雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

「ジーザスクライスト・スーパースター」ジャポネスク:げに恐ろしきは「大衆」なり。

2007年07月14日 | それでもナントカ生きてます(日記)
台風接近で雨が強くなっていく今週末の三連休。

浜松町で劇団四季「ジーザス・クライスト・スーパースター」
「ジャポネスクバージョン」を鑑賞。

実はほとんど予備知識を入れずに劇場に入ったので、
正直、終始戸惑い続けながらの観劇に。

勿論、イエス・キリストの最期の話は(くわしくはなくても)知っているし、
例えば有名な「最後の晩餐」とか、十字架にはりつけられた話とか、
その辺りは知ってはいるのだけど。

それにいたる経緯とか、舞台背景とかは知っておけばよかったかもしれない。


何より、この芝居のオリジナルである「エルサレムバージョン」より先に、
日本独自の「ジャポネスクバージョン」を見てしまったのが、
一番大きな戸惑い、となってしまった。
「ジーザス」初心者としては「エルサレム」⇒「ジャポネスク」と言う順で、
見るべきだと思う。

今回は公演順の都合もあるからしょうがないのだけど。


イエス・キリスト最期の7日間を1時間40分に凝縮した舞台。
既に38年もの歴史を刻み続けた、四季の原点とも言える舞台。

それゆえ、実にミュージカルの王道な舞台となっていて、
逆に私には若干の違和感というか、
「もうちょっと突き抜けてもよかったかなぁ」という感想をまず持ってしまった。

多分、それは芝居における私のメインストリームが「小劇場」であるゆえ、
なのかも知れない。

同じラインでは「新感線」を引き合いに出してしまう。
あちらは基本的には「崩す」事から始めて、エンターテイメントに昇華していく。
一方こちらは基本がかっちり出来ているから、そこから逸脱することなく、
ジャポネスクよりに、エンターテインメントに寄って行くような、
そんな印象を受けた。

勿論どちらがよくてどちらが悪いというのは全くなく、
単にアプローチの違いであり、どちらも面白さは充分あるのだけど、
私自身が実に「小劇場系」にどっぷり浸って過ごしてしまったから、
そして小劇場というものが「守ること」を笑い飛ばすことから始まって
いるから、どうにも私の中で違和感となってしまったのだろう。


勿論、芝居自体の出来に関しては言わずもがなの素晴らしさであり、
役者の力量は実績と経験の積み重ねが生み出す至高のものであったことは、
私も否定はしない。

ただ、何と言うか、
日本には実に様々な演出とアプローチの芝居が沢山あるんだな、と、
なんだかよく判らないレベルでの感心に落ち着いていた自分がいたり。

東京はじつは世界で一番演劇が盛んな都市で、
週に100本もの作品が一年中上演されている都市なんて、
ニューヨークでもロンドンでもありえない、と聞いたことがある。

それこそ東京の底力でもあるのだけど、そこまで盛んな筈なのに、
日本における芝居の地位の低さは何ということなのだろう?


…なんて、そんなことまで考えてしまっていた。



だいぶ話がそれたが、作品自体の話に言及する。

終始考えていたことは、
つくづく「げに恐ろしきは「大衆」という名の意識なき暴力」であるなと。

最近そういう芝居を偶然にもいくつか見てしまったからかもしれないけど。
例えば「マリー・アントワネット」とか、「TOMMY」とか。

1人の超人より、無数の「無意識な暴力」の方が遥かに強く、
恐ろしく、厄介なのだと。
そして、私自身がその「無意識な暴力」に無意識に加担する可能性も、
逆に襲われる可能性もある。

「自覚なき悪意」「自覚なき偏見」そして「自覚なき正義感」は、
一種の人間の防衛本能でもあるから余計厄介なのだ。

傍観者こそが一番の犯罪者に、往々にしてなる危険性を、
我々はもう一度心に留めておかねばならないのだろう。


時代を動かすのは、悲劇を生み出すのは、
超人的な能力を持った人間よりも、
その人間に一番近いが故に苦悩する人間よりも、
中途半端な知識を持って、彼らを見て、感じて、判断する「その他大勢」、
なのではないだろうか。

そんなことを考えながら、翻弄されたジーザスやユダ、マリア、
そしてローマの執政官(彼らでさえ「被害者」だったのかもしれない)の
歌に見入っていた。


8月にはエルサレムバージョンを見に行く。
今度は時代背景に忠実な構成・演出のはずだから、
もう少し物語の本質をつかめることに期待しておくことにしよう。




さて。
本日、6日目。
昨日に続いて「腹筋プログラム」です。

昨日記述を忘れたのですが、
この「腹筋プログラム」では例の「ビリーバンド」を使いません。
完全にエクササイズなので、逆にコツをつかめばいつでもどこでも出来る、
という手軽さがあるので、このプログラムは有益かもしれません。

立ってできるエクササイズが多いので、例えば仕事の合間とか、
ちょっとした時間に継続してできる、というのも特徴かと。

だからこそ、「意識を改革する」ことが重要なのでしょうね。
こまめにトレーニングをすることの重要性を、
この一週間で叩きつけられてるようです。

【本日飯の記録】
昼:牛コマ肉とピーマンの炒め物、冷凍食品のから揚げなど。
  久しぶりに自分で用意する自宅昼食でしたが、あまりこったものは作れず。
夜:餃子、豚肉とナスの野菜炒め、サラダ。

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