラヂオの時間」とかはそれなりに好きでしたけど。

でもね、今回は違った!
もうね、見終わった後、
「これだよ三谷さん!!
私はこの三谷作品が見たかったのよ!!」

と叫びたくなりましたね。

流石に映画館では叫べないので、心の声で叫びましたが。

「ラヂオの時間」のドタバタをパワーアップさせて、
しかもより集団劇・群像劇の度合いを深めていて、
まさに三谷幸喜の真骨頂!
しかもカメラワークとか編集も群像劇を盛り上げるように作られていて、
お腹いっぱいになりました。

若干、無理矢理っぽいかなぁ…という箇所もなくはなかったけど、
それはそれ、役者パワーもあいまって、
「…ま、楽しかったからいっか!」と感じてしまいました。

なにより、映画館で、しかも流石にお客も人数少ない状況で、
一目を気にすることなく思いっきり笑わせていただきました。
(コレって、実は意外と大変なことなのよ?)
他のお客さんも思いっきり笑ってて、共有感もあったような。

こんなホテル、泊まるのは大変だろうけど、
でもこんな大晦日は一生に一度は過ごしてみたいよねぇ。

…もっとも…一生に二度以上は勘弁ですが。


最近「三谷幸喜」があまりにメジャーになりすぎて、
逆に「東京サンシャインボーイズ」の頃のキレが足りないような気がして、
なんとなく物寂しくも感じてたのですが、
今回の「The有頂天ホテル」は久しぶりに三谷節を徹頭徹尾堪能した気分です。

横にいた中学生ぐらいの女の子のマナーが気になったのも、全部許すわ。
見に行って、ホントよかったぁ…。


久しぶりに映画熱が再燃してきました。
合間を見て立て続けに見に行こうかなぁ。
「エミリーローズ」も早く観たいのだけど、
実は今強烈に見たいのは…


マンダレイ


なんだよね-。

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世界は不寛容と無知に満ち溢れて。映画「ホテル・ルワンダ」(仮)

2006年02月18日 | 大スクリーンに無限の夢(映画)
今、一番見ておかなければいけない映画だと思います。

「ホテル・ルワンダ」

この映画については、きちんと書きたいし、
書かねばならないと思っているので、
後日改めてじっくりと更新する予定。

でも、コレが世界で起きている真実なのだから、
我々は「対岸の火事」で片付けてはならないのだということ。
「無知」というのも、重大な罪であると気がつかなければならないということ。
それはきちんと、判らないといけないのだ。

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